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オンタリオ州、シーク教徒にヘルメット着用を義務化 [人権]

 オンタリオ州のキャスリン・ウィン首相は8月14日、カナダ・シーク教徒協会に手紙を送り、今後はターバンを被ったバイク運転者にもヘルメット着用を義務づけると通達した。また首相は、シーク教徒にヘルメット着用を義務づけても、連邦憲法の「権利と自由のカナダ憲章」に抵触しないと州裁判所が判断したことを明らかにした。
「オンタリオ州民の安全は、私の最大のプライオリティであり、私はこの問題に関する懸念を放置することはできない。」

 シーク教徒は髪を切らず、ターバンでまとめているが、それゆえヘルメトットを着用することができない。しかしシーク教徒は、ターバンが頭部を保護していると主張してきた。
 カナダのブリティッシュコロンビア州とマニトバ州や、イギリス全土ではターバンを被ったバイク運転者はヘルメット着用を法律で免除されている。オンタリオ州にはそのような法律はないが、長年の慣行として黙認されてきた。グレン・マレー前運輸大臣は、ヘルメット着用を免除する州法を今年春に成立させると公約していたが、実現しなかった。
 なお統計は、ヘルメット着用を義務づけたことで、バイク事故の負傷率は75%、死亡率は30%低下したことを示している。

 カナダ・シーク教徒協会のマノハール・シン・バル氏は、自由党政権は着用免除の法制化を約束しておきながら、それを覆したことに失望したと語った。彼はさらに、連邦議会の三大政党はいずれも着用免除を支持している事実を強調した。
 かつて州議会にヘルメット着用免除法案を提出したジャグミート・シン議員(新民主党)は、自由党政権には失望したが、信仰を保護する努力を今後も続けていくと語った。
 ウィン首相はかつて、ケベック党政権が上程した「ケベック価値憲章」に強く反対していた。
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反ユダヤ主義教育で免職されたキーグストラ元教諭が死去 [人権]

image.jpg 反ユダヤ主義の授業を行い免職となったジェームズ・キーグストラ元教諭が、6月2日に死去していたことがわかった。80歳だった。
 キーグストラ氏は、アルバータ州エクビルの高校教師だった1984年、「生徒に反ユダヤ主義の言説を為し定義可能な集団に対する憎悪を促進した罪」で、刑法第319条第2項により起訴された。彼は授業中、ユダヤ人を「同情を得るためホロコーストを捏造した悪魔の手先」「凶悪かつ危険で、世界恐慌・アナーキズム・戦争の元凶」、またドイツ第三帝国を「この世の楽園」と評し、彼の理論に基づく試験を実施した。保護者から抗議を受け、学校側からも教科書と教育課程に基づいた授業をするよう注意されたにもかかわらず、改めようとしなかったため、教育委員会によって免職処分を受けた。
 キーグストラ被告は一審で、刑法第319条は憲法が定めた表現の自由に反すると主張したが、認められず、5000ドルの罰金刑を宣告された。
 アルバータ高裁での二審判決も、200時間の奉仕活動・執行猶予1年の有罪であった。
 そこで被告は、判決は「思想・信条・意見・言論の自由と出版・通信の自由」を定めた1982年憲法第2条(b)に反するとして上告した。さらに、刑法第319条第3項の「語った内容が真実であることを証明した場合は、罪に問われない」とする規定は、「独立して公平な裁判所によって、公平で公開の審理により、法に従って有罪と認めるまで無罪と推定される権利を保証する」と定めた1982年憲法第11条(d)に反すると主張した。被告のこれらの主張により裁判は、カナダのみならず国際的注目を浴びることとなった。
 連邦最高裁は1990年12月、被告を有罪とした一審・二審判決を支持し、また刑法のヘイトプロパガンダを禁じた条文は合憲と判断した。
 なおキーグストラ被告は1986年、社会信用党の党首選に出馬し落選している。
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ファットコット被告に有罪:ヘイトクライムの解釈に変更なし [人権]

Bill_Whatcott_protesting_outside_Calgary_courthouse.jpg サスカチュワン州の男性が同性愛者を誹謗したパンフレットを配布した事件について、カナダ連邦最高裁は2月27日、被告の活動はヘイトスピーチに当たるとした一審判決を支持するとともに、ヘイトスピーチを禁じた刑法条文は憲法の規定する言論の自由に反しないとする従来の解釈を踏襲した。

 サスカチュワン州ウェイバーン在住のビル・ファットコット被告は2001年と2002年、「サスカチュワンの公立学校からホモセクシャルを排除せよ」「公立学校における男色」などと題した4種類のパンフレットを配布した。そこには「ゲイとレスビアンは、彼らの不品行をサスカチュワンの子供たちと共有することを望んでいる」「我々の子供たちは同性愛への寛容の代価として、病気と死と虐待であがなうことになるだろう」「サスカチュワンの学校はやがて同性愛を祝福するようになる」などと書かれていた。
 サスカチュワン人権裁判所は2005年、被告に罰金1万7500ドルを科すとともに、類似したパンフレットの配布を禁止した。同裁判所は、4つのパンフレットのうち最初の2つが憎悪を促進したと認めた。残りの2つについては、人権侵害のレベルに至らなかったが、十分に攻撃的だったと判断した。
 ところが2010年、サスカチュワン控訴裁判所での二審判決は、過去の判例に照らし、パンフレットは同性愛者へのヘイトスピーチの定義を満たすに十分ではないとして、一審判決を覆した。
 最高裁は6対0で、被告を有罪とした。判決でマーシャル・ロスステイン判事は、被告のパンフレットをヘイトスピーチと判断した理由について、こう述べた。
「パンフレットは、ターゲットとされた集団を安全と幸福を脅かす存在として描写し、彼らへの拒絶を一般化する目的において信頼できる情報を引用し、そして憎悪を煽るため侮蔑的な中傷表現を用いている。」
 そして差別から人々を保護するため、刑法が言論の自由をある程度制限することには合理性があると述べ、従来の判例を踏襲した。
「制限は、差別から来る有害な影響や社会的コストを軽減する観点から重要である。」
「ヘイトスピーチは、会員資格を問うことで個人を集団から取り除く試みである。さらにグループ全体を憎悪にさらす表現を用いて、多数派の視点からグループのメンバーを非合法化しようとし、社会における彼らの地位を貶めようとするものである。」
 彼はさらに、全ての攻撃的なスピーチが法律上ヘイトスピーチと定義されるわけではないことにも触れた。
「法律上のヘイトスピーチ禁止は、分別のある人が前後関係と状況から判断して、客観的に適用されなければならない。」
 最高裁はまた、サスカチュワン州法における「嘲笑・過小評価あるいは尊厳への侮蔑」というあいまいな表現を無効と宣言し、さらにサスカチュワン人権裁判所が定義した「憎悪」の定義である「嫌悪、中傷、蔑みの強い感情」から、「中傷(calumny)」の語を削除することを決定した。ヘイトスピーチと認定するのにそれが虚偽である必要はなく、またその語が「日常的に使われていない」からである。

 ファットコット被告はトロントに生まれ、青年時代は麻薬・犯罪・同性愛に溺れていたが、キリスト教によって新生(英語では“born-again Christian”と言う)すると、妊娠中絶と同性愛に反対するパンフレットを個人的に作成し配布するようになった。パンフレットには切断された胎児や、病気にかかっている同性愛者の写真を掲載されていることがあり、サスカチュワンで6回逮捕された(全て不起訴)。2001年には、レジャイナで「異性愛者プライド・デー」のパレードを開催している。
 さらにアメリカで1回、オンタリオで20回逮捕され、1994年に初めて有罪判決を受けた。ところが、トロントの妊娠中絶クリニックから18メートル以内への接近を禁止する命令に違反し、6か月服役した。
 彼は看護士だったが、中絶を行うクリニックの従業員を脅迫したとして2005年、サスカチュワン准看護士協会から罰金1万5000ドルを科せられ、45日間資格停止処分を受けた。ところが彼は、自分の活動は勤務時間外のもので、かつ看護士の地位について言及しなかったため、市民の自由な活動の範囲内だと主張した。この事件も法廷に持ち込まれ、一審は協会の処分を支持したが、二審で覆り、最高裁も二審判決を支持して処分は無効と判断した。
 ファットコット氏は、このようないきさつと長い法廷闘争のため、看護士の職を失い、今はトラックの運転手をしながら政治活動を続けている。1999年にオンタリオ州議会選挙、2000年にレジャイナ市長選挙、2007年にエドモントン市長選挙に立候補し、いずれも落選している。

 この裁判には、賛成7・反対14の計21の団体が補助参加人として参加した。これはカナダの歴史上、どの裁判よりも多い。前者はカナダ憲法基金、カナダ市民自由協会、表現の自由のためのカナディアン・ジャーナリスト、キリスト教法曹組合、カナダ福音同盟、カトリック人権連盟、信仰と自由同盟。後者はアルバータ司法長官、カナダ人権委員会、アルバータ人権委員会、オンタリオ人権委員会、ユーコン人権委員会とノースウェスト準州人権委員会、イーグル・カナダ社、カナダ・ユダヤ評議会、サスカトゥーン・ユニテリアン議会とカナダ・ユニテリアン評議会、女性の法学教育及び行動基金、カナダ法曹協会、ブナイ・ブリス人権連盟、カナダ合同教会、カナダ先住民会議とサスカチュワン・インディアン連盟とサスカチュワン・メティス・ネーション、アフリカン・カナディアン法律クリニックである。
 刑法が規定するヘイトクライムは、憲法が規定する言論の自由を制限するものだとして、今も議論の対象となっている。ファットコット被告は法廷で、品のない意見でも言論の自由はあると主張し、カナダ市民自由協会は、ヘイトスピーチに関する1990年以降の判決を取り消すよう最高裁に求め、拒否された。彼を支援するジャーナリストらは、最高裁は被告を無罪とはしないにせよ、ヘイトスピーチの適用範囲を狭めるものと見ていた。さまざまな意見が飛び交う言論市場では、憎悪や暴力を標榜するような間違った意見でさえ表明されるべきであり、憲法上それらは無視されるか、自由な言論によって退けられるべきであって、起訴されるべき性質のものではないというのである。
 カナダ市民自由協会の弁護士アンドリュー・ローカン氏は、判決を批判した。
「判決は、どんな表現がヘイトスピーチと定義されるかというガイダンスを提示するが、ヘイトクライムの根本的なあいまいさの解消には失敗した。法廷からの20年のガイダンスは、これらの問題を解決しなかった。」
 いっぽうカナダ・ユダヤ評議会の弁護士ルーカス・ラング氏は、言論の自由に関する議論は、被告の狙いに関する議論を覆い隠すおそれがあるとして、こう述べた。
「平等の権利を蹂躙された犠牲者がここにいるという事実から、我々は目をそむけることはできない。」

 英連邦諸国には「議会主権」という発想があり、国民によって選挙された議会での決定が、選挙されない裁判官によって無効化されるのを嫌う伝統がある。
 カナダの司法にはかつて、違憲立法審査権はなかった。1867年憲法はカナダ人ではなく宗主国によって制定されたもので、カナダにはそれを改正する権限はなかったから、イギリス議会に改正を「要請」していた。この時代のカナダの司法は、形式的にはカナダ連邦最高裁が最終審だったが、これに不満がある場合は、イギリス枢密院司法委員会に上訴することができ、このレベルでは違憲判断を下すことができた。
 ところが1982年憲法制定によってカナダが法的に独立国となり、憲法改正の権限を手に入れると、裁判所はそれまで見られなかった違憲判断を下すようになった。
 オスグードホール・ロースクールで憲法を教えているブルース・ライダー教授は、カナダ議会がそのような法律の存在を認めているという事実が、「憲法修正第1条の権利は神聖にして侵すべからず」というアメリカと非常に異なる国であることを示していると指摘した。
「カナダ人は南の隣人たちとは異なり、平等と社会的調和により強い関心を抱いている。我々の憲章を、より幅広くリバタリアン的に解釈することは、この国では受け入れられないだろう。」
(※アメリカ合衆国憲法修正第1条:合衆国議会は、国教を樹立し、または宗教上の行為を自由に行うことを禁止する法律、言論または報道の自由を制限する法律、ならびに、市民が平穏に集会しまた苦情の処理を求めて政府に対し請願する権利を侵害する法律を制定してはならない)


写真:カルガリーの裁判所前でアピールするビル・ファットコット氏。
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カナダがハンガリーで亡命阻止キャンペーン [人権]

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 カナダ政府は1月、ハンガリーのミシュコルツで、近年とみに増加しているハンガリーからの不当な亡命申請を思い留まらせるための広告キャンペーンを開始した。
 ミシュコルツはハンガリー第4の都市で、人口のおよそ2%がロマ族である。近年増加しているハンガリーからのカナダへの亡命申請のうち、40%がミシュコルツ出身者であり、カナダ政府はロマ族人口の多いこの街で、3000ドルを費やして6枚の広告を掲示した。広告には以下のように記されている。
「正当な理由なく亡命申請する者は、より迅速に処理され、より迅速に除外される。」

 ハンガリーはここ3年間、カナダへの亡命申請者が最も多い国である。カナダ政府は移民政策見直しの一環として、ハンガリーは安全な民主主義国であり、同国からの亡命申請は異議申し立ての権利なしに送還されると発表した。
 ジェイソン・ケニー移民大臣の広報担当は、次のように述べた。
「ハンガリー人による亡命申請のほとんど全ては、移民・難民審議会によって根拠がないと判断されるか、本人によって撤回されている。我々のシステムを悪用し、我が国の税金を不当に利用しようとする者たちに、カナダ人はこれ以上寛容であるべきではない。」
 だが、2010年にハンガリーからカナダに移民したジュラ・ジュラス氏は、右翼のフィデス=ハンガリー市民同盟から選挙で投票するよう脅迫されたことが移住のきっかけだったと語った。
 市民自由基金の創立者アラダール・ホルバート氏は、このような広告は極右による人種差別を助長することになると懸念した。
 ミシュコルツの住人は「誰も我々を必要とせず、誰も我々を保護しようとしない。我々ロマ族にどこにも行くところがないと知れたら、差別はいっそうひどくなることだろう」とコメントした。

 カナダは2012年、9月までにハンガリーから1883件の難民申請を受け、62件を許可し308件を拒否した。申請者自身が断念したのが68件、撤回したのが168件だった。



【参照】 日本人2名が難民申請「馬鹿げている」
http://blog.so-net.ne.jp/canadian_history/2010-03-03
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ジェイズのエスコバール選手の目に「ホモ野郎」 [人権]

YunelEscobar.jpg トロント・ブルージェイズのユネル・エスコバール選手が9月15日のボストン・レッドソックス戦において、アイブラック(日光の反射を防ぐため目の下に塗る墨)にゲイを中傷する言葉を書いていたことが判明した。
 熱烈なジェイズ・ファンで、シーズン・パスを持つジェームズ・グリーンハルシュさんは、いつもダグアウト近くの席を取り、選手たちの写真を撮っている。彼は翌日に写真を見て初めて、エスコバール選手のアイブラックに文字が書かれていることに気づいた。それはスペイン語で“TU ERE MARICON”(このホモ野郎)と書かれていた。
「私はジェイズと、選手たち全員を愛している。そして、エスコバール選手は私の好きな選手の一人だ。でもこれにはショックを受けた。みんなが平等であるということは、トロントのような大都市ではことさらに重要だと思う。」
 ブルージェイズ広報は17日、「ユネル・エスコバール選手が表示したメッセージを、球団は支持するつもりはない。この問題については、現在のところ調査中である」とコメントした。

 メジャーリーグでは、LGBTQ(レズビアン・ゲイ・バイセクシャル・トランスセクシャル・クエッショニング)解放のための“It Gets Better”プロジェクトに、2011年サンフランシスコ・ジャイアンツが初めて参加した。その後ボストン・レッドソックス、ボルチモア・オリオールズ、シカゴ・カブス、ロサンゼルス・ドジャーズも加わったが、ブルージェイズは参加していない。
 NHLトロント・メープルリーフスのブライアン・バークGMの息子で、フィラデルフィア・フライヤーズのスカウトであるパトリック・バーク氏は、こう述べた。
「スポーツ界はこの5年間、LGBTとの共生について大きな前進を遂げてきた。このようなものを見ることになるとは残念だ。」
 スポーツを愛した彼の弟ブレンダン・バークがゲイであることを告白して以来、バーク親子は熱心なLGBTQ支援者となった。ブレンダンの死を契機に二人は、スポーツ界における同性愛差別を根絶する“You Can Play”キャンペーンを始めている。

john_316_01.jpg アトランタ・ブレーブスのロジャー・マクダウェル投手コーチは、2011年サンフランシスコのファンにホモ嫌悪を示す猥褻なジェスチャーをして、2週間の出場停止処分を受けた。またブレーブスのジョン・ロッカー投手は2000年、取材時にホモ差別・人種差別発言をして出場停止処分を受けている。
 NFLは、アイブラックにいかなる文字も表示することを禁止している。宣教師の子で「神の子」と呼ばれた、アメリカン・フットボールのティム・ティーボウ選手はフロリダ大学時代、アイブラックに“John 3:16”(ヨハネ福音書3章16節「神は実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく永遠の命を持つためである」)と書いていた。NCAAは彼が卒業した2010年から、アイブラックに文字を表示することを禁止した。



写真上:ユネル・エスコバール選手。
写真下:ティム・ティーボウ選手。
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外国人の同性婚に無効を宣言、騒動に [人権]

 2005年にトロントで同性結婚したとされるアメリカとイギリスの女性カップルが、離婚を求めている件について、婚姻が有効でないため離婚できないとカナダ法務省が判断したことが1月12日に判明した。
 法務省弁護人のショーン・ゴーデットは法廷で、第一にカップルが離婚するにはカナダに1年以上居住していなければならない、第二にカップルが暮らすフロリダとイングランドにおいて同性婚が認可されていないため婚姻が無効であると陳述した。

 保守党がひとたび過半数安定政権を手に入れれば、彼らは家族の定義を覆すだろうと噂されていたので、このニュースは世界の同性愛者に衝撃を与え、ネット上で話題になった。オンタリオ州が2003年に同性婚を合法化して以来、カナダは同性愛者の中で特別な地位を占めていたからである。
 カナダで最初に同性婚したケビン・ブラサは、同性婚するため、国歌「オー・カナダ」を歌いながらトロントに来たアメリカの同性愛者のカップルを思い出すと語った。
「彼らは、それほどカナダを愛していた。私は、彼らが今どんな気持ちでいるだろうと思う。」
 コラムニストのダン・サベイジは、こう諷刺した。
「朝目覚めると、私は一夜にして独身に戻っていた。」
 スタン・ライトは、掲示板にこう綴った。
「カナダの法律には『同性婚』の文字はない。そこには『婚姻』の文字があるだけだ。ショーン・ゴーデットは、法律上存在しない区別を作ろうとしている。」

 ところがロブ・ニコルソン法務大臣が12日に、政府は同性婚の是非に関する議論を蒸し返すつもりはなく、カナダで結婚した外国在住者も離婚できるよう法改正に着手すると述べたため、騒動はあっという間に沈静化した。彼はさらに、同性婚を合法化したとき、離婚するためにはカナダに1年以上居住しなければならないとする離婚法の規定について説明しなかったとして、当時の自由党政権を批判した。
 家族法の専門家たちは、あまりに早い展開に驚いている。グラント・ゴールド弁護士はこう語った。
「今起こっている出来事は、法案が成立したときから予見できたはずだ。人々は同性婚の明るい一面ばかりを取り上げ、暗い一面もあることに目を向けなかった。ゲイたちがただ歓喜する時代は、終わったのだろう。」
 またマイケル・コクレイン弁護士は、離婚法から単に居住条件を削除すれば、人々がかつて同性婚するためにカナダに殺到したように、今度は離婚するために殺到するだろうと警告した。
「新婚旅行の道中に外国で結婚式を挙げるように、我々は税金で外国人の離婚旅行を助成しなければならないのだろうか?」
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ケベック連合、キルパン携帯禁止を連邦議会に要求 [人権]

800_navdeep_bains_110120.jpg シーク教徒が祭祀用の短剣「キルパン」を携帯したためケベック州議会への立ち入りを拒否された事件を受けて、ケベック連合のクロード・ドベルフェーユ下院幹事長は1月19日、州議会の対応を支持するとともに、連邦議会においても同様のガイドラインが必要だとする意向を述べた。
「この問題は、宗教上のシンボルに関する議論ではない。それは、セキュリティの観点から分析されなければならない。我々には、適切なセキュリティの指針が必要である。」
 彼女は、キルパンは金属製ナイフのような武器とは違うというなら、その明快な理由を説明する必要があると語った。

 だがこの問題は、シーク教徒である自由党のナブディープ・ベインズ議員(オンタリオ州ミシサウガ-ブランプトン・サウス選挙区)にとっては死活問題である。彼はテレビのインタビューでこう述べた。
「この問題を今取り上げる真の理由は、存在しない。私は2004年からキルパンを携帯していたが、彼らはこれまで問題にはしなかった。私はカナダ連邦最高裁や、アメリカ議会にすらキルパンを持ち込んでいるが、一度も問題になったことはない。」
「我々は、この問題を政治化してはならない。彼らは国民を分断し、混乱と不信の種を植えつけようとしているのだ。」
 彼は今月には、キルパンを携帯してニューファンドランド&ラブラドル州議会に入場している。

 新民主党のレイトン党首夫人であるオリビア・チャウ議員は、ケベック連合の提案を一蹴した。
「ケベック連合は、分断政治ゲームを恥じるがいい。シーク教徒の議員は長い間何名か、連邦議会にいる。それは今まで問題ではなかったし、これからも問題であるべきではない。」
 自由党のイグナティエフ党首は、祭祀用のキルパンは武器ではないと強調し、次のように述べた。
「全てのカナダ人は、議会と民主主義にアクセスする権利を持つ。これは寛容の問題であり、信教の自由の問題である。」
 シーク教徒の下院議員は少なくともあと2人いるが、彼らが議場にキルパンを持ち込んでいるかどうかは定かではない。
 ケベック州には、全国のシーク教徒人口の3%以下しかいない。それゆえケベック連合は、シーク教徒に何ら配慮する必要なしにこの問題を取り扱うことができる。反対に自由党や新民主党は、ケベック州で多くの議席を期待できず、むしろシーク教徒の多いオンタリオ州やブリティッシュコロンビア州の議席が多いことから、彼らに配慮する必要があるだろう。
 ケベック州議会に入場を拒否された4人のうちの1人であるバルプリート・シン氏は、こう述べた。
「多文化主義は、カナダのすばらしいモデルである。フランスの『ライシテ』モデルは、ゲットー化と暴動をひき起こした。」
 また彼は、世界シーク教徒機構が問題の表面化を狙っていたとする疑惑を否定した。
「世界シーク教徒機構のメンバーを州議会に招待しておきながら、キルパンを携帯しないことを期待していたとは驚くべきことだ。我々は騒動をひき起こすことを狙っていたわけではないが、騒動が起こることを予感していなかったと言えば嘘になるだろう。」

 アングロ・カナダの批評家の何人かは、ケベック議会の対応について懸念を表明した。だがケベック州内では、一部のアングロ・カナディアンをのぞき、ほとんどが州議会の対応に好意的だった。
 モントリオールに関する2006年の最高裁判決は、キルパンが小さなもので、かつ直ちに抜くことができないよう衣服の中に収められている限り、禁止する正当性がないと判断した。また、生徒ははさみから野球のバットまで、キルパンと同等に危険な物を容易に入手できると指摘した。だが4人のシーク教徒の入場を拒否したセキュリティ責任者の「人を刺すことができるなら、それは私にとってはナイフである」という発言は、喝采を浴びた。
 ケベック民主行動党のマリオ・デュモン元党首は、アングロ・カナダからの批判は「残りのカナダからの恒例のケベック・バッシング」と語った。
 政治学者のクリスチャン・デュフールは、こう述べた。
「ケベック連合が、このような純粋なケベック的価値をオタワで推し進めようとしていることに驚く。だが間違えてはいけない。彼らは、カナダには多様な考えがあるのだということを声高に宣伝しているのだ。」

 1984年にドニ・ロルティがケベック州会議事堂に侵入し、銃を乱射して死者3名・負傷者13名を出した事件の後、セキュリティは厳格化された。あれから四半世紀が経ったが、弾痕は事件を風化させないように修復されず、今もそのまま残っている。


写真:ナブディープ・ベインズ議員。
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シーク教徒の短剣着用を理由に州議会への入場を拒否 [人権]

 1月18日、ケベック州議会の公聴会に招待されていた世界シーク教徒機構(WSO)の代表4人が、戒律で身に着けていた短剣「キルパン」が金属探知機に引っかかり、入場を拒否された。
 シーク教徒は戒律により、5つのKを身に着けなければならない。それはケシュ(髪と髭)、カンガー(木製の櫛:清潔を象徴)、キルパン(短剣:真実を守ることを象徴)、カーラー(真鍮の腕輪:真実と自由の僕を象徴)、カッチャー(縞柄のパンツ:純潔を象徴)である。4人は警備員に、キルパンを預ければ入場できると言われたが、これを拒否した。
 世界シーク教徒機構のバルプリート・シン氏は、こうコメントした。
「何とも皮肉なことだ。我々は合理的配慮について会談するはずだったのに、我々は配慮されなかったのだ。合理的配慮は、カナダ連邦議会には存在する。合理的配慮は、連邦最高裁とカナダ全土の州議会には存在する。合理的配慮は、ここケベックで問題にされるべきだとは思わない。」
 そもそもこの事件は、いわゆる「合理的配慮」をめぐる一連の議論のなかで起こったものである。イスラム教徒の女性がニカブ(目を除く頭部全体を覆うベール)を脱ぐことを拒否した場合、本人確認ができないので、役所は公共サービスの提供を拒否できるとする94号法案について、州議会が公聴会に各宗教団体を招集し意見を聞こうとしていた矢先の出来事であった。シーク教自体は女性が顔を覆うことを禁じているが、世界シーク教徒機構は、特定の文化・宗教の放棄を強制するやり方はカナダのやり方ではないという見解をとっていた。
 だが、ケベック民族主義のケベック党で世俗主義を声高に主張するルイーズ・ボードワン議員は、ニカブ着用の戒律は女性抑圧にほかならず、国民平等の観念と信教の自由が衝突するなら、信教の自由は規制されるべきだとした。
「社会には信教の自由だけでなく、ほかの価値観も存在する。たとえば、多様文化主義はケベックの価値観ではない。それはカナダのものであるかもしれないが、ケベックのものではない。」
 シン氏は、ケベック州議会がセキュリティ規則を変えないならば、シーク教徒コミュニティはあらゆる対応について検討することになると述べた。だが州議会のセキュリティ担当は、規則を変える必要はないと応じた。
「私見では、それはシーク教徒が身に着けるナイフである。シーク教徒にも、精神的問題を抱えている人はいるかもしれない。」
 そして2010年2月に、シーク教徒がキルパンを預けることに同意したことで州議会への入場を許可された前例について指摘した。

 シーク教徒のキルパンが公的に問題になった最初の事件は、ピール教育委員会が校内でのキルパン着用を禁止したことである。オンタリオ人権委員会は1991年、教育委員会の措置はシーク教徒への差別であると答申した。
 またモントリオールの教育委員会が校内でのキルパン着用を禁止したとき、連邦最高裁は2006年、全面的禁止は信教の自由の侵害であり、憲法違反であると判断した。しかし判決は、キルパンが鞘に収められているか確認することを強制できる校則を定める権限を、学校側に認めた。
 カナダ人権委員会は1999年、キルパンを着用して飛行機に搭乗する行為は合理的配慮に当たらないと決定した。Viaレイルは2006年、キルパンを着用して電車に乗ることを許可した。
 ウィンザーの裁判所は2010年4月、シーク教徒が法廷にキルパンを持ち込むことを禁止した。
 2010年のバンクーバー・オリンピックでは、刃渡り10センチ以下のキルパン持込みは規制されなかった。
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同性婚十周年記念セレモニー [人権]

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 北米で初めて同性婚を行った2組のカップルが1月14日、トロントのメトロポリタン・コミュニティ教会で十周年の記念セレモニーを行った。
 ケビン・ブラサとジョー・バーネル、エレイン・ボツールとアン・ボツールは2001年1月14日、メトロポリタン・コミュニティ教会でブレント・ホークス牧師の司式により、同性婚の結婚式を挙げた。それは同性婚が合法化される2年前のことだった。

 アンは10年前、恋人のエレインと結婚すると友人に告白したとき「カナダでそんなことができるの? 政府を相手に戦うつもり?」と驚いて言われたのを覚えている。
 エレインは、挙式の日を複雑な思いで迎えた。教会は二人を、防弾装甲された車で迎えに来たからである。
「爆弾を仕掛けるという脅迫が何件かあったと、あとで聞きました。」
 教会内は大勢の警官に警備され、ホークス牧師も防弾チョッキを着用していた。ホークス牧師は、当時を振り返ってこう述べた。
「挙式の朝は、ボディガードの指示で教会へ真っ直ぐ行かずに迂回し、式の間はずっと防弾チョッキを着るように言われました。」

 当時はオンタリオ州も連邦政府も、同性婚を認めていなかった。だがその2年後、同性婚合法の判決が下った。あれから8年、7000人以上の同性カップルがカナダで結婚し、同性愛者もしだいに社会的に承認されるようになった。そしてメトロポリタン・コミュニティ教会の十周年セレモニーでは、誰も防弾チョッキを着用しなかった。ケビン・ブラサとジョー・バーネルは、10年前には身の危険を感じながら歩いた教会の通路を、今や何の恐れもなく堂々と歩いたのである。ケビンはこう述べた。
「もう誰も、二度とあんな状況で結婚するようなことがないよう望みたい。でも私たちは本当に、価値あることを成したと信じている。」
 エレインはこう述べた。
「アンには、私の愛が10年前よりもっと強くなっているということを覚えていて欲しい。」
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写真上:2001年1月15日のグローブ&メイル紙。左からケビン・ブラサ、ジョー・バーネル、ブレント・ホークス牧師、アン・ボツール、エレイン・ボツール。
写真下:メトロポリタン・コミュニティ教会が発行した結婚証明書。
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売春防止条項違憲判決に、政府が上告 [人権]

 歴史的判決が下った9月28日午後3時、エレクトラ・ウィリアムズ(24歳)は「やった!」と叫んだ。
 彼女はシェルターで暮らし、トロントのジェラード・ストリートで客を取る売春婦である。彼女の右胸から首にかけて、消えることのない深い傷跡が残っている。それは客にチェーンで打たれた跡である。彼女は、客と事前に少しの会話をすることができたら、危険な客を見分けることができたはずだと言う。

 歴史的違憲判決の翌日29日、連邦政府は上告する意向を発表した。ロブ・ニコルソン法務大臣は、下院でこう演説した。
「売春は国民と地域社会を害する問題である。それが政府が上告し、同時に判決が効力を持つことの延期を求める理由である。」
 またオンタリオ州のクリス・ベントリー司法長官は、オンタリオ州政府も上告するとともに、判決から30日が経過した後も、既存の法律が効力を維持するよう要請すると発表した。
 新民主党のレイトン党首は「我々は、女性が保護されるよう法律が改正されるべきだと主張してきた」と述べ、売春合法化を訴えてきた党の姿勢を強調した。
 オンタリオ新民主党のピーター・コモス州議員は、連邦政府は高裁の画期的判決を受け容れ、新時代に順応した視野を持つべきだと指摘し、こう述べた。
「高裁判決と戦うことは、巧妙に偽装された新たなセックス産業を登場させる偽善的行為である。オンタリオ州のあらゆる自治体は、 “rub-and-tug”と呼ばれるマッサージ・パーラーに営業許可を与え、税を徴収している。誰もが、それが事実上の売春宿だということを知っている。もう偽善はやめようではないか。」

 ウィリアムズは自分の人生に満足しており、ただ安全に仕事をしたいだけだと言う。
「私たちには、居場所が必要です。誰にも迷惑をかけるつもりはありません。私たちはここで働き、ここで暮らしているだけです。」
 原告の一人バレリー・スコットは、こう言って笑った。
「セックス・ワーカーと会ったことがないと言う人に、私はこう言います。あなたは会っています。ただ気づかないだけです。もしもあなたがコンドミニアムに住んでいるなら、何人かのセックス・ワーカーがそこにいます。」
 ダニエル・ブラウン弁護士は、違憲判決が下った28日の夜、逮捕された男性から助けを求める電話を受けた。
「私が見るかぎり、警察は高裁判決に従っていないようだ。たとえ30日の猶予があるとはいえ、すでに違憲判決が下っているではないか。」
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オンタリオ高裁、売春防止条項の無効を宣言:売春宿合法化へ [人権]

600_prostitution_law_100928.jpg オンタリオ高等裁判所は9月28日、カナダ刑法の売春防止条項について無効の判決を下した。同時に連邦政府に対し、30日の猶予を与え、状況を改善するための新たな法制定を促した。判決は、連邦政府が効力を停止しない限り30日後に有効となる。
 2003年の同性婚に続き、オンタリオの法廷がまたも画期的判決を下した。判決はオンタリオでのみ有効だが、同性婚のときと同様、諸州がいっせいに続くことも予想される。判決はまた、ニュージーランド、ドイツ、オランダ、ネバダ州、オーストラリアの一部の州に続き、売春宿公営化への道を拓いた。

 カナダでは売春自体は合法だが、スーザン・ヒメル判事は、刑法の売春防止条項のうち、売春を目的とした交渉の禁止、売春に付随して収入を得ることの禁止、売春宿の経営の禁止の3つの条項全てを無効とした。これにより、カナダでは見られることのなかった売春宿が街のどこででも営業でき、刑事罰を科せられるおそれなくボディガードを雇い、売春婦は顧客と路上で自由に交渉できることになる。
 ヒメル判事は、売春婦を保護するために規定された条項は、実際にはかえって危険にさらしていたと判断した。交渉の禁止は、売春婦たちに危険な客を識別する機会を奪った。売春に付随して収入を得ることの禁止は、売春婦たちに個人での営業を強要し、ボディガードを雇う機会を奪った。売春宿の経営の禁止は、売春婦に見知らぬ人と二人だけで、人目を避けた場所での営業を強要した。かくして判事は「売春婦が直面する危険は、公衆が直面する迷惑をはるかに上回っている」と述べ、売春防止条項は憲法に規定された「表現の自由」および「国民の安全」を侵害するものであり無効と判断した。

 この判決は、連邦政府に衝撃を与えた。30日の猶予は、上告のための戦略を再検討するには、あまりにも短すぎるからである。ローナ・アンブローズ女性の地位担当大臣は「連邦政府は、高裁の決定に非常な懸念を抱いており、上告を検討している」とコメントした。新民主党のリビー・デイビス副党首は「高裁の判決は、これらの条項がセックス・ワーカーたちと地域社会を保護しているという神話を打ち砕いた。これらの条項はセックス・ワーカーたちを保護しなかっただけでなく、有害でさえあった」という見解を述べた。
 原告側のアラン・ヤング弁護士は、「ロバート・ピクトンがバンクーバーのイーストサイドで売春婦を多数殺す事件が発覚したことで、状況が変わった」と語ったが、「カナダがドイツのように、5階建ての公娼宿を持つようになると考えるのは時期尚早だ」とも述べた。
 原告の一人バレリー・スコットさんは、こう語った。
「私たちはこれで、もうレイプ・強盗・殺人の心配をしなくてもよくなりました。これは驚くべき勝利です。」
「全国のセックスワーカーたちは、健康保険証を持ち、所得税を納める善良な市民でありたいと思います。皆さんどうか、私たちを怖がらないで下さい。私たちはエイリアンではありません。」
 原告の一人テリー=ジーン・ベッドフォードさんは、椅子から立ち上がり両手を上げて「今日は、カナダにとって素晴らしい1日です。セックス・ワーカーのための解放記念日です」と語った。「勝訴を祝う予定はありますか」ときかれた彼女は、鞭をしならせてこう答えた。
「これから客どものケツをひっぱたきに行くわ。合法的にね!」

 アンガス・リード社による2009年の世論調査は、カナダ人の約半数が売春宿合法化を支持することを示した。


写真:勝訴に歓喜する原告のベッドフォードさん。右はヤング弁護士。
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「アンネの木」がモントリオール・ホロコースト記念館に [人権]

b1bbbc4548908222c2234e8aac18.jpg 第二次大戦中、アンネ・フランクがアムステルダムで隠遁生活を送っていたときに記した「アンネの日記」に登場する栗の木「アンネの木」の苗木が、9月27日にモントリオール・ホロコースト記念館に植えられる。
 この栗の木はもともと、フランク一家が住んでいたアムステルダムの隠れ家(現在はアンネ・フランクの家博物館)から見える、カイザース運河沿いの民家の庭に立っていた。アンネは1944年2月23日の日記に、
「屋根裏のお気に入りの場所から私は、青い空を見た。そして、銀のように光る水滴を枝につけた栗の木と、急降下するカモメや鳥たちを見た。この風景が存在するかぎり、そして私が日の光や曇り空を見ることを許されているかぎり、私が不幸であるはずはない」
と綴っている。
201008230018_001.jpg この木は樹齢150年以上と推定されていたが、近年腐敗が進み、倒壊の恐れが現実化した。所有者は伐採を望んだが、近隣住民や森林保護団体の反対により中止され、鉄の支柱で補強された。しかし2010年8月23日、強風のためついに倒壊した。

 この企画は、アンネ・フランクの家博物館がアンネの木の苗木を世界中に贈るプロジェクトを行っていることを、モントリオール在住のマイケル・ヴァインバーグ弁護士が知り、モントリオール・ホロコースト記念館のために1本を預かったことから始まった。モントリオールは、ホロコースト逃亡者を世界で3番目に多く受け容れた都市である。


写真上:「アンネの木」の苗木を持つマイケル・ヴァインバーグ夫妻。
写真下:倒壊した「アンネの木」(アムステルダム)。
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ゲルフで「トップフリーの権利を祝う集会」 [人権]

9dd592014c4b90a4c18090a257ee.jpg トップフリー運動の聖地オンタリオ州ゲルフで8月28日、トップフリーの権利を祝う集会に、25人の参加者とカメラを持った大勢の見物人が集った。
 会場となったセントジョージス・スクエアで、女性たちが上着を脱ぐと、カメラを持って集まった見物人たちが反応した。発起人であるゲルフ大学学生のリンジー・ウェッブは、
「おっぱいを見るためにここにいる人たちは、出て行って下さい」
とアナウンスした。
 もう一人の発起人アンドレア・クリンクローは、
「私たちは、女性たちがトップフリーになる権利を行使するための安全なスペースを、ここに確保したい。女たちよ、権利を持とう。男たちよ、協力的になろう。」
と呼びかけた。
 イベントに参加したシンシア・ブラッグ(64歳)は、傘のあるテーブルに着いた。大勢の男性見物人に恐れをなし、トップフリーになかなかなれなかったからである。彼女は取材にこう答えた。
「見て下さい、カメラを持った大勢の男たちは、サングラスを着けています。彼らはなぜ顔を隠すのでしょうか。」

 クリンクローは、ジェイコブ判決から14年、女性は公共の場でトップフリーになる法的自由を獲得したかもしれないが、社会的自由はまだ獲得していないと述べ、
「ヨーロッパのように、ビーチでトップレスになったり、トップレスでダウンタウンをローラーブレードで走行しても、誰も気に留めないようになったら、どんなに素晴らしいことでしょう。」
と語った。
 イベントに男性として参加したフィル・ロングスタッフ(50歳)は、こう語った。
「人類は足首を乗り越え、太ももを解放した。なぜ胸を解放できないのだろうか?」


写真:胸にボディ・ペインティングを施す発起人のアンドレア・クリンクロー。
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中絶への障害 [人権]

abortion19nw1_jp_712983gm-a.jpg プリンスエドワード島に住む彼女は、午前2時に起床し、ニューブランズウィックへと続くまだ暗い夜道のドライブを開始した。人目を避けるため早朝に着いたフレデリクトンのクリニック前には、プラカードを持った運動家たちがすでに待ち構えていた。ロザリオを持った中年女性が、クリニックに入ろうとする彼女に向かって叫んだ。
「考え直しなさい!」

 彼女は言った。
「自分の住む州で中絶手術ができないなんて、おかしいわ。」
 モントリオール・トロント・バンクーバーのような都市在住者なら、中絶手術を受けるのに何の障害もない。だが田舎町では人目もあるし、信心深い人も多い。それで彼女は、4時間のドライブをしてまで他州に行かなければならないのだ。
 カナダでは1988年、妊娠中絶に関する一切の法律が廃止された。これにより、妊娠中絶は違法ではなくなったのである。だが中絶手術を希望する女性たちは、しばしば病院で中絶を非難する医師や看護師に出くわす。さらに中絶手術を受けるには、医師の照会が要る。しかしカナダ医師会は、医師は自らの良心に反する妊娠中絶を拒否できるものとしている。このような事情から、病院ではなくモーゲンテイラーの私営クリニックの門を叩く女性も多い。そこでは医師の照会は要らないからである。
 ある女性は語る。
「それぞれの段階において、障害、障害、また障害があります。人は、カナダでは中絶は自由だと言うけれど、大きな間違いです。それは一部の人だけです。」

 6月25日からハンツビルで開催されるG8サミットでは、妊娠中絶問題が議題に挙げられている。
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ハミルトンのレストラン、唇形の便器を撤去 [人権]

b8c71c094b77b8acce20ceaab85f.jpg 5月31日、オンタリオ州ハミルトン市の「正直な弁護士」レストランにあった唇形の男性用小便器が、撤去された。レストランは、フレッド・アイゼンバーガー市長や、オンタリオ新民主党のアンドレア・ホーバス党首らから1100通もの苦情を受けていた。
 24の組織から構成される「女性虐待防止グループ」のレノア・ルカシック=フォス代表は、こう語った。
「誰かと性的な関係を持ちたいと期待しながら酒を飲む男性が、それからトイレに行き、女性の唇の形をした便器で小用を足す。…私は衝撃と憤りを覚えました。女性の口の中へ小用を足すというのは、ジョークで済むことではありません。」
 レストランのある地域を選挙区とするホーバス党首は、こう述べた。
「今まで何人もの男性と『正直な弁護士』に行きましたが、トイレから帰って来た彼らはみんな顔を上げられませんでした。」

 この「キッス」という名の便器を製作したオランダのデザイナー、メイケ・ファン=スハインデル氏は、ホームページ上で「キッス便器で今、世界中で注目を浴びている。この遊び心に満ちた口の形は、便器にセクシーさをもたらした」「これは男性が絶対にはずすことのない目標です」と述べている。今回の撤去騒ぎについて彼女は、こうコメントした。
2012254541.jpg「男性が女性の口に用を足すということは、この便器を製作している間は一度も私の身には起こりませんでした。怒りを表明している女性たちは誰一人として、トイレで『キッス』を目にすることはありません。」
 彼女はまた、ウィーン国立歌劇院近くの公衆トイレに設置された「粗悪な模造品」が、政治家の苦情により2006年に撤去されたことにも言及した。

 「キッス」はアムステルダムのマクドナルドにも設置されていたが、苦情により2006年に撤去された。苦情を申し立てたのはアメリカ人で、彼は実際に現物を見たわけではなく、雑誌で見たにすぎなかった。2004年にはバージン航空が、ニューヨークのジョン・F・ケネディ空港のラウンジに「キッス」を設置することを計画したが、全米女性機構(NOW)の強い抗議を受け、撤回している。

◆ジャパンデザインネット株式会社/メイケ・ファン=スハインデル氏HP
http://www.japandesign.jp/GALLERY/holland/meike_van_schijndel/
http://www.japandesign.ne.jp/GALLERY/holland/meike_van_schijndel/1.html


写真上:「正直な弁護士」レストランにあった唇形小便器「キッス」。
写真下:ウィーンの公衆トイレにあった唇形小便器。
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アヘナキュー先住民会議元代表、死去 [人権]

 デビッド・アヘナキュー先住民会議元代表が3月12日、サスカチュワン州シェルブルックの病院で癌のため死去した。76歳だった。
 彼は1978年にオーダー・オブ・カナダ勲章を授与されたが、ヒトラーを讃美しユダヤ人を非難したため、ヘイトプロパガンダで起訴された。そして2005年の一審で有罪判決を受け、勲章を剥奪された。
 彼の弁護士ダグ・クリスティによると、アヘナキューは2002年の一審ののち癌に気づいたが、公表しなかった。
 2006年の二審では逆転無罪となり、最高裁で争う予定になっていたが、被告の死により裁判は中止となる見込みである。


【参照】 先住民団体元代表、ユダヤ人差別発言で起訴される 
http://blog.so-net.ne.jp/canadian_history/2006-06-11
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日本人2名が難民申請「馬鹿げている」 [人権]

 ジェイソン・ケニー移民大臣は3月2日、オリンピック観戦のためカナダに入国した日本人2名を含む難民申請者について「馬鹿げている」と語った。
 難民申請しているのは、日本人2名、ハンガリー人4名、ロシア人1名の計7名。これを受けてケニー移民大臣は、CTVの番組でこう述べた。
「日本から難民申請者が2名。これは馬鹿げている。日本は、人権を保障された自由な民主主義国である。」
「実に奇怪なことに、年間300人もいるハンガリーからの難民申請者の97%が、その後申請を取り下げている。私には、その理由はわからない。ハンガリーは欧州連合に加盟しており、人権を保障された民主主義国家ではないか。」
 難民申請は裁判所による審査が必要で、長い年月がかかる。申請すれば、結果的に認可されようとされまいと、それまではカナダに滞在し、働くことも福祉サービスを受けることもでき、学費も医療費も無料となる。認可されなかった場合は、帰国費用もカナダが負担してくれる。
 移民問題が専門のリチャード・カーランド弁護士は、ハンガリーからの難民申請者のほとんどはロマ族であり、もしも本当に人権侵害があるというなら、彼らは欧州連合の他の国に自由に移動できるはずだから、彼らの真の理由はカナダの手厚い福祉にあると指摘した。

 カナダに入国したスポーツ選手らが亡命することは、珍しくはない。1988年のカルガリー・オリンピックの際、ルーマニアのコーチが難民申請した。1994年の英連邦大会の際には、ナイジェリアのダニエル・イガリ選手が難民申請し、市民権を得た後2000年のシドニー・オリンピックで、カナダ代表として金メダルを獲得した。2005年にはキューバ国立合唱団(40人編成)のメンバー11人が難民申請した。
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オーダー・オブ・カナダ勲章の返上を初めて受理 [人権]

 ミカエル・ジャン総督は6月1日、ジャン=クロード・テュルコット枢機卿、ルネ・ラシーヌ(天文学者)、ジャクリーヌ・リシャール(ピアニスト)の3名によるオーダー・オブ・カナダ勲章の返上を了承したと発表した。オーダー・オブ・カナダ勲章の返上が認められたのは、史上初めてのこと。3名はいずれも、堕胎が違法だった時代に手術を行い、この合法化のために運動したヘンリー・モーゲンテイラー医師の昨年の受勲に異議を唱えたものである。
 テュルコット枢機卿は、モーゲンテイラー氏の受勲は勲章の価値を下げることになり、疑問だとコメントした。またリシャール氏は、堕胎を殺人だと批判したマザー・テレサの発言を引用し、モーゲンテイラー氏を非難した。
 元ニューブランズウィック州副総督ギルバート・フィンとルシエン・ラール司教も、抗議してメダルを返納したが、勲章返上の意志を表示する手紙を添付しなかったため、受理されていない。

【参照】
http://blog.so-net.ne.jp/canadian_history/2008-07-02
http://blog.so-net.ne.jp/canadian_history/2008-12-31
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校内での人種差別に反対し高校生がストライキ [人権]

 オンタリオ州の高校で4月21日、人種差別に憤った韓国系の生徒(15歳)が白人の生徒に殴りかかり、負傷させる事件が発生した。ところが学校が韓国系の少年だけに自主退学を要請し、警察も少年だけを起訴したことに生徒たちが反発し、ストライキを起こした。

 少年と家族は2004年に韓国からカナダに移住し、オンタリオ州ケスウィックに居を構えた。ところがこの地域の住民はほとんどが白人で、少年が通っているケスウィック高校にも、アジア系の生徒は10人足らずしかいない。シムコー湖地域では2007年、アジア系漁民に白人が暴行を働いた「ニッパー・ティッピング事件」が発生しており、有色人種排斥の気運が特別高い地域である。
 4月21日、体育の授業中に白人の生徒が、少年を挑発してきた。少年は黙って耐えていたが、“fucking Chinese”と言われ殴りかかってきたので、咄嗟に左手で顔面を殴った。白人の生徒は鼻を骨折した。
 実は少年は父親からテコンドーの手ほどきを受け、黒帯を許されていた。父親は韓国のナショナル・チームに入ったほどの達人である。父は息子に、こう教えていたという。
「自分の身を守るため、ほかに方法がないときしか戦ってはならない。もし戦うなら、使っていいのは左手だけだ。利き手の右は絶対に使ってはならない。」
 少年はメディアにこう語った。
「人と戦ったことは、ぼくの人生で初めての経験です。ぼくは攻撃するようには訓練されませんでした。全ては自衛のための訓練でした。彼が鼻を負傷したことは気の毒に思いますが、彼はぼくに差別的発言をしたので、それに値する報いを受けたということです。先に殴ったのは彼の方です。」

 学校は当面の措置として、双方の学生を停学処分とした。また少年に“you Chinese fuck”と言った被害者のいとこも、停学処分とした。ところが少年の両親は、学校から息子を放校処分にすることもできると言われ、別の学校に転校するよう要請されたというのである。そして警察も、加害者の少年だけを逮捕し、暴行で起訴した。
 すると4月27日、この地域で長く続く人種差別に憤った生徒400人が、授業をボイコットして、少年を支持する看板を掲げて学校の周囲を練り歩くストライキを始めたのである。代表のマシュー・ウィンチ君は、
「この学校にアジア系の生徒は10人もいないが、みんな人種差別といじめに抗議するため立ち上がったんだ」
と語った。彼らの行動は、地元のニュースでも大きく取り上げられた。カナダでは差別発言は刑事罰の対象となるため、警察もついに、ケンカの原因となった白人生徒への捜査を約束した。

 少年の父親は、別の土地に引っ越してやり直すのは最も安易な方法だが、それはできないと語った。
「私は逃げたくはない。もし別のアジア系の生徒がこの学校に来たら、何が起こるだろうか。彼は問題に立ち向かうだろうか。生徒たちは、彼を追い出せると考えるだろうか。私は悪い前例を作りたくはない。私人として、息子の親として、私は出て行きたいと思う。だがカナダの市民として、私は出て行くわけにはいかない。」
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プロジェリアのアシュリー死去 [人権]

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 世界に53人、カナダに3人しかいない早老症「ハッチンソン=ギルフォード=プロジェリア症候群」の患者アシュリー・ヘギ=ロナルド(17)が4月21日、病院で死去した。この日は彼女の誕生日の1か月前で、高校の卒業式の3週間前だった。
 アシュリーは、アルバータ州レスブリッジに生まれた。プロジェリアは常人の5~10倍の早さで老化が進み、平均寿命は13歳。過去に百数十人の患者が発見されているが、アシュリーは史上最長寿であった。
 母のロリーは17歳のとき、未婚のままアシュリーを産んだが、父親は間もなく二人を棄てて家を出た。以来ロリーは母と二人で病弱なアシュリーを育てて来たが、2003年にジェイ・ロナルドと再婚した。アシュリーが母の結婚式でブライドメイドを務める有様は、日本のドキュメンタリー番組で取り上げられ、話題になった。


写真左:母ロリー(中)と継父ジェイ(右)の結婚式でブライドメイドを務めるアシュリー。
写真右:アシュリー(右)とプロジェリア仲間のジョン・タケット(左)。
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