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【障害者と肥満の乗客】に追加料金禁止 [人権]

 カナダ連邦最高裁は11月20日、障害者や肥満の乗客に追加料金課金を禁止する判断を下し、航空3社の上告を棄却した。
 肥満や車椅子の乗客が機内で余分のスペースを必要とすることに対し、運輸庁は2008年1月“one person, one fare”(一人につき単一料金)を航空3社に通達したが、エアカナダ、エアカナダ・ジャズ、ウェストジェットの3社が異議を申し立て、3社は5月に控訴裁で敗訴していた。
 最高裁は、3社が障害者を実質的に差別していたと断じた。この判決は、障害者や肥満の乗客には必要とする余分のスペースを無料で提供することを義務づけ、障害を持つ乗客が付添人を必要とするときは、その座席を無料で提供しなければならないことを意味する。
 バス・鉄道・船舶各社はすでに、障害者には余分のスペースを無料で提供してきた。だが航空各社は、同様のサービス提供は巨額の損失に繋がると主張してきた。
 そこで運輸庁は、このサービスにかかるコストを試算したところ、1年間の損失はエアカナダ700万ドル、ウェストジェット150万ドルという結果が出た。これは年間旅客収益ではエアカナダは0.09%、ウェストジェットは0.16%にあたり、航空券1枚当たりではエアカナダが44セント、ウェストジェットが77セントの負担となる。

 なお判決は3社のみ、カナダ国内線のみに適用されるが、3社のカナダ国内でのシェアは90%以上であり、今後全ての国内線と国際線に適用される可能性がある。エアカナダとウェストジェットは、運輸庁の通達を受け容れ、2009年1月9日までに対応すると発表した。ただし、判決はカナダ国内線のみに適用されることを強調した。
 またウェストジェットの広報担当リチャード・バーテム氏は、サービスを国際線にも適用することを検討すると語った。

 障害を持つ乗客の裁判を担当したことのあるデビッド・ベーカー弁護士は、
「これは障害を持つ人々にとって、そしてカナダにとってすばらしいことだ。彼らは今まさに旅行に行くことができる」
と語った。
 またカナダ障害者会議のパット・ダンフォース氏は、
「我々はこの判決を祝福したい。旅行するための、長年にわたるもう一つの障害が除去されたことに心躍る気分だ」
とコメントした。
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モーゲンテイラーが「オーダー・オブ・カナダ」受勲 [人権]

1891711 ミカエル・ジャン総督は、毎年7月1日に授与されるカナダ最高の勲章「オーダー・オブ・カナダ」を今年新たに、キム・キャンベル元首相、フランク・マッケナ前ニューブランズウィック州首相、フィリップ・オーエン元バンクーバー市長を含む75人に授与した。そして受勲者の中には、モントリオールの著名な中絶推進医ヘンリー・モーゲンテイラー氏がいた。
 「オーダー・オブ・カナダ」受賞者はほとんどが満場一致で選出されるが、モーゲンテイラーはそうではなかったという。総督は彼の受勲理由として「女性のヘルスケア向上と、カナダの公共政策・ヒューマニズム・市民運動への不断の努力」を挙げた。

 ヘンリー・モーゲンテイラーはポーランドのウッチに生まれ、アウシュビッツ収容所で生き残った。ドイツで医学を修め、1950年カナダに移住した。
 1969年に、母体の生命が危険に晒された場合に限り、保護中絶委員会(TAC)の認可を得た妊娠中絶手術が合法化された。モーゲンテイラーは1967年、委員会で全ての女性は妊娠中絶の権利を持つべきだという信念について証言した。そして1960年代終わりから違法な妊娠中絶手術を公然と行い、またこれを合法化させる運動を推進した。1973年には5000件の妊娠中絶手術を行ったと公表した。
 1970年ついに逮捕され、起訴されたが、一審では無罪となった。ところが1974年ケベック控訴裁での二審は、禁固18か月を宣告され入獄した。これを契機として連邦政府は、陪審員の無罪評決を控訴裁が覆すのを禁止する「モーゲンテイラー改正」を行った。三審で無罪判決を勝ち取った彼は出獄し、それからカナダ各地で非合法の私営中絶クリニックを開業した。1983年今度はオンタリオで起訴され、一審無罪、二審有罪となり、1988年の三審でカナダ連邦最高裁は、妊娠中絶に関する全ての法は違憲と判断し、妊娠中絶が完全に合法化された。
 1992年には、トロントのハーボード・ストリートにあった彼のクリニックが爆破された。

 正式な受勲の前に、彼の受勲が内定したと公表されたため、インターネット上では中絶反対派を中心に論争の嵐が巻き起こっていた。
 保守党のアンドリュー・シェアー議員は「人々が心を一つにするべきカナダ・デーにこのような行為をすることは、信じられない。彼の受勲は、オーダー・オブ・カナダの価値を下げたと思う」と語った。また保守党のアート・ハンガー議員は「かの男がオーダー・オブ・カナダを受勲するとは、何と惨めな日だろう。彼はそれに値しない。あの男はこの国に貢献しただろうか?」と語った。
 カトリック公民権連盟代表ジョアン・マクゲーリーは「オーダー・オブ・カナダは慈善事業・教育・文化・環境などの、ポジティブで人々をまとめあげる功績を残した人物に与えられるべきだと思う。モーゲンテイラーは人々の間に亀裂を生じさせる人物だということに、誰もが同意するのではないか」と語った。
 自由党の下院副幹事長マーリン・ジェニングスは「女性の選択する権利を制限したがる人々がいることは確かだが、今日はカナダの女性と女性の権利のための素晴らしい日だ」と語った。またモーゲンテイラーのクリニックのためのデモに参加したことのあるNDPのオリビア・チャウ議員(レイトン党首夫人)は「私たちは、女性の権利のために長年戦い続けてきたヘンリー・モーゲンテイラー氏を誇りに思う」と語った。フェミニスト作家ジュディ・レビックは「多くの女性はこれを大きな勝利と確信しただろうし、そうと認められるべきだ。妊娠中絶論議は、この国では賛成論者の勝利で終わっているし、モーゲンテイラー氏はその勝利に大きく貢献した」と語った。
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ナチスのシンボル着け登校した小学生を保護 [人権]

 ウィニペグの小学校で7歳の女子児童が、体に鉤十字や白人至上主義のシンボル「14/88」などを描いて登校した事件で、警察と児童福祉団体CFSは3月25日、この児童と2歳の弟の2人を保護した。2人は現在CFSの監督下において、おばと祖母とともに暮らしている。父親がネオナチとの情報があることに加え、家庭内での麻薬と酒の乱用の懸念がいまだ残っていることから、CFSは永久に両親から隔離する方針を示しているが、母親は子供たちの親権回復を強く主張している。なおマスコミは子供たちのプライバシー保護のため、両親の名前を報道していない。

 14は“We must secure the existence of our people and a future for white children”(我々は民族の存在と白人の子供たちのための未来を確保しなければならない)の14語を表し、88はアルファベット第8の文字“HH”であり「ハイル・ヒトラー」を表している。
 警察は、2005年にも類似の問題について両親から事情聴取していた。このときは刑事告発はされなかったが、家宅捜索でパソコンを含むいくつかの私物を押収し、書類をCFSへ送付している。

 またこの女子児童は学校をすでに39日も欠席しているが、これについて本人は「両親が朝遅くまで寝ているから」と答えた。
 2人の親権を持つ父親は、息子の実の親であり、娘の継父である。彼は白人優位主義者で、妻がレストランでフルタイムで働く間、子供たちの世話をしていた。
 地元紙ウィニペグ・フリープレスは、www.winnipegpunks.comとwww.resistance.comの2つのウェブサイトにおいて、両親のものと思われる、ナチスの旗の前に立つカップルの写真を含む投稿を発見した。このサイトにおいて父親は「全人生をスキンヘッドであることに捧げる」と誓い、「子供たちには私が育てられたように育て、真実を語ることを恐れず、逮捕を恐れず、最も誇るべきことは、自分たち自身であり、自分の家族、自分たちの信仰、そして我が種族だということを教えるつもりだ」と綴っている。

 子供たちの母もまた、主に夫との関係において「不適切な親」としてCFSの文書にマークされている。彼女は娘が鉤十字を体に描いて学校に行ったことを認めたが、自分はスキンヘッドでストリートを走り回っているネオナチの類ではなく、政治団体には属していないし、自分はスコットランド系で、単に北方ヨーロッパ人種であることに誇りを持っているだけであり、マスコミは偏向しており自分たちの考えを理解していないと語った。また彼女は、子供たちの親権を回復するためならどんなことでもするとコメントした。
 「子供の体に描かれた鉤十字を見たら、人はそれをナチス以外の何物とも解釈しないのではないか」という意見については、彼女は明確に拒絶した。

 娘の実の父はウィニペグでバーを営んでおり、5年間娘に会っていない。彼は親権を求めてはいないが、自分の娘が、養親によって自分たちの人種偏見を表明するための広告塔にされてしまうことを危惧し、娘が安全な環境で育てられるために戦うと宣言した。彼は「彼らは、これを大きな問題にして騒ぎたてるつもりだろう」と語った。
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カナダの職場安全保険局CM [人権]

http://www.youtube.com/watch?v=S8vvd-4H4oM&feature=related

「これは〈偶発的〉事故ではありません。会社はこういうことがおきる事を予測できました」。
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カナダ、外国人ストリッパーへの就労許可を厳格化 [人権]

 カナダ移民省は、外国人ストリッパーの虐待や人身売買を取り締まるため、外国人ストリッパーへの就労許可を拒否できるようになる。フィンリー移民大臣が5月16日、明らかにした。
 法律が改正されると、移民局の職員には、外国人ストリッパーが虐待を受けたり売春などを強要されるおそれがある場合、彼女たちに就労許可を出さない権限が与えられる。
 移民相は声明で「このことで、カナダにおけるストリッパーなどの短期労働者が虐待され、搾取され、人身売買の犠牲者になるのを防ぐことが出来ると考えます」と語った。
 「前の自由党政権は、外国人ストリッパーは強制売春などの搾取の犠牲になりやすいという警告があったにもかかわらず、全面的に例外措置として処理してきました。今回の修正で、自由党の『ストリッパーゲート事件』のよき日々は過去のものになったのです」。

 国際的な人身売買・性的虐待に対処した今回の措置は、従軍慰安婦問題と連動したものだとする見方が強い。


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ハーパー首相、マヘル・アラル氏に謝罪 [人権]


 ハーパー首相は1月26日、マヘル・アラル氏に対し謝罪し、1050万ドルを賠償するとともに、同氏を国外退去リストから削除するようアメリカに要求すると発表した。

 シリア出身のカナダ人であるアラル氏は2002年、チュニジアで家族と休暇を過ごし、帰国の途中ニューヨークのジョン・F・ケネディ空港を経由した際、アルカイダのテロリストの容疑を受け、アメリカ移民局に逮捕され、カナダ市民でありながらカナダではなくシリアに送還され、刑務所で1年もの間「恐るべき苦難」に遭ったという。
 カナダ政府はアラル氏がカナダに帰国後1年以上も経ってから調査を開始し、デニス・オコナー判事が2006年9月に報告書を発表した。そしてアラル氏にはテロリストとの関係はなかったと断定し、またRCMP(カナダ連邦警察)がアメリカ当局に誤った情報を提供したと結論づけた。これを受けアラル氏は当初、政府に公式の謝罪と4億ドルの賠償を請求し、後に3700万ドルを請求していた。


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同性結婚見直し動議否決 [人権]


 12月7日、保守党の選挙公約であった「同性愛結婚を認めつつ、伝統的結婚の定義の復活を求める」動議が採決された。内心賛成の与党保守党と内心反対の野党自由党は、いずれも党議拘束せず自由投票となったが、両党議員が互いに、党の方針と反対に投票する相手議員に喝采した。ケベック連合と新民主党は党全体で反対票を投じ、その結果123対175で否決された。
 ハーパー首相はこの結果を受け、「将来この問題を蒸し返すことはしない」と約束した。

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図:同性婚への態度を変えてきたクレチエン首相をおちょくったマンガ。

・1972年:インディアン問題および北方開発大臣「×××××」(読みとれない)
・1980年:法務大臣 「今はその時期ではない」
・2003年:総理大臣「今こそその時だ!」


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ブレンダと呼ばれた少年 [人権]


●デビッド・レイマー(1965-2004)

 カナダのウィニペグで双子の兄として生まれた彼は、ブルースと名づけられた。生まれてすぐ割礼手術の失敗でペニスを失い、性器形成手術やホルモン療法などにより女児として育てられ「ブレンダ」と名づけられたが、それはマネー医師による「性の自己認識は環境によって決定される」という自説を裏付けるための実験であった。というのも彼が双子の一方だったからである。ブレンダは成長するにつれ男性的行動を取るようになり、女性であることに違和感を抱いた。14歳のとき過去の事実を知って男性として生きることを決意し、デビッドと名乗り、結婚して妻の連れ子の父となった。
 2000年、ジョン・コラピント著「ブレンダと呼ばれた少年」が出版される。彼は自分と同じ犠牲者が今後出ないことを願って、自らの経験と名前を公表したが、その後妻との別居、事業の失敗、弟の自殺などが重なり、2004年猟銃で自殺した。

 「ブレンダと呼ばれた少年」は、日本では米国版と同じ2000年に無名舎から邦訳が出版されたが、翌年同社が出版事業から撤退し絶版となった。ところが2005年、扶桑社によって再版されることになる。これは、八木秀次(「新しい歴史教科書をつくる会」当時会長)、山本彰(元世界日報ワシントン支局長)ら保守勢力による反ジェンダーフリー運動の一環であった。八木はこの再版で「ジェンダーフリーの“嘘”を暴いた本書の意義」とする解説をつけ、レイマーの事例は「男らしさ・女らしさ」が生得的に決定されている証拠であり、それらを「社会的につくられた」とみなすジェンダーフリーを誤りだと述べている。
 ところが小山エミは、週刊金曜日2006年9月22日号で「悲劇の意味をすり替えたジェンダー叩き勢力『ブレンダと呼ばれた少年』の著者J・コラピント氏に聞く」と題して、著者コラピントの見解を発表した。

──あなたの本は米国でも保守系団体によって「ジェンダーは生まれつきである」という主張の根拠に援用されているようですがどう思いますか?

JC かれらがわたしの本の趣旨や意義を歪めて自らの政治的アジェンダを推し進めようとしているのにはうんざりしています。本が出てすぐにワシントンで講演に呼ばれたのですが、その場に着いてかれらの前に立つまでそれが過激な右翼グループの集会だとは気付きませんでした。うっかりクリントン大統領(当時)について好意的なことを言ってしまった時は、襲われるのではないかと思ったくらいです。

──『ブレンダ』の日本版は保守系出版社から出ており、第二次大戦中の南京大虐殺や「慰安婦」に対する強制売買春の存在を否定する団体の会長(当時)が書いた、デイヴィッドの件は男女共同参画政策の見直しを迫るものだとする「解説」が追加されていますが。

JC それは本当に困ったことです。はっきり言って、もし予めそのようなおかしな出版社であると分かっていれば、日本版を出してはいなかったでしょう。もちろん、翻訳さえ正確であれば良識ある読者は本文を読んで何を言わんとしているのかちゃんと理解してくれると思いますが、そうと言っても非常に腹立たしいです。出版エージェントに連絡して、その出版社から版権を引き上げられないか調べてもらっているところです。

──最後に、日本の『ブレンダ』読者に対して何かメッセージがあればどうぞ。

JC 本文以外に日本におけるこの本の出版社やその代理人が勝手に追加した部分は全部無視してください。この本をきちんと読んだ読者には、この本が性とジェンダー、同性愛、インターセックス、そして医療における患者の自己決定の権利に関して、寛容さの必要性を訴えていると伝わることを願っています。

写真左:12歳のブレンダ・レイマー。
写真右:18歳のデビッド・レイマー。


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先住民団体元代表、ユダヤ人差別発言で起訴される [人権]


 サスカチュワン・インディアン文化大学の創立などインディアン教育に尽力し、1978年にオーダー・オブ・カナダ勲章を受勲した先住民会議元代表のデビッド・アヘナキューがユダヤ人差別発言で起訴されていた裁判で、サスカチュワン高等裁判所は一審の有罪判決を覆した。

 アヘナキューは2002年12月、サスカチュワン・インディアン連盟におけるスピーチで「糞ったれ(goddamn)の移民ども」「第二次大戦はユダヤ人によって開始され、そして彼らは今第三次大戦を始めようとしている」と語った。
 取材に来ていたスター・フェニックス紙のジェームズ・パーカー記者が閉会後、アヘナキューに発言の真意を問い質したところ、
 「ユダヤ人の野郎ども(Jews damn)は、大戦前にドイツ全土を支配していた。だからヒトラーが出て来たんだ。彼はユダヤ人どもがドイツやヨーロッパ全域を手中に収める前に、野郎ども600万人をぶっ殺そうとしたんだ。ユダヤ人は全世界(goddamned world)を手中に収めていたかも知れない。奴らが何をしているか見るがいい。奴らはアラブで人を殺しまくっている。」
とコメントした。そこでパーカーが
 「どうやってホロコーストを正当化するつもりなんですか」
ときくと、
 「君は蔓延する病原菌をどうやって除去するつもりなんだね?」
と語った。
 また2003年の「マガジン」誌インタビューでは、アヘナキューは「特定の民族グループがメディアをコントロールしている」と語っている。

 アヘナキューの発言は政治家や各民族団体の間で問題視された。彼は「それらの発言は自分の考えを表すものではなく、そのときは興奮していたのだ」として謝罪した。だが2003年6月、サスカチュワン法務省はアヘナキューをヘイトプロパガンダの容疑で起訴した。
 アヘナキューは法廷では謝罪を撤回し、糖尿病と少量のワインが原因だったと抗弁したが、サスカチュワン地方裁判所は2005年7月、アヘナキュー被告に罰金1000ドルの有罪を宣告した。
 この判決を受けクラークソン総督は、彼の勲章を剥奪した。オーダー・オブ・カナダ勲章の剥奪は史上2人目のことである。
 ところが2006年6月の二審では、アヘナキューは記者のテープレコーダを見なかったと証言した。そして被告側弁護士ダグ・クリスティは、被告がテープレコーダを見なかった以上、後日報道されることを予見できず、記者との一対一のインタビューは、刑法が「私的な会話を除き」と規定した免責事項に該当すると主張した。だがパーカー記者は、アヘナキュー被告の目の前でテープレコーダを持っていたと証言した。
 ロバート・レイング判事は、発言は記者との対立の中でなされたもので、刑法が規定する憎悪の「意図的な」促進に該当しない可能性があるとして、一審判決を覆した。
 判決を受けてクリスティ弁護士は「彼の発言は悪いスピーチで、無責任かも知れないが、それが犯罪かどうかは別問題だ」と語った。またカナダ・ユダヤ人会議は「クリスティ弁護士の見解はカナダ刑法のヘイトクライムを脅かすものだ」とコメントした。
 
 
写真:アヘナキュー有罪を報じたフェニックス・スター。


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「アンクル・トムの小屋」をメリーランド州が購入 [人権]


 小説「アンクル・トムの小屋」のモデルとなったジョサイア・ヘンソンの小屋が、史跡として保存されることになった。メリーランド州政府は小屋と隣接する邸宅を100万ドルで購入し、マーチン=ルーサー・キング牧師記念日の1月16日、引き渡し式典が行われた。将来は奴隷制度の博物館として一般に公開する計画だ。
 ジョサイア・ヘンソンはメリーランド州チャールズ郡に奴隷の子として生まれ、タバコ農場で35年間働いた後、カナダのドレスデンに逃亡した。彼は牧師となり他の奴隷の逃亡を支援し、逃亡奴隷のための学校や寄宿舎を建てたほか、アメリカやイギリスを訪問して奴隷解放を訴え、1849年には回想録を出版した。この回想録を元にしたハリエット・ストウ夫人の「アンクル・トムの小屋」は、アメリカの奴隷廃止運動に大きな影響を与えた。
 小屋と邸宅はメリーランド州ノース・ベセスダにあり、ヘンソンの主人であるタバコ農場主アイザック・ライリーが1780年に建てたもの。同州モンゴメリー郡の史跡保存担当グエン・ライトさんによると、当時はタバコ栽培が同州の主要産業の一つで、州内には黒人奴隷を競売にかける奴隷市場もあったという。
 その後何度か持ち主が代わったが、1960年代から邸宅を所有していた夫婦が昨年末に売りに出したのを機に、同州政府が歴史的建造物として保存しようと買い取りを決めた。何度か増改築が行われているが、小屋部分の造りはほとんど変わっておらず、暖炉や地下室の天井など建築当時のままの部分もある。
 今後ヘンソンが住んでいた当時の姿に近づくよう改装する方針で、地元の人々などでつくる実行委員会がコンサルタントの助言を受けながら具体的な保存や一般公開の方法を協議中だという。
 ライトさんは「人種差別に基づく奴隷制度は現代につながる問題。資料を見るだけでなく、講演会や討論会もできるような場にしたい」と話している。
 
 
写真:ヘンソンの小屋の前で彼の肖像画を持つライトさん。


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