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党首選にフューレイ勝利、NL次期首相に [ニューファンドランド]

 ニューファンドランド&ラブラドル自由党党首選が8月5日に実施され、アンドリュー・フューレイ候補が当選した。彼は新型コロナウィルスの流行、原油価格の下落、巨額の財政赤字という困難の中、次の州首相に就任する。
 閣僚たちの不祥事が次々と発覚する中、ドワイト・ボール首相は2月に突如辞任する意向を表明した。次の首相を決めるための党首選が計画されたが、新型コロナウィルスの流行のため、選挙運動は3月23日から6月8日まで中断された。会場となったセントジョンズのコンベンション・センターは、例年と異なり、党役員や報道陣などわずか50人のみ入場を許された。
 投票結果は、アンドリュー・フューレイ候補が2万6443ポイント、ジョン・アボット候補(元厚生副大臣)が1万3557ポイントのダブルスコアとなった。アボット候補は集計が出る前から、当局による不正の可能性を指摘し、信頼できる第三者による監査を要求したが、敗北が決まると「結果に異議を唱えない」「次期首相とともに働いて行くため会談したい」と語った。
 フューレイ次期首相は政治歴のない医師だが、ジョージ・フューレイ上院議長の息子で、チャック・フューレイ元観光・文化・余暇大臣の甥という政治家一家に生まれた。彼は全くの新人で、いかなる選挙にも出馬したことがなく、州議会の議席もない。議員でないと議場に入れないため、まずは議席を得ることが最初の課題となる。
 州法の規定により、総選挙の勝利なしに就任した首相は、1年以内に総選挙を実施し有権者の信を問わなければならない。だが彼は選挙期間中、2020年終わりより早く総選挙を実施するつもりはないと公約した。
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ソンムの戦い百周年「彼らは英雄ではなく犠牲者」 [ニューファンドランド]

 7月1日はカナダ連邦が発祥した建国記念日「カナダ・デー」だが、ニューファンドランドの住人にとっては「メモリアル・デー」である。この日は、今からちょうど100年前の1916年7月1日、「20世紀最大の愚行」と言われるソンムの戦いが始まった日である。
 ニューファンドランド&ラブラドルは当時、カナダ連邦には属してなく、大英帝国の自治領だった。第一次大戦が始まるとニューファンドランド自治領政府は、ニューファンドランド連隊を結成し戦地に送るため、19歳以上35歳以下の男性に志願するよう訴えた。
 すると学生・店員・労働者・教員・漁師などがおおぜい志願してきた。彼らの多くは、戦争は数か月で終わると思っていた。北米で最も貧しい地域を抜け出せればよかったと思うものもいた。中には、入隊するため年齢をごまかした者もいた。戦死したウィリアム・モーガン上等兵は、16歳だった。

 連合軍は、ソンムでの攻撃開始を7月1日と決めた。そして6月25日から砲撃を6日間、昼夜を問わず行った。173万発もの砲弾を撃ち込んだ司令官ダグラス・ヘイグは、ドイツ軍は壊滅したものと信じ、7月1日歩兵隊に突撃を命じた。
 だが兵士全員で作ったイギリス軍の塹壕と異なり、ドイツ軍の塹壕は専門の工兵によって作られ、予想以上に頑丈だった。イギリス軍の突撃を知るや、ドイツ軍兵士は塹壕から姿を現し、機関銃を連射した。イギリス軍兵士たちは、ことごとく鉄条網の前でなぎ倒された。
 ニューファンドランド連隊801名は、ボーモン=アメルの第3波を担当した。彼らは、先に突撃した第1波・第2波の兵士たちが次々と機関銃の餌食になったのを目撃したことだろう。それでも彼らは9時15分ころ、突撃を命じられた。そしてわずか30分で、壊滅した。死者233名、負傷者386名、行方不明者100名以上、連隊の実に4分の1以上が戦死したことになる。翌朝点呼に応じたのは、わずか68名だった。
 第4軍司令官ローリンソンは異常を察知し、攻撃中止をヘイグに具申した。だが司令部のヘイグは15キロ以上後方にあり、前線で何が起きたか全く把握できず、戦闘に犠牲は付きものだとして攻撃を続行した。そのため、一方的な殺戮が一日中続いた。その日ヘイグは本国に報告している。

「今朝の攻撃は大成功である。すべては計画どおり時計の正確さで進められた。ドイツ兵はいたるところで上官の指示に従わず降伏している。敵は兵員が欠乏し他の戦線から部隊をかきあつめている。わが軍の士気は高く、確信に満ちている。」

 実際はこの日、イギリス軍だけで死者1万9240人、負傷者5万7470人、行方不明者2152人を出し、あらゆる戦争の歴史における1日の攻撃側損害の世界記録を樹立した。ソンムの戦いはその後5か月続き、イギリス軍42万・フランス軍19万5千、ドイツ軍は42万という空前絶後の戦死者を出し、連合国軍は歩兵の90%を失った。日露戦争の旅順攻防戦で、機関銃の前に歩兵の正面突撃は無意味であることが実証されていたにもかかわらず、その教訓は生かされなかった。なお旅順攻防戦では要塞を陥落させ旅順艦隊を全滅させたのに対し、ソンムの連合国軍はわずか11キロ前進しただけであった。

 だがソンムの悲劇は、勇気と栄光の美名の下に隠された。国王ジョージ5世はニューファンドランド連隊の健闘を讃え、連隊に「ロイヤル」の肩書きをつける勅許を与えた。現在もカナダ軍の中に、「ロイヤル・ニューファンドランド連隊」はそのままの名称で存在している。
 新聞はソンムの戦いを「連合軍大戦果」と書き立て、被害を矮小化した。ニューファンドランドではかえって、より多くの志願兵が必要だと宣伝された。
 ボーモン=アメルの犠牲もまた、「自由と独立のための戦い」として美化され、小説や歌の題材となった。カナダの退役将校も最近、「ボーモン=アメルで戦死した兵士たちが現在の独立を守った」と語った。
 ニューファンドランドは、小さな島から死者1500人・負傷者2300人を出し、若者の4分の1を失った。それは小さな島の経済に重大な影響を与えた。自治領政府は終戦までに、1500万ドルもの戦債を発売したが、それは政府歳出の4分の1に該当した。世界恐慌のさなか、軍人恩給も支払わねばならず、政府の負債は1932年には1億ドルに達した。政府は恩給を減額しようとしたが、首都セントジョンで暴動が発生し、政府庁舎が暴徒に占拠され、首相が脱出する騒ぎとなった。ニューファンドランド自治領は破産寸前に陥り、1934年ついに責任政府を返上しイギリス直轄植民地に復した。そして1949年には、カナダ連邦に併合された。つまりニューファンドランドは、兵士たちが血で贖った独立を放棄したのである。
 アンソニー・ジャーメインは語る。「彼らは英雄ではない。犠牲者だ。我々が彼らに負っている負債とは、歴史に正直に向き合うことだ。」
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キャシー・ダンダーデイル首相が辞任 [ニューファンドランド]

 ニューファンドランド&ラブラドル州のキャシー・ダンダーデイル首相(進歩保守党)は1月22日、首相と党首を24日に辞任すると発表した。
 ダンダーデイル首相は記者会見で、「旧約聖書は『日の下では、何事にも定まった時があり、全ての営みには時がある』と我々に教えている。公職も同じだと思う。いつ登場し、いつ引き下がるかも承知している。私にとってのその時は、まさに今である」と述べ、マスクラット滝水力発電システムや沖合石油探査などの成果に言及して「最も重要なことは、我々が出発したときより州民は豊かになっているということである」と自画自賛したが、インタビューには応じなかった。

 ニューファンドランド島では2013年12月、強風で送電線が切れたことが原因で島全域が停電となった。復旧作業は激しい吹雪と積雪に阻まれ、公共施設は閉鎖され、フェリーも空の便も運休となり、ほとんどの住民は電気のない自宅に閉じ込められることになった。2014年1月初めには、機材の故障のため交代で停電が実施されたが、首相はフロリダにいて、連絡がつかなかったという。
 ここ半年間で、与党進歩保守党の支持率は目に見えて低下している。2013年11月のカーボネア=ハーバーグレイス選挙区の補選で敗北したことで、党内ではダンダーデイル党首のままでは次の選挙は戦えないという声が挙がった。ダンダーデイル内閣で厚生大臣を務めたポール・オーラム氏も、首相は辞任すべきだと公然と語った。だが首相は住民が寒さに苦しんでいる中、テレグラム紙のインタビューで「次の総選挙まで首相職に留まる」と明言した。
 だが首相の最も忠実な部下であるポール・レイン院内幹事長が、1月20日に自由党に電撃的に移籍したことで、首相は孤立無援に陥った。レイン議員は「この政権は進むべき道を失い、住民の声に耳を傾けることを怠っている」と語った。

 後任の首相には、トム・マーシャル財務大臣が就任する。次の総選挙は2015年10月13日に予定されていたが、選挙法の規定により、新首相就任後1年以内に実施しなければならない。
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ウィリアムズNL州首相が辞任 [ニューファンドランド]

 11月25日、ニューファンドランド&ラブラドル州のダニー・ウィリアムズ首相が、12月3日をもって首相を辞任し政界から引退すると発表した。
 彼が引退を決意したのは、18日にチャーチル川の水力発電プロジェクト合意を見たことで、ちょうどいい潮時だと判断したのが理由だという。このプロジェクトにより、ラブラドルのチャーチル川にあるマスクラット滝で発電された電力は、ニューファンドランド&ラブラドル州がその40%を獲得する。電力はその後海底を通ってニューファンドランド島を経由し、20%がノバスコシアに送られ、残りの40%はカナダ東部州やアメリカ北東部州に送られることになる。
 ニューファンドランド&ラブラドル州は、カナダで唯一戦後に加入した州である。長い間イギリスの植民地であり、カナダの中央から遠く離れた島である同州は、独特の歴史と独特の訛りを持っているとともに、カナダで最も貧しい州の一つでもある。ウィリアムズ首相は、いつまでも国に援助される存在である州のあり方に疑問を抱き、ニューフィーズとしての誇りを持つことができるようにしたいと考えたことが、政界入りした理由だという。

 彼はメモリアル大学で政治と経済学を学び、オックスフォード大学とダルハウジー大学で法律を修め、弁護士となった。その後はケーブルテレビ「ケーブル・アトランティック」を開業し、これを2000年に2億3200万ドルで売却して「億万ドルのダニー」の異名を取った。
 この資金で政界に進出し2001年、ニューファンドランド&ラブラドル進歩保守党の党首に就任。2003年州議会選挙で圧勝し、首相の座に就いた。
 ウィリアムズ首相はまた、ケンカ野郎として名を馳せた。2004年には、石油資源による収入は地方交付金に計上しないという大西洋協定をめぐって連邦のマーチン首相と争い、州政府ビルからカナダの国旗を撤去させた。
 2006年には、プリンスエドワード島で開催されたポール・マッカートニーのライブに登場し、マッカートニー夫妻とアザラシ猟をめぐる公開討論に応じた。
 2007年には、大西洋協定違反を理由に連邦保守党を告訴した。さらに2008年下院選挙では、ニューファンドランド&ラブラドル進歩保守党は本来なら連邦保守党を支援するところを、有名な「ABCキャンペーン」(Anything But Conservative〔保守党以外誰でも〕)を行い、州内の保守党候補全員を落選させ、保守党過半数の野望を挫いた。
 2008年にはニューファンドランド&ラブラドル州は、史上初めて「持たざる州」としての地位を放棄し、平衡交付金の受け取りを拒否した。
 2010年、ウィリアムズ首相は心臓手術を州内の病院ではなくフロリダで受けたことで、カナダの医療を信用していないと非難されたが「私の心臓、私の選択」と抗弁した。

 ウィリアムズ政権下においてニューファンドランド&ラブラドル州は、石油資源で潤い、持たざる貧しい州から持てる豊かな州へと変貌した。ニューフィーズであることを誇りに思えるようになりたい、ウィリアムズ首相はそんな気持ちを「民族としての誇り」と呼んだ。彼は引退を表明するにあたり、こう述べた。
「ニューファンドランドとラブラドルの人々へ。あなたたちは、あなたたち自身の運命の主人でありたかった。我々が何のために戦ってきたか、わかっているはずだ。」
「我々は今や『持てる州』となった。カナダ人は、我々を対等の人々として見るだろう。」

 新しい党首が選出されるまで、キャシー・ダンダーデイル副首相が暫定党首と首相に就任する。彼女は州で最初の女性首相となる。また州議会に議席を持つ三大政党は、いずれも女性が党首となる。
 党首選には彼女のほか、ジェローム・ケネディ厚生大臣、ロヨラ・サリバン元財務大臣、トム・ライドアウト元首相、トレバー・テイラー元運輸大臣が立候補するものとみられている。


【参照】 ウィリアムズNL首相、“ABC”を政党登録
http://blog.so-net.ne.jp/canadian_history/2008-09-18
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19歳の市長、くじ引きで幻に [ニューファンドランド]

3261370 9月29日に行われたニューファンドランド&ラブラドル州のパラダイス市長選で、一時は当選者とされたカーティス・クームズ候補の落選が確定した。カナダ史上最年少19歳の市長誕生は、幻となった。
 パラダイス市長選は当初、現職のラルフ・ワイズマン候補の圧勝と思われていた。ところがパラダイスは、海底油田開発によってブームタウンとなり、人口1万4000人の都市でここ2年間に新しい家が1000軒も建てられ、上下水道の整備が遅れていた。
 メモリアル大学に通うクームズ候補は、いかなる党派からの支持も受けず、泡沫候補と見られていたが、個別訪問を通して上下水道の整備を約束し、支持を広げてきた。
「人々は初めは懐疑的だったが、私の話を聞くうちに、次第に私が町を心配している本物の候補だと思うようになった。」
「私はこれまで、学業とアルバイトとボランティア活動を両立してきた。公務と両立できないと思っていたら、立候補はしていない。」
 9月29日の集計結果は、クームズ候補1821票・ワイズマン候補1818票と、3票差でクームズ候補を当選者とした。アラン・イングリッシュ市会議員はこの結果を、インフラ整備の立ち遅れに対する現職市長への抗議投票だと分析した。
 ワイズマン候補は「対立候補は、ネガティブ・キャンペーンに終始していた。しかし私は有権者に対し、非常に正直かつ誠実で、有権者が望めることを語ってきた」とコメントし、同時に投票の数え直しを要求した。
 ところが10月1日の再集計は、両者同数となった。ニューファンドランド&ラブラドル州選挙法は、同数の場合は抽選を行うことを定めている。くじ引きの結果、ワイズマン候補の名を記した紙が引かれた。当選からわずか1日で奈落の底に突き落とされたクームズ候補は、裁判所による再集計を要求した。
 10月6日、裁判所は再集計を命じた。10月13日に再集計した結果は、やはり両者1821票の同数となった。市長は投票の14日以内に宣誓することが法律で定められており、この日はその最後の日だった。選挙管理委員会は、ワイズマン候補を当選者と決定した。


写真:カーティス・クームズ候補。
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