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ケベック連合のフォルタン議員が離党 [ケベック]

 ケベック連合のジャン=フランソワ・フォルタン議員は8月12日、離党を発表した。彼は以下の声明を発表いた。
「私が信じていたケベック連合は、もはや存在しない。マルオ・ボリュー新党首は、一元的で非妥協的なアジェンダを押し付けている。彼は、独立派を結集ではなく、分断しているのだ。」
 4人しかいなかった同党議員は、党首選で誰一人としてボリュー氏を支持しなかった。彼らは当選したボリュー党首の下に、しぶしぶ従っているだけだという。
 2013年9月には、マリア・ムラニ議員がケベック価値憲章を批判して、ケベック連合を除名されている。彼女は同年12月、ケベック人のアイデンティティ擁護のためには「権利と自由のカナダ憲章」が有効であり、今後は独立を支持しないと発表して、人々を驚かせた。
 フォルタン議員は今後は無所属となり、ケベック連合議員は3人となる。
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ボリュー党首猛進するも、分裂に向かうケベック連合 [ケベック]

 次の総選挙は1年以上先かもしれないが、ケベック連合のマリオ・ボリュー新党首は早くも個別訪問を始め、彼のプライオリティであるケベック独立を熱心に布教している。彼は個別訪問を通じて、次の総選挙では20議席程度獲得できそうな手応えを感じていると語った。
 だが世論調査は、ケベック連合のプライオリティを独立とするボリュー路線を、ケベック州民のわずか19%しか支持していないことを示した。そして政党支持率も、新民主党34%・自由党34%・保守党12%に対し、ケベック連合はわずか17%と振るっていない。
 新民主党のアレクサンドル・ブレリス議員は、(ローズモン=ラ・プティット・パトリ)選挙区では誰もケベック連合を話題にしていないと語った。

 ボリュー党首は党首選で、4人いる議員の誰一人からも支持されなかった。彼はこれまでの党の20年の歩みを「ケベックの利益ばかり求め、独立を前面に押し立てて戦おうとしなかった敗北主義」と酷評し、長老たちの怒りを買った。モントリオールの新聞「ラ・プレス」紙は、数人の元議員がすでに次の総選挙出馬を断念していると報じている。そのうちの一人マルク・ルメイ前下院議員は、ボリュー氏が党首であるかぎり出馬しないだけでなく、別の候補を擁立することも、資金を集めることもしないと述べた。
「ケベック連合は独立のための牽引車でなければならないというのは誤りだ。それはケベック党のすることだ。ボリュー氏は、州議会選挙に出馬すればいい。」
 また彼は、ボリュー党首のスタッフの多くが都市出身であり、ケベック連合の主戦場である地方出身者がいないと警告した。
 ボリュー氏を「道化」と呼び、党役員を辞任して議員たちに新党結成を呼びかけたブルーノ・グルニエ氏もまた、ボリュー体制に従うことを拒否した。彼はこう語った。
「私は心から、独立を達成したいと思う。だが私は、みんなでそれを達成したいと思う。」
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ボリュー次期党首に異論相次ぐ [ケベック]

 ケベック連合が独立を成し遂げられなかったという理由で、同党の過去20年の歩みを全否定したマリオ・ボリュー次期党首に対し、2人の重役が辞任を突きつけた。ボリュー新体制は、発足前から早くも前途が危ぶまれている。

 オシェラガ支部長のジェリー・ボードワン氏は、党首選の翌日離党すると発表した。またブルーノ・グルニエ氏も同日、facebookでボリュー次期党首を「道化」と呼び、翌日党役員を辞任すると発表した。二人とも、ボリュー新党首の下で戦うことはできないと述べた。
 ケベック連合党首を15年務めたジル・デュセップ元党首は、ボリュー氏の演説に激怒した。
「私は“Nous vaincrons”と叫ぶ人々に同調できない。我々は、それが何を意味するか知っている。それは完全に無責任で、非良心的である。」

 ボリュー次期党首は、弁明に追われた。
「党首選で言われたスローガンは、ケベック解放戦線へのシンパシーを意味するものではない。」
「私が言いたいのは、独立問題を常に第一に掲げなければならないということだ。」
「デュセップ氏は多くのことを成し遂げた偉大なリーダーだった。」
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ケベック連合党首に強硬独立派のボリュー [ケベック]

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 6月14日に実施されたケベック連合党首選で、強硬独立派のマリオ・ボリュー候補が53.5%の票を獲得し、当選した。彼は25日に、正式に党首に就任する。
 当選を決めた彼は、こうスピーチした。
「ケベック連合は、独立運動を再スタートさせるモーターになる。我々はこのときを20年間待ち続けたが、それももう終わりだ。」
「我々は今後、まず独立について語り、それから選挙の心配をする。」

 ケベック連合は、結党以来常にケベックの第一党であり続けたが、2011年総選挙で4議席に転落した。友好関係にあるケベック党も、今年4月の州議会選挙で1970年以降最低の得票率に沈んでいる。多くの批評家は、独立はもう票にならないのではないかと疑っているが、ボリューの支持者に言わせると、これまでの敗北は独立を最重要問題としなかったことにあるのだという。
 党首選に立候補したもう一人はアンドレ・ベラバンス議員で、彼は残り3人の議員全員に支持されたにもかかわらず、落選した。ボリューは、強硬独立派サン=ジャン=バチスト協会の元代表として知名度があり、党青年部に支持された。

 ボリュー次期党首が「これまで20年間独立論争を避けてきた敗北主義に訣別」と語ったことに対し、ジル・デュセップ元党首は憤慨した。
「私への、ルシエン・ブシャールへの、ミシェル・ゴーティエへの、ダニエル・パイエへの侮辱だ。『20年間の敗北主義』は嘘であり、純粋なデマゴーグだ。」
 また、ケベック解放戦線が十月危機の際に用いたスローガン“Nous vaincrons”(我々は勝利する)をボリュー陣営が用いたことについて「無責任で非良心的」であり、とうてい容認できないと批判した。
 いっぽう保守党のケベック副官ドニ・ルベール氏は、「ケベック人は、古い喧騒には飽き飽きしている。ケベック連合の時代は、もう終わった」というコメントを発表した。
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デュセップ氏、ケベック党党首選出馬を否定 [ケベック]

 ケベック連合元党首のジル・デュセップ氏は5月13日、噂されていたケベック党党首選出馬を公式に否定した。彼は7月に「ヒラリー・クリントンと同じ67歳」になると言及したが、年齢が理由ではないと説明した。
「党首は、すでに当選した人が望ましい。ケベック党は、党内で議論する必要がある。党首選は人気投票であるべきではない。」
 デュセップ氏は、2011年の連邦議会選挙で大敗して党首を辞任したが、たびたびケベック党党首選出馬を噂されてきた。
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価値憲章、法務省に諮問していなかった疑い [ケベック]

 2013年9月に発表された、公務員による宗教的シンボル表示の禁止を謳ったケベック価値憲章は、ケベック党政権が4月の総選挙で敗北し下野したことで葬り去られたが、憲法が規定した信教の自由・男女の平等などに抵触するおそれがあるとして、ケベック法曹協会などからその合法性を疑問視されていた。だがケベック党政権は、合法性についてはすでに法務省に諮問済みだと公表してきた。
 ところがステファニー・バレー法務大臣は先週、法務省は憲章の合法性について答申しなかったとする法務副大臣の手紙を公表した。

「法務省の法律家は毎日、この法案にまつわる男女の平等・信教の自由・(筆者注※1982年憲法第33条1項の)適用除外条項の行使などに関する幾多の疑問について協議した。(中略)しかし法務省は、法案の合憲性および合法性に関する公式の法的見解は答申していない。」

 前政権で憲章担当だったベルナール・ドレンビル前市民権担当大臣は、悪評高い憲章との関係を断ち切りたかったのか、これまで沈黙を保ってきたが、州会議員辞職の声が上がると、5月6日ついに沈黙を破り、合法性について法律家のアドバイスを事前に受けているという従来の主張を繰り返した。
 「ブシャール=テイラー委員会」で知られる著名な歴史家でケベック独立派のジェラール・ブシャール氏は、ドレンビル前大臣は「大多数のケベック人を移民とマイナリティに挑ませようとした、刺激的でまぎらわしい文書」について責任があると非難し、議員辞職を呼びかけた。
「民衆を偽善と非寛容とアマチュアリズムに先導した者たちは、全て去るべきだ。恥ずべきデマゴーグに関与し、嘘を大衆に広めた者たちが公僕にふさわしいかどうか、我々は問わなければならない。」
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マロワ首相、引退を表明 [ケベック]

 ケベック州のポリーヌ・マロワ首相は4月16日、フィリップ・クイヤール次期首相との会談後、政界引退を表明した。
 彼女は落選してすでに議員の身分を失い、ステファン・ベダール議員が院内リーダーを務めている。マロワ夫人は6月7日の党会議まで党首にとどまり、その後は党大会で正式な時期党首が決まるまで、ベダール議員が暫定党首を務めることになる。
 首相は会談の後、メディアの質疑応答に感極まり、涙を流した。
「短いリタイア期間を経て、私はまだケベックに奉仕したかったので、政界に復帰してまもなく7年になります。それ以来、皆さんご存知のとおり、幾多の出来事がありました。そして、それらすべてが順風満帆というわけではありませんでした。でも私は、何も後悔していません。」
「私は、独立は常に重要な問題であり続けると考えています。これからも多くの指導者と市民が、独立のために戦い続けると確信しています。私には、それがいつかはわかりません。私には、その方法もわかりません。しかし確実に言えることは、私たちが独立しているなら、私たちはベストの状況にあるということです。私は、そう確信しています。私たちは、異なる存在です。私たちは、国家です。」
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自由党過半数、ケベック党惨敗でマロワ首相失脚 [ケベック]

 4月8日に行われたケベック州議会総選挙は、ケベック自由党70議席(41.4%)、ケベック党30議席(25.4%)、ケベック未来連合32議席(23.35%)、ケベック連帯3議席(7.4%)(定数125議席、括弧内は得票率)という結果となり、自由党のフィリップ・クイヤール党首が次の首相に就任することが決まった。
 政権奪回が明らかになると、クイヤール党首は英語で宣言した。
「我々の言語(筆者注※単数形)と我々の旗は、全てのケベック人のものである。我々は皆ケベック人である。我々は、皆をまとめていくことに努める。」
 そして今度は、フランス語で宣言した。
「分裂は終わった。」

 「史上最も汚い選挙」と言われた今回総選挙について、多くの批評家は自由党の勝利ではなく、ケベック党の自滅と見ている。ケベック党は、地方で右の支持者をケベック未来連合に、モントリオール島で左の支持者をケベック連帯に譲った。最大の敗因は、マロワ首相の配慮にもかかわらず、ハンサムなスター候補者ペラドー氏が暴走したことにある。ケベック党支持者は学生運動や労働運動の経験者が多いが、金持ちの家に生まれ労組を弾圧し続けた彼を起用したことからして、党首は責任を問われるだろう。
 マロワ首相が真に争点としたかった価値憲章も、その支持者であるTVホスト、ジャネット・ベルトラン氏の「金持ちのマギル大生」「イスラム教徒にプールを占領される」という暴言で、台無しになった。マロワ首相は敵ではなく、味方に足元をすくわれた形となった。
 最大の自殺点を挙げたペラドー氏が当選したのに対し、マロワ首相はシャルルボワ=コート・ド・ボープル選挙区で落選し、党首辞任を表明した。貧乏人の子沢山の家に生まれ、苦学して大学を出てソーシャルワーカーとして働き、政界に進出してからは要職を歴任したマロワ首相は、わずか18か月で政権の座を降り、議員の資格も失って長い政治生命を終えることになる。彼女は18か月の政権を振り返り、誇りに思うが、フランス語の増強を十分にできなかったことが唯一心残りだと述べた。
「400年の間、我々は北米で美しい言語を話してきた。始めはわずか数百であった。そしてあらゆる試練と障害を乗り越え、我々は今に続いている。我々が歩んで来た全ての苦闘を、決して忘れてはならない。あらゆるところで我々はフランス語を、語り、保持し、死守し、促進し続けなければならない。」

 連邦政界からは、今回の政権交代を歓迎する声が相次いだ。連邦のスティーブン・ハーパー首相(保守党党首)は、次のように述べた。
「結果は明らかに、ケベック州民が住民投票を拒否し、経済と雇用に専念する政権を求めている。」
 ケベック人である連邦自由党のジャスティン・トルドー党首は、こうコメントした。
「ケベック州民は今日、3度目の住民投票ではなくよりよい経済に一票を投じ、真の問題に対処するためクイヤール新首相とケベック自由党に強い支持を与えた。」
 同じくケベック人である新民主党のトム・マルケア党首は、こう語った。
「昨年夏から私が言ってきたように、ケベック有権者はマロワ夫人の否定的な分断政治を拒否するだろうという強い確信があった。私の仲間であるケベック人が統一と受容を選んだことを、誇りに思う。」

 ケベック政治において、「第三の道」は成功しないと言われてきた。自由党が過半数に達しない場合、第三党のケベック未来連合は自由党に吸収されるのではないかという懸念があったが、本来はケベック党の基盤である地方在住フランコフォンの支持を取り込み、ケベック党の支持率と議席に迫った。その反面、前回9議席を獲得した本拠地ケベック市において、4選挙区で自由党に競り負けた。
 ケベック党は2003年に政権を失って、9年半ぶりに政権奪回したものの、わずか18か月で政権の座からすべり落ちた。ケベック州で再選されず1期で退陣する政権は、政権を1966年6月に獲得し70年5月に失ったユニョン・ナショナル政権以来、48年ぶりとなる。また得票率25.4%は、ケベック党が初めて州議会総選挙に挑んだ1970年を除き、過去最低の数字である。実は1995年の住民投票以来、ケベック党は一度も得票率1位になっていない。過半数を獲得した1998年総選挙ですら、得票率42.9%は自由党の43.6%を下回った。
 ケベック党は、かつては学生運動家の巣窟だったが、今では50代ベビーブーマーの党である。独立を掲げず価値憲章を掲げたマロワ路線の破綻は、党内穏健派の後退を意味する。「価値憲章」のたぐいは、当分の間出て来ることはないだろう。ケベック党は今後、ハードコア独立派が巻き返し、より先鋭化・カルト化することが懸念される。「第三の道」とは、ケベック党の未来ではないかとの声も聞かれる。
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ケベック党、あす歴史的敗北へ [ケベック]

 選挙戦の初めにマロワ首相は、「これは(議員を選ぶ)選挙であって、(独立を問う)住民投票ではない」と説明した。だが住民投票を実施しないと約束できるかと問われると、「するともしないとも明言しない」「適切な時期が来るまで実施しない」という、玉虫色のコメントに終始した。それは、「実施する」と明言すれば独立を恐れる層を取り逃がし、「実施しない」と明言すれば熱烈な独立派を取り逃がすという事情から来たものだった。
 選挙戦が始まって5日目、ケベコー財閥総帥ピエール・カール・ペラドー氏の出馬が、選挙戦の流れを決定づけることになった。彼の候補擁立は、ケベック党がただの革新政党ではなく、財界にも支持されている証明になるはずだった。ところが金持ちでハンサムな彼は、ただ愛想を振りまいてさえいればよかったのに、ケベック経済再生について熱弁をふるい、さらに「ケベックを国にしたい」と禁句を口走った。
 アメリカのジャーナリストのマイケル・キンズレーは「政治的失敗とは、政治家がうっかり本当のことを言うことである」と語った。マロワ首相の配慮にもかかわらずペラドー氏の告白は、この選挙の争点をケベック独立問題として決定づけた。
 自由党のボブ・レイ前党首は彼を「三塁ベース上で生まれていながら、自分で三塁打を打ったと思い込んでいる男」と評した。彼がケベック党から出馬したのは、どう考えても間違いとしか思えなかった。同じ左翼の独立派である少数政党ケベック連帯は、ペラドー氏が組合潰しを続けて来た過去を取り沙汰し、ケベック党支持者の取り込みを目論んだ。この戦略は功を奏したようで、前回総選挙で得票率6%だった同党は、支持率を13%にまで上昇させた。
 ケベック党創設メンバーで離党したジャン・ドリオン氏は、「ラ・プレス」紙に「スカーフやキッパを恐れる人々は、あらゆることに、彼ら自身の影ですら恐れる」と綴った。マロワ首相が真の争点にしたかったケベック価値憲章は、ケベック社会において圧倒的多数を占めるフランス文化が、圧倒的少数民族からの脅威にさらされているという理由で、彼ら少数派を合法的宗教差別の対象とするものであり、価値憲章が制定されれば、ヘジャブやニカブやターバンのような宗教的シンボル-ただし十字架を除く-が魔法のように官庁・病院・学校から消えるという幻想を、有権者に信じさせるものである。
 マロワ首相は、価値憲章によって誰も解雇されることはないと説明した。だが官庁・病院・学校でヘジャブやニカブやターバンが禁止されれば、イスラム教徒やシーク教徒の従業員は、退職することになる。そして首相は、それらの人々は「民間部門」で職探しを「援助」されるという。有権者は、このような欺瞞を見抜いていた。
 マロワ首相は、しばしば「適用除外条項」に言及した。これは1982年憲法第33条1項に規定されている、州政府は1982年憲法第1章に反する立法措置を取ることができるという法律上の自己矛盾であり、連邦政府と州政府が憲法制定のために仕組んだ妥協の産物である。ケベック州は今もこの憲法の批准を拒否しており、憲法を批判し、ときには侮辱さえしておきながら、適用除外条項だけは受け容れているというのである。
 総選挙が公示された日、フランス・シャーボノー判事は、選挙に影響を与えかねないため、長年続いている横領捜査を一時中止すると発表した。これは、自由党に有利になるはずだった。マロワ首相は、自由党政権の過去の腐敗を何度も口にした。だが元モントリオール警察署長ジャック・デュシェスノー氏は3月21日、「ケベック党が自由党だけの問題だと思うのは大きな間違いだ」と語った。マロワ首相の夫クロード・ブランシェ氏が企業から献金を受け取っていた事実が発覚したのは、そのわずか4日後のことだった。マロワ首相は一転して、守勢に立たされた。

 マロワ首相は、過半数を取れるつもりでいた。しなくてもいい総選挙を行い、立てるべきでない候補を立てて、言うべきでないことに言及した。ケベック党は明日、歴史的敗北を喫するだろう。独立を封印して戦い敗れれば、ハードコア独立派は黙ってはいまい。マロワ首相は党首に留まることはできず、辞任することになるだろう。彼女は長い政治歴を、惨めな敗北で終える。そしてこれは、党内穏健派の破綻をも意味する。
 ケベック党には、2つの道がある。一つは、存在理由を失って四部五裂する道。もう一つは、ハードコア独立派が実権を奪回し、より先鋭化・カルト化する道である。どちらの場合でも、同じ左翼で独立志向のケベック連帯が、ケベック党支持者を吸収することになる。
 自由党が過半数を獲得できなかった場合、ケベック未来連合との連立が話題にのぼることになる。ケベック未来連合は、政策的に自由党と極めて近いことから、同党が議席を減らした場合、相当な人数が自由党に移籍し、同党は消滅する可能性がある。ルゴー党首が議席を維持できるかどうかが、重要なポイントとなる。
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【世論調査】自由党、過半数獲得の勢い [ケベック]

 イプソス=リード社が3月28日から4月1日にかけて、1012人のケベック州民を対象に実施した世論調査は、主要政党支持率が自由党37%(37%)、ケベック党28%(32%)、ケベック未来連合19%(16%)、ケベック連帯13%(10%)(括弧内は2週前の結果)となり、自由党がケベック党へのリードを拡げ、過半数を獲得する勢いにあることを示した。

 過半数獲得を期して解散・総選挙に打って出たマロワ首相は、「ケベック独立」を封印して戦うつもりだったが、ハンサムな実業家ピエール・カール・ペラドー氏がケベック党から出馬し、独立を露骨に訴えたことで、流れが変わった。「ケベック党が過半数を獲得すればやっぱり住民投票になる」と強く印象づけてしまい、首相の意に反し独立問題を今回総選挙の最大の争点にしてしまった。マロワ首相に注意され、前言を何度も翻すペラドー氏は「フィリップ・フロップ」などと揶揄された。またテレビ討論では、マロワ首相が政治資金問題について守勢に立たされ、同党支持者をケベック未来連合支持に向かわせる結果となった。
 世論調査は、フランコフォンの間でケベック党と自由党の支持率が31%で並ぶという、かつてない結果を示した。
 イプソス=リード社ケベック支店長のリュック・デュラン氏は、自由党の支持者がしばしばケベック未来連合に流れるように、ケベック党が総選挙に勝つにはケベック連帯支持者の「戦略的投票」を得るしかないと説明した。
 「ペラドー氏の立候補はケベックのために良かった」という意見に同意する人は46%、同意しなかった人は54%となり、有権者の過半数が同氏の立候補を、敵を利したと評価した。
 またケベック州民の72%は、「州議会選挙でケベック党に投票することは、住民投票実施に投票するのと同じだ」と考えていることがわかった。しかし「ケベック党政権が再選されたら、独立を問う住民投票を実施すべきだ」と考える人は、ケベック州民のわずか18%、ケベック党支持者の間ですら40%しかいないことがわかった。
 「ケベックは正しい方向に進んでいる」と回答した人は33%、「間違った方向に進んでいる」と回答した人は67%だった。
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ケベック州議会総選挙へ、ケベック党過半数の見込み [ケベック]

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 ケベック州のポリーヌ・マロワ首相は3月5日、ピエール・デュシェーヌ副総督に州議会の解散を要請し、承認された。州議会総選挙は4月7日に実施される。解散時勢力はケベック党54、自由党49、ケベック未来連合18、ケベック連帯2、無所属2(定数125議席)。

 過半数割れのマロワ政権は、予想通り2年と続かなかった。マロワ政権は2月20日に予算案を上程したが、野党が過半数を占める状況では前途多難である。いっぽう世論調査では、ケベック独立への支持が1980年・1995年住民投票実施時に迫る40%にも達した。政党支持率でも、与党ケベック党は今年に入ってトップを奪った。2月16日に実施されたCROP社の政党支持率調査は、ケベック党40%、自由党34%、ケベック未来連合16%、ケベック連帯7%となり、今総選挙を実施すれば、ケベック党が過半数を獲得することも夢ではない。

 マロワ首相はこの総選挙を、雇用・経済とケベック価値憲章を争点に戦うつもりであり、独立については言葉を濁している。
「住民投票が必要なら、我々は立ち止まって住民の意見を聞く機会を持つ。そして住民がその必要がないと判断するなら、我々もそれをしない。」
 だが首相は、何を基準に公聴会を開催するかについて明言することは拒否した。
「我々は、非公開のドアの内側で何かをするつもりはない。我々が、闇の中で行うことはない。我々は、コンセンサスを必要とする。住民投票を実施するとは約束しないが、実施しないとも約束しない。」

 ケベック党は、1968年に結成された。日本で学園紛争が盛り上がっていたころ、ケベックでも民族主義が沸き上がり、若者たちはケベック党を通して活動した。同党は1976年に初めて政権を獲得し、以後二大政党の一角として、常に与党か野党第一党であり続けた。
 だが独立運動の情熱は、1980年と95年の住民投票における二度の敗北で燃え尽きた。かつての独立の闘士たちは初老にさしかかり、独立への支持は年々減少し、党員も減り続けた。そして2007年州議会選挙で、ケベック党はついに野党第二党に転落する。
 この苦境の中、マロワ夫人がケベック党初の女性党首に就任する。彼女は、住民投票で独立を問う手法は結論が出たものとして、独立を前面に押し出さず、もっぱら社会保障制度を争点とした。するとパリゾー元党首らハードコア独立派は、ケベック党が独立を訴えないのは結党精神の否定だとして、しばしばマロワ降ろしを画策した。
 しかしマロワ党首は、2008年州議会選挙で議席を上積みし、野党第一党に復帰した。2012年州議会選挙ではついに政権を奪回し、パリゾー元党首らのうるさ型を黙らせた。そして首相に就任すると、独立を訴えるのではなく、ケベック価値憲章を発表し、フレンチ民族主義に訴えたのである。これはいかにも、独立論争を避け続けてきた彼女らしい政策だった。(奇妙なことに、パリゾー元党首らは価値憲章に反対している)
 フランコフォン人口は減り続けているが、彼女はケベック党の支持基盤であるその中で、支持を2倍にしようと努めた。そのいっぽうで、独立を否定も肯定もしないという巧妙な戦術を用いることで、ケベック党支持者を失望させることなく、ケベック未来連合支持者の取り込みを図ったのだ。価値憲章は、55歳以上の有権者の間では66%もの支持を受けている。

 イブ=フランソワ・ブランシュ環境大臣は、ケベック党が1976年に初めて政権を獲得したときから、政権奪取するたびに必ず住民投票を実施してきたと指摘し、次のように述べた。
「ケベック党が4月に勝利すれば、この伝統に従うようマロワ首相への圧力は強まるだろう。ケベック党を設立した世代の者たちは、バケツを蹴る(「死ぬ」のスラング)前に最後の缶を蹴ることを望むに違いない。」
 マロワ首相が独立への態度を曖昧にしているのに対し、自由党のフィリップ・クイヤール党首は、露骨に警告した。
「彼らは、住民投票を行うためにケベック党に加わった。彼らは、ケベックをカナダから切り離そうとしている。考え違いはやめよう。現実を直視しようではないか。」
 そして経済こそが真の争点だとして、カナダ銀行エコノミストのマルタン・コワチュー氏が自由党のスタッフに加わったことを発表し、こう述べた。
「投資家がケベックに投資するかどうかを考慮するとき、政情安定は非常に重要な要因である。」
 かつてシャレー前首相が、選挙に勝つために州議会を解散し予定されていた総選挙を前倒ししたことについて、マロワ党首は批判した。そしてマロワ首相は2013年に、選挙日固定法を成立させたが、彼女自身が選挙に勝つために州議会を解散したのは、公約違反であると、ケベック未来連合のフランソワ・ルゴー党首は主張した。
「私は、その法の精神に何も優先されるべきだとは思わない。」
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図上:「アルコールのないビール・・・」「砂糖のないキャンディー・・・」「独立を訴えないケベック党マニフェスト!」
図下:スイスのダボス会議に出席した後、土産店で「宗教的シンボルを表示しない土産はないの?」と無理を言うマロワ首相。
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ケベック連合のパイエ党首辞任 [ケベック]

 ケベック連合のダニエル・パイエ党首は12月16日、癲癇を理由に党首を辞任した。
 パイエ党首は2011年12月、総選挙で大敗して辞任したジル・デュセップ党首の後を受けて党首に就任した。だが彼は連邦議会に議席がなく、その後補選にも出馬しなかったため、議席を持たないまま退任した。
 結党以来ずっとケベック州の第一党だったケベック連合は、現在わずか4議席しかない。2013年2月、新民主党を離党したクロード・パトリ議員を受け入れ5議席となったが、9月にはケベック党政権の「ケベック価値憲章」を批判したマリア・ムラニ議員を除名し、4議席となっている。最近の世論調査でも、ケベック連合の支持率は17%で、自由党の36%・新民主党の30%に遠く及ばない。
 ケベック連合議員の中からは、党首の成り手がいないという声も挙がっている。ある人々は、依然としてケベックのカリスマであるデュセップ元党首の名を挙げる。彼はいまだ定職に就いていないが、ケベック価値憲章に反対を明言していることから、彼が党首に就任すれば、ケベック独立派の間に分裂をひき起こすことになるだろう。
 ケベック連合は、新しい党首の選出プロセスを、1月上旬に発表する。
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【世論調査】価値憲章にカナダ人の4分の3が反対 [ケベック]

 イプソス・リード社が10月1日に発表したオンライン世論調査は、ケベック党政権が発表した「ケベック価値憲章」案にカナダ人の4分の3が反対していることを示した。

 カナダ全土で、宗教的シンボルを着用する公務員が解雇されることに同意した回答者は28%、同意しなかった回答者は72%だった。
 憲章への支持が最も高かったのはケベックで、同意した回答者は38%、同意しなかった回答者は62%だった。
 ケベック以外では、同意した回答者はブリティッシュコロンビアで22%、東部で16%、オンタリオと中西部では28%だった。
 外国生まれのカナダ人は、憲章への支持がいくぶん強く、同意した回答者は35%だった。

 ジャック・パリゾー元首相、ルシエン・ブシャール元首相らケベック政界の巨頭も、価値憲章に異論を唱えている。多くの批評家は「価値憲章」は成立しないと考えているが、それでもマロワ首相がこれを推進するのは、独立を声高に叫べない彼女が、党支持者や党内ハードコア独立派に民族主義的政策をアピールする必要があるからというのが実情である。
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十字架の撤去を求めトップレスに [ケベック]

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 ケベック州議会で10月1日、ケベック党政権が発表した「ケベック価値憲章」案に抗議して3人の女性がトップレスになり、警備員に取り押さえられた。

 ポリーヌ・マロワ首相が議会で答弁している最中、フェミニズム団体「フェメン」のメンバーが上着を脱いでトップレスになり、“Crucifix, décâlisse!”(十字架を撤去しろ!)と叫んだ。
 「フェメン」は女性差別・セックスの商品化に反対するフェミニズム団体として、2008年にウクライナで創設された。当初は女子大生が下着姿で抗議していたが、やがて上半身の裸体に抗議スローガンを書いて表示する手法が定着した。フェメンは、イスラム教徒による女性支配に抗議して「トップレス・ジハード」を行うと宣言しているため、イスラム教徒に攻撃的なケベック党には好意的に思われるかもしれないが、この日抗議したメンバーは、ケベック党政権が公共の場でのベールやニカブを禁止しておきながら、十字架は民族的遺産だから問題視しないというダブルスタンダードを糾弾した。
 上半身に“Crucifix, décâlisse”と書いて露出したジュリー=アン・ボーラックさんは、釈放された後こう語った。
「ケベックで聖教分離を進めるという憲章が、十字架を掲げた議会で審議されるというのは、完全に異常なことです」
 また先週、州議会のデュプレシ像の前でトップレスになり逮捕されたフェメンメンバーのモルガン・マリー=プリオさんは、こう述べた。
「十字架は、長い暗闇の時代を思い起こさせる。それは特に女性にとっては、つらい記憶である。政治と宗教の融合は、全く守るべき価値のある遺産ではない。」

 ケベック州議会に十字架が設置されたのは、祭政一致を志向した独裁者モリス・デュプレシ政権時代に始まった。彼の時代には、女性にとって最も重要なことは子を産むことだと言われてきた。デュプレシの死によって「静かな革命」が始まり、聖教分離と女性の地位向上が実現した。
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ケベック党政権、「政教分離憲章」を上程か [ケベック]

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 ケベック党政権は9月中旬、「政教分離憲章」を発表する。これは、学校・保育所・病院など公務員の職場で、宗教的なシンボルを身に着けることを禁止するものだという。
 ケベック党は議会で過半数に達していないため、この動きは当初、民族主義者に対するただのパフォーマンスと見られてきた。ところが第二野党のケベック未来連合が、憲章を部分的に支持すると発表したことで、可決の可能性が出て来た。同党のフランソワ・ルゴー党首は、教員・裁判官・警官・刑務官については禁止すべきだが、医師・保育士については禁止すべきではなく、また十字架の禁止は必要ないと主張する。

 この問題はさっそく、連邦政界にも飛び火した。これについてハーパー首相は8月29日、まだ法案を見ていないとことわったうえで、こう述べた。
「分離主義者は連邦政府に戦いを挑むのを好んでいるが、我々には関心はない。この国に来る人々の人種や宗教が何であれ、自分がカナダ人でありこの国が祖国なのだと感じるようにすることが、我々の仕事だと心得ている」。
 だがカナダ保守党の前身である改革党は、かつてシーク教徒のRCMP(連邦警察)警官がターバンを被るのは禁止すべきだと主張していた。改革党とケベック党はいわば同じ穴のムジナであり、違うことといえば前者は極右で後者は極左だということでしかない。
 新民主党のトム・マルケア党首にとって、この問題はすこぶるやっかいだ。同党はもともと西部とオンタリオを基盤にしてきたが、前回総選挙のときケベックで57議席を獲得している。ケベックの有権者におもねり憲章を支持する発言をすれば、民族の坩堝であるオンタリオとブリティッシュコロンビアで手痛いしっぺ返しを食らうことになるだろう。
 彼は今週、裁判所が違憲判決を出すことが予想される法案を、ポリーヌ・マロワ首相は発表しないだろうと発言した。だが1982年憲法第33条の「適用除外条項」により、州政府が連邦憲法に反する法律を制定してきたというのも、過去に何度か見てきた光景である。
 自由党のジャスティン・トルドー党首にとっても、事態は複雑である。第一に彼はケベック州選出議員であり、第二に彼は多様文化主義とそれに基づく憲法を制定したトルドー首相の息子だということである。
 彼は、キング牧師の演説の50周年に当たる28日、「キング牧師は隔離を拒否し、差別を否定し、彼らが二級市民とみなされることを拒否した」と述べて、あたかもケベック党政権が人種差別政策を採ろうとしているかのような印象を与えた。彼はさらに「我々が宗教とケベック・アイデンティティのどちらか一方を選ばなければならないと信じている人々が、いまだにいるのは残念だ」「憲章は人々に信教の自由・表現の自由・信条の自由と、職場における受容と経済的安定の一方を選ぶよう仕向けるものだ」と批判した。
 これについてマロワ首相は、以下のように反論した。
「トルドー党首の発言は、論争の火に油を注いだ」。
「自由党党首はコメントする前に、発表された法案を見た方がいい」。
「国は中立でなければならないという我々の考えを、明確にさせて欲しい。それは私的な領域で、信教の自由を阻害するものではない」。
 いっぽう連邦政党であるケベック連合のダニエル・パイエ党首は、これはケベック州民の問題であり、連邦の政治家は口を出すべきでないと語った。だがマルケア党首は、これにすかさず反論した。
「私は、ケベック選出の議員である。すべてのケベック州民はこの論争に関わりがあるということを、パイエ党首は理解すべきだ」。
 ケベック自由党のピエール・パラディ議員は、ケベック党政権は経済政策の失敗から目を逸らすために、民族主義的政策に注意を引きつけていると批判した。

 世論調査では、ケベック州民の57%、フランコフォンの65%が憲章に賛成すると回答した。だがアングロフォンでは25%、アロフォンでは33%にとどまった。モントリオール市議会は27日、満場一致で憲章を支持しない動議を採択した。
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図上:政教分離憲章の創造。
図下:ベルナール・ドレンビル大臣が提唱する、宗教的シンボルを表示しない旗。
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十月危機の主犯ポル・ローズ死去 [ケベック]

paul_rose-1.jpg ケベック解放戦線(FLQ)元幹部で、十月危機に関与したポル・アビガル・ローズが3月14日、脳卒中のためモントリオールの病院で死去した。ラジオ・カナダは番組で、彼を「活動家・政治学者・組合運動家」と紹介した。またケベックの新聞ル・デボワール紙は、彼を「現代ケベックの歴史上、傑出した人物」と評価した。

 ポル・ローズは、モントリオールに生まれ、養護学校教師を勤めるかたわら、ケベック解放戦線幹部として活動した。ケベック解放戦線は1970年10月5日、イギリスのジェームズ・クロス通商代表を誘拐し、50万ドル相当の金塊と、服役中のメンバーの釈放およびキューバへの亡命を要求した。組織はさらにアメリカの要人を誘拐する計画だったが、休暇でテキサスにいたローズは急遽ケベックに戻り、ピエール・ラポルト労働大臣誘拐計画をまとめ上げ、10月10日にこれを実行した。ラポルト労相は17日、車のトランクから遺体となって発見された。死因は絞殺だった(十月危機)。
 12月3日、クロス氏の解放と引き換えに、服役中だったケベック解放戦線の5人がキューバに亡命した。だがローズは、ラポルト労相殺害の犯人として逮捕され、終身刑を宣告された。彼が裁判所で左手を挙げ「FLQ万歳!」を叫んだときの写真は、ケベック独立運動のシンボルとなった。
 1980年、州政府の調査は、ラボルト殺害現場にローズがいなかったことを示したため、彼はその2年後に仮釈放された。ところが警察は後に、盗聴したローズの電話において彼が弁護士に「俺が金の鎖でラポルトを始末した」と、ラポルト労相が首に巻いていた金の鎖が凶器だという、一般人が知りえない情報を語ったと公表した。

 ローズは過去の活動について、何の後悔も反省も示さなかった。彼はル・デボワール紙のインタビューで、こう述べた。
「私は1970年の、誘拐・監禁・虐待を一切後悔していない。私は、やらねばならなかったことをした。今同じ状況に置かれても、私は全く同じことをするだろう。私は、自分がしたことを決して否定するつもりはない。それは、若さゆえの無分別ではなかった。」
 仮釈放前の1981年、ローズは母の葬式に参列することを許された。スタンディング・オベーションで迎えられた彼は、こう語った。
「私が終身刑を宣告された日、母は私に言った。『ポル、あなたを誇りに思うわ』と。」
 同じ年、誘拐罪で服役したポルの弟ジャックも、ケベック党大会でスタンディング・オベーションで迎えられた。だが合法的な独立を志向していたルネ・レベック党首は、ケベック解放戦線を危険視し、これを不適切だと非難した。

 ローズはテロリストとして服役した過去があるにもかかわらず、労働組合アドバイザーとして、また新聞のコラムニストとして、ときにはモントリオール大学の学生として生活し、政界にまで進出しようとした。
 彼は1992年の州議会補選で、ケベック新民主党候補に指名された。この事件は、連邦新民主党がケベック新民主党との提携関係を解消し、党名変更を迫る騒動に発展した。彼は仮釈放中で立候補する資格がなかったので、結局出馬は断念したが、1996年には「社会民主党」と名を改めていたこの党の党首に選出された。この党は他党との合併を繰り返し、現在は「ケベック連帯」となっている。

 ローズは亡くなるまで、全国労働組合連合会や受刑者の権利擁護運動に関与し、最近では、授業料値上げに反対するケベック学生運動に加担し、最も過激な学生組織CLASSEで演説している。ケベック連帯のアミル・カディル代表は来週、ローズを顕彰する動議を州議会に提出する。
「彼はケベック独立運動において重要な役割を果たした。彼の誠実さ、献身、完全性、知性を誰も疑うことはできない。私は公的に哀悼の意を示すため、閣僚を含む全ての独立派を招待する。」
 ケベック党政府は、ローズの死に際しコメントを拒否した。カディル代表はこれを非難した。いっぽう全国労働組合連合会のジェラール・ラローズ元委員長は、ローズがケベック社会に与えた影響があるとすれば、暴力は目的達成の役に立たないということだけだとコメントした。
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「パスタゲート事件」でフランス語擁護局長官が辞任 [ケベック]

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 ケベック州フランス語擁護局のルイーズ・マルシャン長官が、いわゆる「パスタゲート事件」から来る混乱の責任を取って3月8日、辞任した。
 ケベック党政権は2012年12月、フランス語憲章を強化しフランス語使用義務を高める14号法案を提出をした。これを受けてフランス語擁護局は2月14日、州内にあるイタリア料理店「ブオナノッテ」に対し、メニューに書かれている「パスタ」「カラマリ」など多数のイタリア語表記をフランス語に改めるよう指示した。するとアングロフォンを中心に反発した市民たちが、州内で大規模な反対運動を展開するようになった。抗議を受けたフランス語擁護局は、エスニック・レストランなどには柔軟に対応するという声明を発表し、規制の緩和を示唆した。
 これについてディアンヌ・ド=クールシ・フランス語憲章担当大臣は、次のように述べた。
「残念なことに、一部の行き過ぎた指導が非常に厳しい批判を招いた。これは望ましい結果ではなく、企業のためにも勤労者のためにもならず、フランコフォンのためにもアングロフォンのためにもならない。」

 14号法案は、従業員数25~49人の中小企業にもフランス語の使用を義務づけ、アングロフォン人口が50%以下の自治体からバイリンガル・ステータスを剥奪する。また現行のフランス語憲章は、州内の軍人の子弟は英語校に通う特権を認められているが、14号法案はこれも廃止する。
 ケベック党に関する著述で知られるジャーナリストで、カナダ公用語委員会のグレアム・フレーザー氏は次のように述べた。
「たとえ地域のアングロフォン・コミュニティが成長したとしても、それがフランコフォン・コミュニティを凌駕するようなことになれば、たちまち迫害されることになる。少数派の権利は、多数派の慈悲によって認められているということだ。」
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ケベック州議会で予算案信任、総選挙を回避 [ケベック]

 ケベック州議会で11月30日、2013年度予算案が49対48の1票差で信任された。過半数割れのマロワ政権は、不信任されれば解散・総選挙のピンチを凌いだ。与党ケベック党の議員は賛成票を投じたが、自由党とケベック未来連合の二大野党は併せて過半数に達しており、その去就が注目されていた。
 自由党は党首が辞任したばかりで、現在は党首が不在だから、このままでは選挙を戦えない。しかも、汚職への強い批判の中で予想を上回る50議席を獲得したから、もし総選挙になれば、議席を減らすことは確実だろう。こうした自由党の窮状を見抜いたケベック未来連合は、早々と予算案を不信任すると発表した。フランソワ・ルゴー党首は、こう述べた。
「彼らにはリーダーがいないし、そのうえシャルボンノー委員会による調査の真っ最中で、ここ数週間良い知らせを聞いたためしがない。」
 かくしてケベック未来連合の議員19人全員と、ケベック連帯の議員1人が反対票を投じたが、自由党は予算案が不信任されては困るので、議員28人だけが出席して反対票を投じ、残りは棄権した。
 自由党のレーモン・バシャン前財務大臣は、ケベック州民の65%が即時の総選挙を望んでいないという世論調査の結果を指摘した。
「私は、ケベック州民の民意を尊重したい。」
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ケベック党過半数割れの勝利、民族主義的政策に警戒心 [ケベック]

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 9月4日に行われたケベック州議会選挙は、ケベック党54議席、自由党50議席、ケベック未来連合19議席、ケベック連帯2議席(定数125)という結果となり、ケベック党が過半数割れながら9年ぶりに政権を奪回した。ポリーヌ・マロワ党首はケベックの歴史上初の女性首相となることが決まり、これで10州のうち4州・3準州のうち1準州の5人が女性首相となる。なおマロワ党首の勝利演説の最中、イギリス系市民が発砲し、市民2人が撃たれ1人が死亡した。
 ケベック党・自由党・ケベック未来連合の得票率はそれぞれ31.9%、31.2%、27.1%と大差がなく、新党ケベック未来連合の参入で反独立票が2つに割れたことが、ケベック党に利した。ケベック党は悲願の政権奪回を実現したものの、同じ左派・分離主義のケベック連帯と合わせても過半数に届かず、右派・反独立派の自由党・ケベック未来連合両党は合わせて過半数になることから、マロワ政権は早晩行き詰まり、近い将来解散・総選挙に追い込まれることも考えられる。
 各種世論調査は今年4月のアルバータ州議会選挙に続き、またも予想を大きくはずした。反独立派の相当数が、ケベック党政権阻止のため、投票日直前になってケベック未来連合から自由党にシフトしたものと思われる。投票日当日は世論調査を発表できないことから、この動きを捕捉できなかったようだ。

 有権者は自由党の長期腐敗政権を嫌い、ケベック党に政権を渡したものの、過激な政策を採ることがないよう、二大野党に過半数を与えるというぎりぎりの選択をした。勝利したマロワ党首は、過半数割れという際どい結果を受けて、神妙なコメントをした。
「我々は、他党議員も含めた議会の選択を尊重する。我々は、ケベックを動かすためには、必要な妥協をする。我々は、責任ある政治を行う。」
 マロワ党首が公約した富裕層への増税、大学授業料値上げの凍結、健康保険の拡大などの左寄りの政策は、有権者に受け容れられたようだ。だがそのいっぽうで、職場でのフランス語使用を義務化し、またケベック州民に「市民権テスト」を行いフランス語の不自由な市民の市民権を制限するという新「フランス語憲章」や、公務員がニカブやブルカなどの宗教的シンボルを職場で着けるのを禁ずる(しかし十字架は「民族の遺産」なので禁止しない)「世俗主義的人権憲章」の導入を公約して物議をかもした。過半数割れという結果は、これらの民族主義的政策に対する有権者の強い警戒の表れではないだろうか。

 今回が初めての総選挙となった新党ケベック未来連合は、世論調査で一時は2位につけていたが、蓋を開けてみると予想をかなり下回る結果に終わった。フランソワ・ルゴー党首は、次のように述べた。
「わずかな票のロスが、多くの議席喪失につながった。」
「ケベック州民は、新しい政権をきつい鎖で縛ることに決めた。彼らは、ケベック党に少数政権を与えた。それを監視することが、我々の責任である。」

 自由党は、一時は世論調査で3位となり、創立以来初の第三党転落も懸念されたが、50議席を獲得し底力を見せた。ジャン・シャレー首相は、選挙結果を次のように総括した。
「世論調査が誤っていることをもう一度示してくれた、自由党の活動家諸氏に感謝したい。この選挙の結果は、ケベックの将来がカナダの中にあるという事実を物語っている。これは、私が望んだ結果ではない。だが我が党はこれからも、ケベックに奉仕し続けると確信をもって言える。我々とケベック党との得票差は、わずか1%にすぎない。」
 だが得票率31.2%は結党以来最低であり、シャレー党首が落選した以上、党首に留まることは困難で、引退に追い込まれるだろう。
 シャレーは28歳で史上最年少の大臣となり、35歳で進歩保守党党首に就き、ケベック政界でも連続三選を果たしたエリートである。だが連邦政界・ケベック政界を通じてシェアブルックを地盤にしてきたが、落選は初めての経験だ。
 彼が三選できたのには、いくつかの幸運があった。一つ目は、彼がケベック政界に転身したのは、独立を問う二つの住民投票が否決され、独立運動が退潮してからのことだった。二つ目は、ケベック党のカリスマ・ブシャールの引退後、彼はカリスマ性を欠いた党首と戦うことができた。三つ目は、ケベック民主行動党が弱小勢力だったため、自由党は反独立票を独り占めにできた。
 一時はポスト・ハーパーの最有力候補だった彼は、3期目で勇退すべきだった。ハーパー首相は過半数をなかなか獲れず、いつ政権が終わってもおかしくなかったので、シャレーはハーパー敗北の機会をじっと覗っていたのだろう。だがハーパー首相は、2011年下院選挙でついに過半数を獲得し、長期政権が確実となったため、辞めどきを失ってしまい、今日の敗北を招いてしまった。
 シャレー党首は今後について、5日に記者会見を行う。

 ケベック党の結果次第ではキャスチング・ボートを握る可能性もあった、ケベック連帯のアミル・カディル代表は、「世俗主義的人権憲章」と新「フランス語憲章」には賛成できず、ケベック党との連立はしないと語った。
「ケベックの公共サービスは、ケベックに暮らす全ての人のためのサービスである。ケベックに属することは、我々にとって人種とは関係ない。」

 マロワ党首は、独立こそ明言しなかったものの、雇用保険や文化に関して、連邦政府の権限をケベックに移譲することを求めていた。ケベック党は、中央政界で最も嫌われているケベックの政党である。またケベック州に5議席しか持たない与党カナダ保守党は、ケベックで最も嫌われている連邦政党である。よって保守党とケベック党の組み合わせは、考えられる最悪のものと言える。ケベック党勝利を受けてハーパー首相は、意味深長なコメントを発表した。
「ケベックの人々は、ケベック党の少数政権を選んだ。ケベックの人々が、過去の憲法論争を蒸し返すことを望んでいるとは思わない。雇用と経済成長が、ケベックのプライオリティであろう。」
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ケベック党勝利が確実に [ケベック]

 法律により、投票日当日は世論調査を発表してはならない。ThreeHundredEight.comが9月3日に実施した、ケベック州議会選挙に関する最後の世論調査は、ケベック党の政権奪取がほぼ確実で、過半数を獲れるかどうかの際どい勝負になっていることを示した。

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 ケベック党の支持率は34.1%で、予想獲得議席は63(57~75)である。過半数を獲得できるかどうかは微妙だが、9年ぶりの政権復帰と、ポリーヌ・マロワ党首がケベック州の歴史上初の女性首相になることが、確実視されている。
 自由党の支持率は27.9%で、予想獲得議席は33(25~39)である。これは、ケベック党が初めて政権を獲得した1976年州議会選挙で、26議席に沈んで以来最低の結果である。
 だがこのときは、自由党は野党第一党だった。ケベック自由党は創立以来常に与党か野党第一党であり、一度も第三党以下になったことがない。しかし今回は、ケベック未来連合と激しい2位争いを繰り広げている。
 自由党が運良く野党第一党になれたとしても、「影の内閣」を組織する野党第一党党首は、おそらくジャン・シャレー党首ではないだろう。彼はシェアブルック選挙区で苦戦しており、当選の見込みは薄い。
 野党第一党党首であるジャック・レイトンの死後、新民主党が暫定党首を立てたため、自由党のボブ・レイが事実上の野党リーダーとなったように、シャレー党首が落選すれば、野党を率いる役はどのみち、ケベック未来連合のフランソワ・ルゴー党首が勤めることになろう。
 ケベック未来連合の支持率は26.3%で、予想獲得議席は27(20~31)である。
 ケベック連帯の支持率は7.1%で、予想獲得議席は2(1~3)である。
 国民の選択の支持率は2.5%で、予想獲得議席は0である。

 ケベック党が過半数を獲れなかった場合、自由党とケベック未来連合による右派連合政権は、ありそうにない。ありそうなのはむしろ、分離主義連合政権である。解散時には、「ケベック連帯」と「国民の選択」の2つの分離主義少数政党があった。今回総選挙で、国民の選択は議席を獲れそうにないが、ケベック連帯は状況次第ではキャスチング・ボートを握り、保有する議席以上の影響力を発揮することも考えられる。
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図:主要3党とケベック連帯が激しいバトルを繰り広げるなか、一人蚊帳の外の「国民の選択」オーサン党首。
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