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元ブルージェイズのアロマー、今度は離婚訴訟 [スポーツ]

4cc4940b43b7b418595bb0e1c502.jpg 元トロント・ブルージェイズのロベルト・アロマー氏が、HIV陽性でありながら無防備に性行為をしたとして、妻のマリア・デル・ピラール・アロマーさんから離婚訴訟を起こされていることが10月7日に判明した。
 訴状によると、アロマー氏は妻と最初に性交渉を持ったとき、すでに自分がHIV陽性であることを知っていたが隠していたという。昨年2月にも、元恋人のイリヤ・ドールさんから同じ理由で、1500万ドルの損害賠償を求める訴訟を起こされており、同年5月に和解している。このとき妻のマリアさんは、夫を擁護していた。


写真:ロベルト・アロマー氏(中央)、妻マリアさん(左)、息子ロベルティートくん(右)。


【参照】 元ジェイズのアロマー、HIV感染で告訴される
http://blog.so-net.ne.jp/canadian_history/2009-02-20

「セメンヤ選手はメダルに値する」ストライクの孫語る [スポーツ]

3164116 陸上世界選手権の女子800メートルで金メダルを獲得したキャスター・セメンヤ選手が、両性具有だったという報道が世界を駆け巡った。彼女のメダルが剥奪されるかも知れないというニュースに、オタワに住むチェリル・モリスさんは怒りを覚えた。それはまさに、彼女の祖母に起こった事件の再来であった。

 彼女の祖母ヒルダ・ストライクは、1932年のロサンゼルス・オリンピックで、陸上女子100メートルに出場した。彼女はポーランドのステラ・ウォルシュと同タイムの11秒9を記録したが、審判はウォルシュを金メダル、ストライクを銀メダルと判定した。
 ステラ・ウォルシュは「スタニスラワ・ワラシェビッチ」としてポーランドに生まれ、2歳でアメリカに移住したが、なかなかアメリカ市民権を得ることができず、生涯ポーランド代表として競技した。彼女は同日の円盤投で6位、1936年のベルリン・オリンピックにも女子100メートルで銀メダルを獲得するなど、40歳までに数々の競技で勝利を収めてきた。

 ウォルシュは1980年、ポーランドの女子バスケットボール・チームのためにリボンを買いに入った店で、強盗に撃たれて死亡した。ところが検死の結果、彼女は小さなペニスを持つ両性具有であることが判明した。オリンピックでは1968年まで、セックス・チェックは行われていなかったのである。
 この事実が公表されると、彼女の女子選手としての記録は抹消されるべきかという一大論争がまき起こった。ストライクの孫たちは、祖母に金メダルを与えるべきだというロビー活動を始めた。国際陸上競技連盟(IAAF)は、この訴えを認めた。
 だがオタワの老人ホームで暮らすストライクは、金メダルを拒否した。彼女は沈黙を守ったまま、78歳でこの世を去った。
 モリスさんは語る。「もし祖母が生きていたら、セメンヤ選手はメダルに値すると言うでしょう。」

 ヤード・レースは今日あまり見られなくなったが、ウォルシュが残した女子100ヤードの記録は今も、世界記録のまま残っている。


写真:ヒルダ・ストライク(右)とステラ・ウォルシュ(左)。ロサンゼルス・オリンピックで。

ホッケーファンは暴力を嗜好〔世論調査〕 [スポーツ]

 アンガス・リード社が、フォーラムのレギュラー参加者から1004人の大人を無作為に選んで実施したオンライン世論調査は、63%のホッケーファンが試合中の暴力禁止に反対していることを示した。さらに熱狂的なホッケーファンの62%は、暴力はプロの試合の重要な一部を占めていると考えていることが判明した。
 同時に、ホッケーファンであるとないとにかかわらず、カナダ人の61%はホッケーからの暴力追放を望んでいることがわかった。
 また、55歳未満のカナダ人はホッケーでの暴力を楽しんでいるが、55歳以上のカナダ人は暴力を好まない傾向がみられた。
 暴力へのペナルティとしては、38%はイジェクションを支持しているが、大多数はより厳しいペナルティを求めている。

カナダの冬季オリンピック名シーントップ10 [スポーツ]

★1位 シンディ・クラッセン1大会で5個のメダル(2006年トリノ大会)
2621810 シンディ・クラッセンが2006年トリノ大会において、スピードスケートで5個のメダルを獲得した。それは3000mの銅メダル、女子チームパシュートの銀メダル、1000mの銀メダル、1500mの金メダル、5000mの銅メダルである。2002年ソルトレイクシティ大会における3000mの銅メダルと合わせて、通算6個のメダルとなり、冬季オリンピックで最も多くのメダルを獲得したカナダ人となった。

★2位 ゲータン・ブシェ1大会で3個のメダル(1984年サラエボ大会)
2622105 ゲータン・ブシェが1984年サラエボ大会において、スピードスケートで3個のメダルを獲得した。それは500mの銅メダル、1000mの金メダル、1500mの金メダルである。1980年レイクプラシッド大会における1000mの銀メダルと併せて、通算4個のメダルとなった。

★3位 ナンシー・グリーン、大回転で圧勝(1968年グルノーブル大会)
2622215 ナンシー・グリーンが1968年グルノーブル大会において、アルペンスキー回転で銀、大回転で金メダルを獲得した。大回転は通常100分の1秒を争う競技だが、彼女はこれを2秒64という記録的大差で圧勝した。グリーンは1999年、20世紀の女子トップアスリートに選ばれている。現在は上院議員。


★4位 カナダ男子がホッケーで金メダル、50年の低迷に幕(2002年ソルトレイクシティ大会)
2621811 チーム・カナダは1952年のオスロ大会優勝を最後に、50年間優勝から遠ざかっていた。92年アルベールビル大会と96年リレハンメル大会は2大会連続で惜しくも銀メダルとなり、NHL選手をズラリと並べた「ドリームチーム」を結成した98年長野大会では、何とメダルなしという屈辱の結果に終わった。
 今度こそ悲願の金メダルを目標に、再びNHLのドリームチームを結成し、グレツキー監督で臨んだ2002年ソルトレイクシティ大会は、決勝でアメリカを破りついに50年ぶりの金メダルをカナダにもたらした。

★5位 疑惑の判定、カナダペアとロシアペア双方に金メダル(2002年ソルトレイクシティ大会)
2621813 フィギュアスケート・ペアで、カナダのジェイミー・サレー&デヴィッド・ペルティエ組はノーミスで演技を終えたにもかかわらず、ロシアのエレーナ・ベレズナヤ&アントン・シハルリドゼ組が金メダルと判定された。
 採点では9人の審判のうちロシア・中国・ウクライナ・ポーランド・フランスの5人がロシア優位と判定し、アメリカ・カナダ・日本・ドイツの4人がカナダ優位と判定していた。ところがその後フランスの審判が、アイスダンスでフランス優位と判定する見返りにフィギュアスケートでロシア優位と判定する取引を持ちかけられたと証言した。これを受けて国際スケート連盟はフランス審判の判定を削除し、1位をつけたジャッジの数を4対4の同数に変更してロシアペア・カナダペアの双方を金メダルと裁定した。
 なおロシアはこの競技において、ソ連・CIS時代からひき続き1964年インスブルック大会以降12連覇を続けている。

★6位 マルク・ガニョン通算5個目のメダル(2002年ソルトレイクシティ大会)
2622143 ショートトラックスピードスケート選手のマルク・ガニョンは、1994年リレハンメル大会において1000mで銅メダルを獲得し、1998年長野大会でも5000mリレーで金メダルを獲得した。
 個人競技でも金メダルを獲得すべく臨んだ2002年のソルトレイクシティ大会では、1500mで銅メダル、500mで金メダル、5000mリレーで金メダルを獲得した。500mでの41秒802はオリンピック記録で、今日も破られていない。
 なおこのときの1500mは、1着でゴールした金東聖(韓国)がアポロ・オーノ(アメリカ)の進路を妨害したとして失格し、4着のガニョンが銅メダルに昇格したものである。
 冬季オリンピック通算5個のメダル獲得は、2006年シンディ・クラッセンに抜かれるまでカナダ最高の記録だったが、金メダル数ではガニョンが3個で上回っている。

★7位 2年半後の金メダル:一人ぼっちの表彰式(2002年ソルトレイクシティ大会)
2621812 クロスカントリースキー10km複合では、ロシアのオルガ・ダニロバとラリサ・ラズティナが激しいデッドヒートを繰り広げ、最後はダニロバが7秒差で際どく勝利した。カナダのベッキー・スコットは3位に終わった。
 ところがその後、ラズティナがドーピング検査で陽性と判定され、スコットは銀メダルに昇格した。さらにその2年半後、ダニロバも禁止薬物を使用していたことが判明し、スコットは金メダルに昇格することになった。世界アンチドーピング機関の委員として活動していたスコットの、皮肉な勝利であった。
 彼女は2004年6月、バンクーバー美術館前でカナダ国旗を背に、即席の表彰台に登りたった一人の表彰式を行った。

★8位 鉄人クララ・ヒューズ、夏・冬通算5個のメダル獲得(2006年トリノ大会)
2622056 1996年アトランタ夏季オリンピックに出場したクララ・ヒューズは、自転車個人ロードレースと自転車個人タイムトライアルで2つの銅メダルを獲得した。
 本業のスピードスケートで出場した2002年ソルトレイクシティ大会でも、5000mで銅メダルを獲得し、世界で4人目、女子では2人目の夏・冬メダル獲得者となった。
 2006年トリノ大会では、女子チームパシュートの銀メダルに続き、5000mでついに、3大会連続金メダルのクラウディア・ペヒシュタイン(ドイツ)を破り金メダルに輝いた。
 同じレースで銅メダルを獲得した親友シンディ・クラッセンからカナダ国旗を手渡され、観客席からはバラとぬいぐるみが投げ込まれた。ヒューズは国旗とバラとぬいぐるみを掲げ、涙のウィニングランを行った。ヒューズは表彰式ではクラッセンを表彰台の最上段に招き、ともに「オー・カナダ」を歌った。

★9位 ジンクスを打ち破った笑顔(2002年ソルトレイクシティ大会)
2621809 カトリオナ・ル=メイ=ドーンは1998年長野大会において、スピードスケート500mで金メダル、1000mでも銅メダルを獲得し、世界記録を8度も打ち立てて「氷上で最も速い女性」と呼ばれた。2002年ソルトレイクシティ大会でも彼女はメダル獲得を当然視され、旗手に抜擢された。だが、旗手は金メダルを獲れないというジンクスがあった。
 しかし彼女は500mを難なく勝利し、2大会連続の金メダルを獲得した。彼女はカウボーイハットをかぶり、カナダ国旗とサスカチュワン州旗を掲げて満面の笑顔でウィニングランを行った。

★10位 ホッケー女子アメリカに雪辱(2002年ソルトレイクシティ大会)
2622107 女子カナダチームは1998年長野大会でアメリカに敗れ、銀メダルに終わった。そしてソルトレイクシティ大会まで、アメリカチームに屈辱の8連敗を喫した。
 アメリカチームは35連勝を続けていた。ソルトレイクシティの選手村でも、アメリカ選手はカナダをばかにする発言を続け、カナダ国旗を侮辱したという報道(後に誤報と判明)すら流れた。カナダチームは奮起した。
 決勝は、前回長野大会に続きカナダ対アメリカの組み合わせとなった。異常に白熱したゲームにおいて、カナダチームは13ものペナルティを受けた。キーパーのキム・サンピエールは25のゴールをキープした。5対2でカナダの優勝が決まった瞬間、カナダチームはキーパーのサンピエールのもとに集い、抱き合って泣いた。

元ジェイズのアロマー、HIV感染で告訴される [スポーツ]

2572471 通算2724安打、474盗塁、オールスター選出12回、ゴールドグラブ賞10回を誇る名二塁手のロベルト・アロマー氏(元トロント・ブルージェイズ)が、HIV感染の疑いがあるにもかかわらず避妊具なしの性的関係を強要したとして、元恋人から1500万米ドル(約13億5000万円)の損害賠償を求める訴えを起こされたと、ニューヨークの地方紙「デイリー・ニューズ」が11日付で報じた。
 同紙によると、アロマー氏は原告のイリヤ・ドールさん(47)と2002年から交際を始めたが、現役時代の2004年ごろから体調に異変がおき、2005年3月のキャンプ中に突如引退。4月ごろには咳が止まらなくなり疲労が激しく寝込むようになって、ドールさんはアロマー氏のHIV感染を疑い、検査を受けるよう何度も促したが同氏はこれを拒否した。2006年にようやく検査を受けてHIV陽性が判明し、エイズを発症していることがわかったという。ドールさんはアロマー氏に「17歳のとき、ニューメキシコで試合をした後、メキシコ人男性2人にレイプされたことがある」と打ち明けられたと主張している。彼女自身は現在のところHIV陰性だが、「陽性の結果がいつ出るかと精神的な苦痛を強いられている」として訴えを起こした。
 アロマー氏の弁護士は、エイズ感染については明らかにしなかったが、アロマー氏は健康であり、元恋人の訴えを「根拠がない」と主張している。父のサンディ・アロマーSr.(現メッツ・コーチ)は「初耳だ。もし重い病気にかかっていたなら、私に言わないはずがない」と語った。
 なおアロマーはオリオールズ時代の1996年9月、ブルージェイズ戦で球審のジョン・ハーシュベックの顔に唾を吐きかけているが、今回の報道を受けて審判のアル・クラークは「私がハーシュベックだったら、アロマーにHIV検査を受けろと言っただろう」と語った。
 だが実際にはHIVが唾液を通して感染した例はなく、ハーシュベックは自分の身の上については心配していない、ただアロマーの健康を願っているとコメントした。

高橋建がブルージェイズとマイナー契約 [スポーツ]

2525407 広島からフリーエージェント宣言した高橋建投手(39)が、トロント・ブルージェイズとマイナー契約を結んだと2月2日に発表した。
 高橋は昨シーズン、広島の先発の柱として活躍し、8勝5敗をマークした。メジャー昇格が実現すれば、今年4月に40歳を迎える彼は桑田真澄(前パイレーツ)を抜き、日本人最年長大リーガーとなる。
 高橋は代理人を通じ、「期待と不安が入り交じった状況です。行くからにはまず、メジャーで1勝を挙げることです。球団が決まりましたので、今後とも温かい声援をよろしくお願いいたします」とコメントした。 

 ブルージェイズは昨シーズン20勝をマークしたエース・ハラデーら、先発陣の3本柱はいずれも右腕。リーグ最多奪三振のバーネットはヤンキースに移籍し、マーカムは手術で5月まで、マゴワンは今季絶望。左腕も2年目のパーセイだけと層は薄く、高橋の左腕への期待は大きい。高橋は16日からのキャンプに招待選手として参加し、メジャー昇格を目指す。


高橋 建(たかはし・けん)1969年、神奈川県生まれ。横浜高校から拓殖大学、トヨタ自動車を経て、1994年ドラフト4位で広島入り。速球を武器に先発で活躍し、2001年に10勝を挙げた。通算成績は433試合に登板し66勝87敗5セーブ、防御率4.23。184センチ、90キロ、左投げ左打ち。

ホッケーの暴力に過半数が反対 [スポーツ]

2509791 ハリス=デシマ社が1月22日から24日にかけて実施した世論調査は、カナダ人の過半数がNHL(北米ホッケーリーグ)の暴力に反対していることを明らかにした。
 回答者の54%は暴力に反対だと回答し、40%は構わないと回答した。暴力への反対は特にケベックで強く、62%が反対した。
 ただしNHLを愛好する回答者の68%は、NHLの現行のペナルティシステムにおいて暴力は容認されるべきと回答した。
 オンタリオ・シニアリーグのドン・サンダーソン選手が、ゲーム中の暴力により頭部を氷に強打して1月2日に死亡した事件を契機に、ホッケーにおける暴力がカナダではこのところ話題になっている。


2509792写真:2004年3月8日、バンクーバー・カナックス対コロラド・アバランチ戦で、カナックスのトッド・バツージ選手がアバランチのスティーブ・ムーア選手を背後から殴り、さらに倒れた彼の首を掴んで氷に顔面を打ちつけた。ムーア選手は頚椎骨折の重傷を負い、バツージ選手は17か月の出場停止と50万米ドルの減給を言い渡された。さらに刑事事件で有罪判決を受け、80時間の奉仕活動を命じられた。
動画:http://jp.youtube.com/watch?v=Fz9RE9RGrVY

WBCカナダ代表決まる [スポーツ]

 1月20日、ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)のカナダ代表46人が発表された。代表16チームはそれぞれ4つのグループに分かれ予選を戦うが、カナダは最初の予選ではグループCに入り、アメリカ、ベネズエラ、イタリアと対戦する。試合はトロントのロジャースセンター・スタジアムで行われる。

 北京オリンピックでは左打者をズラリと並べたカナダ打線は、今回も大多数が左打者。打線の中心は、2006年ア・リーグMVPに輝いたジャスティン・モルノー(ミネソタ・ツインズ/.300、23本塁打)が不動の4番となるほか、クリーンナップはジョーイ・ボット(シンシナティ・レッズ/.297、24本塁打)とジェイソン・ベイ(ボストン・レッドソックス/.286、31本塁打)が有力視されている(余談だがベイの妹ローレン・ベイは、ソフトボールカナダ代表の投手としてアテネと北京オリンピックに出場している)。このほか元中日のマット・ステアーズ(フィラデルフィア・フィリーズ/.252、13本塁打)は、2006年大会では3試合で9打数3安打4打点と活躍したが、今回も代表入りを果たした。
 前回代表入りしたアーロン・ガイエル(東京ヤクルト・スワローズ)は、今回知らぬ間に代表メンバーにされていたという。ヤクルト1年目の2007年は35本塁打を放ち大活躍したが、昨シーズンは打率2割・11本塁打と精彩を欠いた。レギュラーになれるかどうかもあやふやなまま間もなくキャンプ入りせねばならず、WBCどころではないため辞退することになりそうだ。

 いっぽう投手陣は、最も期待されていたリッチ・ハーデン(シカゴ・カブス/10勝2敗)が右肩の故障により辞退した。2007年ワールドシリーズで史上初のカナダ人先発投手となったジェフ・フランシス(コロラド・ロッキーズ/4勝10敗)、エリック・ベダード(シアトル・マリナーズ/6勝4敗)、ライアン・デンプスター(シカゴ・カブス/17勝6敗)が先発の軸になるだろう。リリーフでは、2003年に55セーブを挙げサイ・ヤング賞を受賞したエリック・ガニエ(ミルウォーキー・ブルワーズ/4勝3敗10セーブ)が目を引くが、故障がちで往年の威力は望むべくもない。
 元近鉄のマイク・ジョンソン(SKワイバーンズ)は、昨シーズン台湾球界で21勝を挙げMVPに選ばれている。2004年のアテネオリンピックでもカナダ代表として出場しているが、日本との3位決定戦で先発し敗戦投手となった。

黒人初のNHL選手オリーにオーダー・オブ・カナダ勲章 [スポーツ]

2435938 12月30日、オーダー・オブ・カナダ勲章が60人(コンパニオン4、オフィサー14、メンバー42)に授与された。その中には黒人初のNHL選手ウィリー・オリーと、カナダの歌姫セリーヌ・ディオンがいた。

 オリーはニューブランズウィック州フレデリクトンに生まれ、1958年1月18日、ボストン・ブルーインズの選手として、ナショナル・ホッケー・リーグ史上初の黒人選手デビューを果たした。モントリオール・カナディアンズとの試合は3対0でブルーインズが勝利した。
 だがオリーはこの年わずか2試合に出場したに過ぎず、初の黒人選手デビューも、野球のジャッキー・ロビンソンとは異なり、ほとんど注目されることはなかった。
 彼が注目を浴びるのはその2年後、再びNHL昇格を果たし、黒人初のゴールを決めたときのことである。
 彼はこのシーズン43試合に出場したが、世界で最も白人の多いスポーツの一つであるアイスホッケーにおいて、黒人選手への風当たりは強かった。客席からは「南部に帰れ」「農場で綿花の収穫でもしてろ」と野次を飛ばされた。1961年のシカゴ・ブラックホークス戦では、相手チームの選手にスティックで顔面を突かれ重傷を負い、別の試合ではパックを顔面に当てられ右目をほとんど失明したが、彼はそれを隠し通した。
 その後は、マイク・マーソンが1974年にワシントン・キャピタルズからドラフト指名されるまで黒人選手は登場しなかったが、現在は17人の黒人選手がNHLでプレーしている。なおNHLで初めて契約した選手は1950年のアート・ドリントンだが、マイナーリーガーで終わりNHL昇格はならなかった。

 セリーヌ・ディオンもこの日、オーダー・オブ・カナダ勲章の最高位コンパニオンに叙せられた。彼女は1998年にオフィサーに叙せられているが、総督は今回の昇格理由について「ポップ歌手としての並外れた才能と、全国的および国際的な数多い人道的支援のため、世界の聴衆を魅了した」と発表した。

●勲章の返上
 2008年、妊娠中絶を推進した医師ヘンリー・モーゲンテイラーの受賞に抗議してルシエン・ラール司教、ジャン=クロード・テュルコット枢機卿、警察官フランク・ショバン、元ニューブランズウィック州副総督ギルバート・フィンは、勲章の返上を申し出た。またカトリック組織「マドンナ・ハウスの使徒」も、キャサリン・ドハーティの勲章の返上を申し出たが、返上には総督の同意が必要なため、歴史上いまだ誰も返上した人はいない。

●勲章の辞退
 受賞を辞退した人の氏名は公表されないので、辞退者全員の身元は判明していないが、一部については本人の公表により判明しており、ロバート・ウィーバー(キャスター)、クロード・ライアン(州会議員)、モーリー・キャラハン(作家)、モーデカイ・リッチラー(作家)、マルセル・デュベ(劇作家)、ロジェ・ルムレン(作家)、グレン・グールド(ピアニスト)が辞退した。このうちウィーバーとグールド以外は、後年受賞に同意した。
 ケベック独立派として辞退した人にはリュック=アンドレ・ゴッドブー、リナ・ラスニエ(詩人)、ジュヌビエーブ・ブジョルド(女優)がいる。独立派のジャック・パリゾー夫人であるアリス・パリゾー(作家)は、受賞したため非難された。
 セシル・メリットは、カナダ最高のビクトリア十字勲章をすでに受章したという理由で受賞を拒否した。エジンバラ公フィリップ殿下は1982年、名誉コンパニオンの授与を提示されたが、女王の配偶者はカナダ王族であるから自分はカナダ人であるという理由で、名誉としての受賞を拒否した。オーダー・オブ・カナダ諮問会議は1993年、国王の配偶者は自動的にコンパニオンになる規則の改正を申し込んだが、フィリップ殿下は己の能力ゆえに受賞すべきであるとして、名誉としての受賞を再び拒否した。
 ニューファンドランド州初代首相で、ニューファンドランドをカナダ連邦に編入させたジョーイ・スモールウッドは、自分を「連邦の父」と同等の地位があると考えていたので、ナイトの地位がふさわしいと思い受賞を拒否したが、自分がナイトに叙せられないと知って後年受賞した。

●勲章の剥奪
 勲章を剥奪された例は、過去に2件ある。アラン・イーグルソンは1998年、詐欺罪で投獄されたため勲章を剥奪された。デビッド・アヘナキューは2002年、反ユダヤ言説で告訴され有罪判決を受けたため剥奪された。

F1のカナダGPが消滅 [スポーツ]

 国際自動車連盟(FIA)が10月7日、F1レースの2009年スケジュールを発表したが、モントリオールのジル・ビルヌーブ・サーキットで行われる恒例のカナダ・グランプリが予告なく外されていた。北米でF1が開催されないのは、1950年以来初めて。代わりにアラブ首長国連邦のアブダビで初めてF1が開催される。FIA側は、この変更の理由について言及しておらず、モントリオールのジェラール・トランブレ市長は、「世界中で3億人が観戦し、市に7500万ドルもの経済効果を与える大イベントが、何の説明もなく取り消されるとは信じられない。市としてこれから対応策を練る」とコメントした。
 新民主党のレイトン党首は、連邦議会にカナダ・グランプリ支援法案を提出するとコメントした。

キラー・コワルスキー死去 [スポーツ]

2086400 元プロレスラーのキラー・コワルスキー氏は、8月8日に心臓発作のためボストンの病院に入院していたが、17日に脳死と宣告されていた。その後は生命維持装置で延命していたが、家族が30日に装置を外したため死亡した。

 コワルスキー氏はオンタリオ州ウィンザーに生まれ、本名はワルディック・コワルスキー。ルー・テーズにスカウトされ1947年にレスラーとしてデビュー。ヒールとして活躍し、AWA世界ヘビー級、WWWF世界タッグ王座などを獲得した。2メートルを超える巨体に加え、正統派のレスリングから反則技までこなし、ヒールとしての資質の全てを兼ね備えた名レスラーだった。1959年、ユーコン・エリックにトップロープからニードロップを与えた際、シューズのひもが引っ掛かって左耳をそぎ落とす事故が起こり、悪名を轟かせた。その後エリックが自殺したのはこの事故が原因と噂されたが、実際は妻の不貞が原因だった。また梶原一騎は「タイガーマスク」の中で、コワルスキーがこのときエリックのそぎ落とされた耳を見たせいで菜食主義者になったと綴っているが、実際はそれ以前からそうであった。
 日本へは日本プロレス参戦のため3度来日し、1963年の第5回ワールドリーグ戦では決勝で力道山と対戦したほか、開幕戦でジャイアント馬場の凱旋帰国第一戦の相手を務め、時間切れ引き分けの熱闘を演じた。第10回大会では馬場と決勝で対戦したほか、アントニオ猪木とも対戦している。1971年にはNWAタッグリーグ戦に登場し、パイルドライバーで選手二人を死なせたキラー・バディ・オースチンとの「キラー・コンビ」で好成績を収めている。また全日本プロレスにも2回参戦している。
 引退後はマサチューセッツ州セーラムにレスリングスクールを設立し、トレーナーとして活動した。

NFL進出阻止法案を提出 [スポーツ]

 元バンクーバー市長のラリー・キャンベル上院議員(自由党)が6月13日、アメリカのNFL(ナショナル・フットボールリーグ)のカナダ進出を阻止する法案を個人提出した。これは、カナダ内でのNFL新チームの設立もしくは現存フランチャイズの移転を禁止するものであり、バッファロー・ビルズが今後5年間、トロントのロジャース・センターで8試合を開催する動きを牽制したもの。
 キャンベル議員は、この動きをビルズがカナダへ移転する前兆と見ており、「トロントにアメリカのチームを誘致するなら、それは我々の最大のマーケットの損失であり、CFL(カナディアン・フットボールリーグ)の終焉を意味する。 CFLはカナダ国民に雇用を与え利益をもたらし、カナダ文化の一部となっている。これを守るためには、NFL上陸を全力で阻止しなければならない」と語った。
 だが自由党のある上院議員は、NFLはCFLにとって何ら脅威ではないと語った。
「CFLは、カナダ人に何百万ドルものお金と何千もの仕事を提供している。なぜNFLがそれを失わせることになるのだろう。私は、CFLはカナダの文化の一部になっていると思う。」

河合卓真選手、日本人初のジュニアホッケーリーグ優勝 [スポーツ]

1769296 5月9日、河合卓真選手が日本人として初めて、ケベック・メジャー・ジュニアホッケーリーグ(QMJHL)でリーグ優勝を果たし、メモリアル・カップに駒を進めた。

 河合選手は1988年北海道恵庭市に生まれ、小学5年のとき釧路市に移りアイスホッケーを始めた。2003年カナダに渡り、モントリオールのハリントン・カレッジでホッケー留学し、2006年7月QMJHLのケープブレトン・スクリーミングイーグルスとトライアウト契約。その1か月後にはドラモンビル・ボルテイジャーズに移籍し、2006年9月15日のシーズン開幕戦で、日本出身選手として史上初のQMJHL出場を果たした。2007年からはガティノー・オリンピックでプレーしている。ポジションはLW、背番号は44。
 なお兄の河合龍一選手は西武プリンス・ラビッツ所属で、日本代表にも選ばれている。

カーリング女子世界選手権でカナダ優勝、日本は4位 [スポーツ]

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 ブリティッシュコロンビア州バーノンで開催されたカーリング女子世界選手権は3月30日、決勝でカナダが中国を7対4で破り、金メダルを獲得した。
 日本代表のチーム青森は、1次リーグを7勝4敗で終え、プレーオフでトリノオリンピック銀メダルのスイスを6―4で破り準決勝に進んだが、過去最多の15回の優勝を誇る強豪カナダに敗れた。日本は第8エンドを終えた時点で8―5とリードしていたが、第9エンドに2点、第10エンドに1点を奪われて追いつかれ延長戦に入り、第11エンドに決勝点を許し8―9で力尽きた。
 同日の3位決定戦で再びスイスと対戦した日本は、カナダとの接戦を落としたショックから立ち直れず7―9で敗れ、1997年の4位に並ぶ日本の過去最高の成績を挙げたが、五輪を含め日本初のメダル獲得を逃した。
 日本の次の目標は、来年の世界選手権の出場権がかかる秋のパシフィック選手権。来年の世界選手権は韓国で開催されるため、通常2つのアジア枠は、開催国を除くわずか1つとなる。今回の世界選手権で後塵を拝することになった中国が最大のライバルとなろう。 1562280


写真上左:金メダルを獲得したカナダチーム。左からジェニファー・ジョーンズ(スキップ)、キャシー・オーバートン=クラパム(サード)、ジル・オフィサー(セカンド)、ドーン・アスキン(リード)。
写真上右:目黒萌絵(日本)のショットを見つめるジェニファー・ジョーンズ(カナダ)。
写真下:日本チームを下して意気を上げるカナダチーム。

ライバルは「カナダのデブ」 [スポーツ]

1691149 2月23日、飛び込みワールドカップで2位となった中国の女王・郭晶晶(グオ・チンチン)は、記者会見で携帯電話をいじりながら、不機嫌そうに20語ほどの短いコメントをした後、
「オリンピックでのライバルは誰ですか」
の質問に、
「ロシアのユリア・パハリナとカナダのあのデブ(那個胖子)」
と答えて記者たちを絶句させた。
 アテネ・オリンピックの飛込み種目で2つの金メダル、シドニー・オリンピックで2つの銀メダルを獲得し、並はずれた美貌を持つ郭選手は、映画に出演し化粧品のイメージガールを務めるなど、芸能面においても活躍してきた。2005年の中国国体では、化粧を何度もやり直すうち表彰式に遅刻したという前歴もある。
1691152 郭選手は「ハートリー選手の名前を思い出せなかったので、冗談のつもりで『デブ』と表現した」と弁明し、監督は「思い通りの結果が出せなかった直後だったからだと思う」と釈明したが、「五輪を控え、国内選手の礼儀教育が急務だ」という声も上がった。


写真上:郭晶晶。
写真下:カナダのブライズ・ハートリー。2004年アテネ・オリンピックで銅メダル、2003年パン・アメリカン大会で2つの金メダルを獲得した。

ミッチェル報告書、薬物使用した大リーガー77選手を公表 [スポーツ]


 ジョージ・ミッチェル元上院議員は、大リーグの依頼を受け2006年3月から薬物使用実態について調査していたが、2007年12月13日「ミッチェル報告書」を発表した。
 409ページに及ぶ報告書は、筋肉増強剤やヒト成長ホルモンを使用または購入したことが明らかになったとして、3つのグループに分類して77選手の実名を挙げている。栄養補助食品会社「バルコ」社の創業者らが違法に薬物を提供した事件に絡む8選手、薬物の違法売買により逮捕されたメッツ元球団職員からの情報をもとに特定された53選手、インターネットによる購入記録がある16選手。そのほか球団が通報した薬物所持例や、大リーグの薬物検査に陽性反応を示した例、薬物の処方で摘発された例などを挙げている。
 リストは7人のMVP選手を含み、さながら90年代後半のオールスター名簿のようである。 ミッチェル元上院議員は「野球界全体が責任を負わなければならない」と問題の根深さを指摘したが、悪質なケース以外は処罰を踏みとどまるようにとの指摘に「手ぬるい調査だ」との批判もある一方で、様々なスキャンダルに揺れた大リーグの、薬物使用の根絶に向けた今後の取り組みが期待される。大リーグは2003年から禁止薬物使用に罰則を化し、1回目で出場停止50試合、2回目で100試合、3回目で永久追放となる。
 薬物疑惑をめぐっては、2007年8月に大リーグ通算最多本塁打記録を更新する通算756号を放ったバリー・ボンズ外野手が、偽証罪で起訴されている。

●リストに掲載された主な選手
【ブルージェイズの現役選手】
グレッグ・ゾーン(36歳、ブルージェイズ)
トロイ・グロース(31歳、ブルージェイズ)
【元ブルージェイズの現役選手】
ロジャー・クレメンス(45歳、97・98年ブルージェイズ)
スコット・ショーエンワイス(34歳、06年ブルージェイズ)
ボビー・エスタレーヤ(33歳、04年ブルージェイズ)
ハーウィー・クラーク(33歳、03・07年ブルージェイズ)

【その他の現役選手】
エリック・ガニエ(31歳、ブルワーズ)※カナダ人
バリー・ボンズ(43歳、ジャイアンツ)
ブライアン・ロバーツ(30歳、オリオールズ)
アンディ・ペティット(35歳、ヤンキース)
ミゲル・テハダ(31歳、アストロズ)
ゲーリー・シェフィールド(39歳、タイガース)
ジェーソン・ジアンビ(36歳、ヤンキース)
ポール・ロデューカ(35歳、ナショナルズ)
リック・アンキール(30歳、カージナルス)
ロン・ビローン(37歳、ヤンキース)
ライアン・フランクリン(34歳、カージナルス)
マイク・スタントン(40歳、レッズ)
ジェリー・ヘアストーン(31歳、レンジャーズ)
トッド・ウィリアムス(36歳、オリオールズ)
ロンデル・ホワイト(35歳、ツインズ)
ステファン・ランドルフ(33歳、アストロズ)
マット・ハージェス(37歳、ロッキーズ)
ブレンダン・ドネリー(36歳、レッドソックス)
ヌック・ローガン(28歳、ナショナルズ)
ジャック・カスト(28歳、アスレチックス)

【元ブルージェイズの引退選手】
ホセ・カンセコ(98年ブルージェイズ)
デビッド・セギ(99年ブルージェイズ)
グレナレン・ヒル(89・90年ブルージェイズ)
ベニト・サンチャゴ(97・98年ブルージェイズ)
ラウル・モンデシー(00~02年ブルージェイズ)

【その他の引退選手】
レニー・ダイクストラ(元フィリーズ)
トッド・ハンドリー(元メッツ)
チャック・ノブロック(元ツインズ)
ジェイソン・グリムズリー(元ロイヤルズ)
デビッド・ジャスティス(元インディアンス)
モー・ボーン(元レッドソックス)
デニー・ネーグル(元ロッキーズ)

【日本で活躍した選手】
ラリー・ビグビー(2008年横浜と契約)
ジェフ・ウィリアムス(2003年~阪神)
チャド・アレン(2007年オリックス)
ダン・セラフィニ(2004~2005年ロッテ、2006~2007年オリックス)
アダム・リグス(2005年~2007年ヤクルト)
アレックス・カブレラ(2001年~2007年西武)
マット・フランコ(2004年~2006年ロッテ)
バートン・ミアディッチ(2005年巨人)
クリス・ドネルス(1996年近鉄、1997~1999年オリックス)
マーク・キャリオン(1997年~1998年ロッテ)
フィル・ハイアット(1997年阪神)

 
 
写真上左:ブルージェイズ時代のロジャー・クレメンス投手。
写真上右:グレッグ・ゾーン捕手。
写真下:ブルージェイズ時代のホセ・カンセコ外野手。


メープルリーフス元キャプテン、飲酒致死運転で有罪 [スポーツ]

 10月10日、元トロント・メープルリーフス・キャプテンのロブ・ラメイジ被告(48)に対する、飲酒致死運転など5件の容疑について、陪審裁がオンタリオ州裁ニューマーケット法廷で行われた。
 ラメイジ被告は2003年12月、トロント北西郊ウッドブリッジで酒に酔って車を運転し、対向車線を走行していた車と正面衝突、助手席に乗っていた友人で元NHLシカゴ・ブラックホークスの選手だったキース・マグヌソンさん(当時56歳)を死亡させたもの。
 この陪審裁で、陪審は5件全ての容疑で有罪の評決に達した。飲酒致死運転の最高刑は終身刑だが、同被告は過去に犯罪歴がなく、最高刑が適用される可能性は低いとみられている。


ガイエル、本塁打王を逃す [スポーツ]

2196336 バンクーバー出身のアーロン・ガイエル選手(ヤクルト)は、10月9日の最終戦で本塁打を打てず惜しくも本塁打王を逃した。
 35本の本塁打を放ち、村田修一選手(横浜)を1本差で追うガイエルは、シーズン最後の横浜戦に臨んだが、2四球と勝負を避けられてしまい、本塁打を打つことができずシーズンを終えた。彼は来日1年目でヤクルト以外の11球団から本塁打を打った。
 ガイエルはバンクーバーに生まれ、クワントレン大学を卒業し、1992年カリフォルニア・エンゼルスからドラフト21巡目(全体580位)で指名され契約。1997年サンディエゴ・パドレス、2000年オークランド・アスレチックス、カンザスシティ・ロイヤルズを経て、2002年にメジャー昇格。2006年ニューヨーク・ヤンキースに移籍し、2007年からは東京ヤクルト・スワローズでプレーしている。2006年のワールド・ベースボール・クラシックには、カナダ代表として出場した。


写真:本塁打を放ち、エド・はるみの「グー」のポーズを取るガイエル。

史上最年少14歳でオンタリオ湖横断スイミングに成功 [スポーツ]


 オンタリオ州キングストンの14歳の少女、ナタリー・ランバートさんが8月27日午前10時、ニューヨーク州サケッツ・ハーバーからオンタリオ湖横断スイミングを始め、翌28日朝9時24分、対岸のキングストン、コンフェデレーション・ベースンに無事、泳ぎ着いた。これでナタリーさんは、オンタリオ湖横断スイミングに成功した史上最年少スイマーとなった。
 キングストンでは、ナタリーさんの到着を数百人のサポーターが待ちうけ、無事泳ぎ着いたときには、歓声をあげて偉業達成を祝福した。ナタリーさんは、キングストンYMCAの心身障害児童のプログラムのために、5万2000ドルの寄付金を集めようと計画していた。
 2006年7月には、彼女の姉ジェンナ・ランバートさんがオンタリオ湖横断に成功している。
 なお、最初にオンタリオ湖横断を達成したのはトロントのマリリン・ベルで、当時17歳。タイムは20時間59分だった。


タイガー=ジェット・シン親子、ミルトンから市民栄誉賞 [スポーツ]


日本でもおなじみのカナダ人プロレスラー、タイガー=ジェット・シンとタイガー=アリ・シン親子が、オンタリオ州ミルトンから市民栄誉賞を授与された。以下東京スポーツの対談を掲載する。

――地元ミルトンで表彰されたそうですが。

シン:市政150年を記念して、カナダで初めて“Walk of Fame”が設立されたんだが、私と息子のタイガー=アリ・シンも選ばれた。月に行った宇宙飛行士やマラソンの名ランナーだったアスリートなど、世界的な功績を誇る人たちばかりだ。彼らと一緒に、私たち親子の写真も市役所に飾られた。

――シン親子の受賞理由は何ですか?

シン:カナダ・アメリカでは富を成したら寄付するのは当然の義務。加えて私たちはアンチ・ドラッグ(麻薬撲滅運動)に力を入れている。ここカナダはアメリカほどひどくはないが、ドラッグ問題は深刻になっている。レスリングの世界ではドラッグで命を落とした人もいる。その実情を良く知る私の話にはみんな耳を傾けてくれるから、学校を中心に講演しているんだ。

――息子さんもレスラーとして活躍しました。

シン:今は不動産開発会社を経営し、地方発展に大きく寄与している。現在も「タイガー・ランド」という超巨大なプロジェクトが進んでいる。ミルトンの郊外200エーカー(約80万平方メートル)を開発している。2000世帯が住む住宅地に、ホテルやスポーツ施設もできるんだ。

――ファミリーの結束は強いようですね。

シン:私の支えはかけがえのないタイガー・シン・ファミリーだ。二男のバルディーダ・シン=ハンスはミルトン郡の警察官。そしてリングの上では一番のパートナーだった上田馬之助だ。

――上田さんは交通事故の後遺症を克服するために、大分県でリハビリに励んでいます。

シン:彼とは言葉は必要なかった。互いに目を見れば、すべてを読み取れた。ある意味、兄弟以上の仲だった。

――実業家として成功しているのに、レスラーとしての情熱は冷めていないようですね。

シン:ミスター・ウエダのためにも、まだまだリングを降りるわけにはいかない。彼にエネルギーを与えたいからな。だからコンディション調整に気を使っている。

――まだまだ「ハタリハタマタ」だと。

シン:当たり前だ。私は実業界でもリング上でも永遠に「キングの中のキング」だ!

写真左:シンの市民栄誉賞受賞を報じた東京スポーツの記事。
写真右:現在のタイガー=ジェット・シン。