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ミッチェル報告書、薬物使用した大リーガー77選手を公表 [スポーツ]


 ジョージ・ミッチェル元上院議員は、大リーグの依頼を受け2006年3月から薬物使用実態について調査していたが、2007年12月13日「ミッチェル報告書」を発表した。
 409ページに及ぶ報告書は、筋肉増強剤やヒト成長ホルモンを使用または購入したことが明らかになったとして、3つのグループに分類して77選手の実名を挙げている。栄養補助食品会社「バルコ」社の創業者らが違法に薬物を提供した事件に絡む8選手、薬物の違法売買により逮捕されたメッツ元球団職員からの情報をもとに特定された53選手、インターネットによる購入記録がある16選手。そのほか球団が通報した薬物所持例や、大リーグの薬物検査に陽性反応を示した例、薬物の処方で摘発された例などを挙げている。
 リストは7人のMVP選手を含み、さながら90年代後半のオールスター名簿のようである。 ミッチェル元上院議員は「野球界全体が責任を負わなければならない」と問題の根深さを指摘したが、悪質なケース以外は処罰を踏みとどまるようにとの指摘に「手ぬるい調査だ」との批判もある一方で、様々なスキャンダルに揺れた大リーグの、薬物使用の根絶に向けた今後の取り組みが期待される。大リーグは2003年から禁止薬物使用に罰則を化し、1回目で出場停止50試合、2回目で100試合、3回目で永久追放となる。
 薬物疑惑をめぐっては、2007年8月に大リーグ通算最多本塁打記録を更新する通算756号を放ったバリー・ボンズ外野手が、偽証罪で起訴されている。

●リストに掲載された主な選手
【ブルージェイズの現役選手】
グレッグ・ゾーン(36歳、ブルージェイズ)
トロイ・グロース(31歳、ブルージェイズ)
【元ブルージェイズの現役選手】
ロジャー・クレメンス(45歳、97・98年ブルージェイズ)
スコット・ショーエンワイス(34歳、06年ブルージェイズ)
ボビー・エスタレーヤ(33歳、04年ブルージェイズ)
ハーウィー・クラーク(33歳、03・07年ブルージェイズ)

【その他の現役選手】
エリック・ガニエ(31歳、ブルワーズ)※カナダ人
バリー・ボンズ(43歳、ジャイアンツ)
ブライアン・ロバーツ(30歳、オリオールズ)
アンディ・ペティット(35歳、ヤンキース)
ミゲル・テハダ(31歳、アストロズ)
ゲーリー・シェフィールド(39歳、タイガース)
ジェーソン・ジアンビ(36歳、ヤンキース)
ポール・ロデューカ(35歳、ナショナルズ)
リック・アンキール(30歳、カージナルス)
ロン・ビローン(37歳、ヤンキース)
ライアン・フランクリン(34歳、カージナルス)
マイク・スタントン(40歳、レッズ)
ジェリー・ヘアストーン(31歳、レンジャーズ)
トッド・ウィリアムス(36歳、オリオールズ)
ロンデル・ホワイト(35歳、ツインズ)
ステファン・ランドルフ(33歳、アストロズ)
マット・ハージェス(37歳、ロッキーズ)
ブレンダン・ドネリー(36歳、レッドソックス)
ヌック・ローガン(28歳、ナショナルズ)
ジャック・カスト(28歳、アスレチックス)

【元ブルージェイズの引退選手】
ホセ・カンセコ(98年ブルージェイズ)
デビッド・セギ(99年ブルージェイズ)
グレナレン・ヒル(89・90年ブルージェイズ)
ベニト・サンチャゴ(97・98年ブルージェイズ)
ラウル・モンデシー(00~02年ブルージェイズ)

【その他の引退選手】
レニー・ダイクストラ(元フィリーズ)
トッド・ハンドリー(元メッツ)
チャック・ノブロック(元ツインズ)
ジェイソン・グリムズリー(元ロイヤルズ)
デビッド・ジャスティス(元インディアンス)
モー・ボーン(元レッドソックス)
デニー・ネーグル(元ロッキーズ)

【日本で活躍した選手】
ラリー・ビグビー(2008年横浜と契約)
ジェフ・ウィリアムス(2003年~阪神)
チャド・アレン(2007年オリックス)
ダン・セラフィニ(2004~2005年ロッテ、2006~2007年オリックス)
アダム・リグス(2005年~2007年ヤクルト)
アレックス・カブレラ(2001年~2007年西武)
マット・フランコ(2004年~2006年ロッテ)
バートン・ミアディッチ(2005年巨人)
クリス・ドネルス(1996年近鉄、1997~1999年オリックス)
マーク・キャリオン(1997年~1998年ロッテ)
フィル・ハイアット(1997年阪神)

 
 
写真上左:ブルージェイズ時代のロジャー・クレメンス投手。
写真上右:グレッグ・ゾーン捕手。
写真下:ブルージェイズ時代のホセ・カンセコ外野手。


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高橋 幸二

 ミッチェル報告書は、サイ・ヤング賞を史上最多の7度受賞し、歴代8位・現役最多の通算354勝を挙げたロジャー・クレメンス投手の薬物使用の実態について、9ページにわたり綴っている。
 レッドソックスに在籍していた1993年から96年のクレメンスの成績は40勝39敗、最多は11勝でそのうち2シーズンは負け越している。それで彼は「絶頂期を過ぎた」としてチームを放出された。ところがトロント・ブルージェイズへ移籍した次の2年間は、2年連続20勝、連続サイ・ヤング賞、97年は最多勝利・防御率・奪三振の投手三冠と目覚しい活躍を見せた。2004年には42歳にして18勝を挙げ、今もニューヨーク・ヤンキースの主力投手である。

 (1) ブルージェイズ・フロントの反応
 ミッチェル報告書には、彼のステロイド使用はブルージェイズ2年目の1998年に始まったと記されている。当時のゼネラル・マネージャー、ゴード・アッシュ氏は、ジェイズ最大のスターについて何の疑いも持っていなかったと語った。
「我々は、ステロイドを使用した場合の兆候について教育されていた。激怒したり、肉体の外観が変化するようなこともなかった。いったいどうやって彼のステロイド使用を知る方法があるのか?」
 ポール・ゴッドフリー球団社長は、ブルージェイズに関係した選手の名が多数リストされているのを見て、
 「失望した。子供のころから、私は野球が大好きだった。どんな形であれ、それを傷つけて欲しくはない。」
とコメントした。なおブルージェイズ関係で薬物使用した選手は、クレメンスとホセ・カンセコ以外は、他のチームに所属していたとき薬物使用を始めている。
クレメンスに関する疑惑は、ブルージェイズのブライアン・マクネイミー元コーチの証言に基づいている。彼はアメリカ司法省との取引で、ミッチェルの調査に協力したという。

 (2) マクネイミー証言
 マクネイミーは、強化・調整コーチとして1998年ブルージェイズに入団した。彼とクレメンスは、当時のスカイ・ドーム(現在はロジャース・センター球場)付設のホテルに住んでいた。
 マクネイミーの証言によると、彼は1998年6月のフロリダ遠征の際、カンセコとクレメンスが話しているのを目撃した。カンセコは当時ブルージェイズの選手で、ステロイド使用を後に自伝で告白している。クレメンスはその直後にマクネイミーに接近し、ステロイドについて尋ねてきた。そのときクレメンスは35歳であった。
 その後クレメンスは、マクネイミーにステロイド注射を手伝ってくれと依頼してきた。それでマクネイミーはスカイドーム・ホテルの部屋で、クレメンスの臀部にステロイド「ウィンストロール」を数週間で4回注射した。クレメンスは注射針を自分で用意したという。
 後日クレメンスは、より強力なステロイドアンドロール50」を持って来たが、マクネイミーはそれを使用しないよう注意して、代わりにカンセコにそれを与えた。カンセコは後に自伝でステロイド使用を告白し、マグワイアら数人のステロイド使用者の名を挙げているが、クレメンスの名は挙げていなかった。
 マクネイミーの証言が事実ならば、1998年に20勝6敗の好成績を挙げたクレメンスは、ステロイドを使い始めてから一度も負けていないことになる。
 クレメンスは1999年、ニューヨーク・ヤンキースに移籍し、マクネイミーも翌年彼の後を追ってヤンキースに入団した。クレメンスはヤンキースで2001年、6度目のサイ・ヤング賞を受賞した。
 マクネイミーはデビッド・セギ(当時ブルージェイズ)を通じ、後に薬物の違法売買で逮捕されるメッツのクラブハウス元従業員カーク・ラドムスキーの存在を知り、ジェイソン・グリムズリー(当時ヤンキース)からその連絡先を聞いた。シーズン終盤に、ラドムスキーから入手したステロイドを4~6回、ヒト成長ホルモンも4~6回、注射したという。セギ、グリムズリーの両名もステロイド使用で報告書に名を挙げられている。

 (3) クレメンス側弁護士の反論
 クレメンスの弁護士ラスティー・ハーディン氏は「ロジャーが薬物を使用した証拠は一切ない。誤った証言に抗弁する機会が与えられないまま、リストに彼の名が記載されたのは非常に不公平だ」とコメントし、告発された結果としてクレメンスが法的制裁を受けることはないことを強調した。彼はマクネイミーを「トラブルメイカー」と非難した。
by 高橋 幸二 (2007-12-15 11:58) 

高橋 幸二

 「2007年スポーツ解説」は、ブルージェイズのトロイ・グロース内野手がカリフォルニアの自宅にステロイドを配達させたと報じた。

 またニューヨーク・メッツのクラブハウス元従業員カーク・ラドムスキーは、2001年に当時ロイヤルズのグレッグ・ゾーン捕手(現ブルージェイズ)のためにステロイド「デカ・デュロボリン」と「ウィンストロール」を購入したと証言した。彼はゾーンに会ったことも話したこともないが、ステロイドは仲介者を通して注文され、ゾーンが当時所属していたカンザスシティー・ロイヤルスのクラブハウスに送られたと語った。ラドムスキーは、ゾーンからの500ドルの小切手を証拠として提示した。
by 高橋 幸二 (2007-12-15 12:04) 

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