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ブルージェイズ22年ぶりに首位、政治との奇妙な符合 [2015年下院選]

 トロント・ブルージェイズは8月12日、オークランド・アスレチックスに勝利し、10連勝を飾った。ア・リーグ東地区の首位ニューヨーク・ヤンキースはクリーブランド・インディアンスに敗れ、5連敗となりブルージェイズに首位を譲った。
 7月28日時点では、ブルージェイズは首位ヤンキースに8ゲーム差を付けられ4位に沈んでいた。ブルージェイズが8月以降で首位に立つのは、ワールドシリーズを制した1993年以来のことである。
 私がトロントに住んでいた22年前、ブルージェイズは常勝チームだった。ワールドシリーズ第6戦、ジェイズの4番ジョー・カーターが9回裏に奇跡の逆転サヨナラ3ランホームランを放ち、シリーズ制覇を決めたのは1993年10月23日のことだった。
 その興奮冷めやらぬ2日後、カナダ人は連邦議会総選挙の投票日を迎えた。野党自由党は地すべり的圧勝を収め、与党進歩保守党はわずか2議席と歴史的大敗を喫し、党勢を二度と回復することなく消滅した。カナダ政治史上に残る、劇的な「逆転サヨナラ」であった。
 自由党はその後、連続3選を果たす。そして西部の新党改革党は、52議席と躍進した。このときマニフェストを作成したのは、若き日のスティーブン・ハーパーである。彼は今連続3選を果たしており、10月の総選挙で4選目に挑む。ブルージェイズはその後22年間、一度も地区優勝することなく、万年Bクラスに甘んじた。
 ブルージェイズがワールドシリーズを初めて制したのは、その1年前の1992年10月25日だった。テレビで解説者が“Welcome to Canada. World series.”と言ったのを、今でも覚えている。そしてワールドシリーズ制覇の翌日、カナダ人は憲法改正を問う「シャーロットタウン協定」の国民投票に向かった。シャーロットタウン協定の骨子は、一つはケベックを「尊重されるべき独自の価値」と認めることと、もう一つは上院改革だった。そして23年後の今も、上院議員の相次ぐスキャンダルにより、上院改革が叫ばれている。

 連邦議会総選挙が実施された22年前、オンタリオ州の首相は新民主党のボブ・レイだった。戦後最大と言われた不況の中で、人々の予想に反し革新政権がスタートした。
 そのとき連邦新民主党は、新しい党首オードリー・マクラフリンを迎えていた。議席を持つ党として初の女性党首となった彼女は、世論調査で支持率1位となり、政権奪取に燃えていた。総選挙に勝つにはケベック進出が重要だと考えた彼女は、シャーロットタウン協定支持に回った。だがケベックに基盤のない新民主党が協定を支持したのは、戦略的に誤っていた。西部を地盤にしているにもかかわらずケベックに媚を売ったため、西部の支持者のかなり多くが右翼の改革党に投票した。そして連邦新民主党は、ケベック新民主党と提携解消するに至り、ケベックでの拠点を失った。オンタリオ州でもレイ州政権の不評が響き、連邦新民主党は総選挙でわずか9議席と、結党以来最低の大敗を喫した。カナダの歴史は、ケベック民族主義者に譲歩した者は例外なく破滅することを示している。マクラフリンは、ケベック進出を目指して民族主義者に媚を売り、オンタリオでも振るわず、政権奪取できなかった。
 それから22年後、原油価格の暴落で不景気に陥ったアルバータ州に、新民主党政権が発足した。そのとき連邦新民主党は、新しい党首トム・マルケアを迎えていた。彼のもとで新民主党は支持率1位となり、政権奪取がささやかれている。
 新民主党は歴史的にケベックに基盤がなく、2008年連邦議会総選挙で(マルケア氏自身が)1議席を獲得したのが17年ぶり2度目だったことが話題になったほどだが、2011年連邦議会総選挙では59議席を獲得し、第一党となっている。
 今回総選挙では、新民主党がオンタリオでどれだけ食い込めるかが勝敗の鍵を握っている。マルケア党首は、かつてケベック連合を支持してきた独立志向の労組ケベック労連の支持を受け入れた。歴史は果たして、繰り返すだろうか。
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