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新民主党党首にマルケア [新民主党]

 3月24日に開催された新民主党党首選で、トーマス・マルケア副党首が当選した。選挙戦は7か月もの長期にわたったが、これもマルケアに有利に働いた。というのは、新民主党の党員は西部とオンタリオが多く、ケベックでは非常に少ないが、長期に党首選を行えばメディアの注目を集め続けることができ、また党員になれば誰でも投票できることから、ケベックの党員を多く新規に獲得できれば、誰が党首であれ党の利益になるからである。

600_mulcair_wins4_120324.jpg第1回投票
1.トーマス・マルケア 19,728
2.ブライアン・トップ 13,915
3.ネイサン・カレン 10,671
4.ペギー・ナッシュ 8,353
5.ポール・デュワー 4,883
6.マーチン・シン 3,821
7.ニキ・アシュトン 3,737

第2回投票
1.トーマス・マルケア 23,902
2.ブライアン・トップ 15,624
3.ネイサン・カレン 12,449
4.ペギー・ナッシュ 10,519

第3回投票
1.トーマス・マルケア 27,488
2.ブライアン・トップ 19,822
3.ネイサン・カレン 15,426

第4回投票
1.トーマス・マルケア 33,881
2.ブライアン・トップ 25,329

 マルケア新党首は1954年オタワに生まれ、マギル大学で法学を学んだ。その後は弁護士となり、コンコルディア大学とケベック大学トロワ=リビエール校で法学を教えている。
 1994年、ケベック自由党から出馬してケベック州会議員に当選。2003年にはシャレー内閣の環境大臣に就任したが、政府のコンドミニアム開発に異を唱え、2006年に辞任した。
 その後連邦新民主党に移籍し、2007年ケベック州ウートレモン選挙区の下院補選に当選。これはケベックに支持基盤のない同党の歴史上、16年ぶりかつ2人目の議席獲得だった。当選からまもなく、副党首に指名される。
 彼は長い間、新民主党唯一のケベック選出議員だった。当選3回。短気で激しやすい性格と、風貌から「熊」とあだなされる。フランス国籍のカトリーヌ・ピナス夫人と結婚し、二重国籍となったことが党首選で暴露された。

 (1) トーマス・マルケア:改革者
 「我が党は、新民主党の旗の下に全ての革新派を糾合するため、その伝統的拠点から抜け出さなければらない」と、当選したマルケア新党首は語った。それは新民主党がもはや万年野党ではなく、政権交代可能な公認野党として、社会主義者と組合員のための党から中道寄りの改革路線にシフトした瞬間であり、また西部・オンタリオ中心の党からケベックを含むカナダ全土のための党へと変貌した瞬間でもあった。
 中道寄りのマルケア当選は、自由党のボブ・レイ党首にとって悪夢である。トーマス・マルケアはケベック自由党の閣僚だったが、離党して連邦新民主党党首となった。ボブ・レイはオンタリオ新民主党の党首だったが、離党して連邦自由党党首となった。では両者は容易に打ち解けるのかというと、そうではない。両党はともに左派政党として票を奪い合う、いわば同業他社の関係にあり、自党を離党してもう一方に移籍した元党員には、激しい敵意を抱いているのが現実である。
 レイトン党首の死去により、新民主党には暫定党首が就任した。政治歴の豊富なレイは、この機に乗じて反保守党の旗手を演じてきたが、それももう終わりである。マルケア新党首は26日にも、連邦議会でハーパー首相に党首討論を挑むだろう。彼は州会議員として3度、連邦議会議員として3度当選し、州の環境大臣と副党首のキャリアを持つベテランである。彼のバックには100人の議員がついており、その威力は自由党の比ではない。

 (2) ブライアン・トップ:裏方から表に出られなかった守旧派
 ブライアン・トップ代表は、レイトン元党首の下で何度か選挙対策委員長を務め、裏方として党の今日の発展を導いた実績が高く評価されている。彼こそがレイトン路線の忠実な後継者と見られ、また従来の左翼路線の継承者とみなされてきた。選挙は初めからトップ対マルケアの左翼路線vs中道路線、あるいは改革派vs守旧派の戦いとなった。
 トップは、党の従来の基盤である西部とオンタリオで支持を固め、ロマノウ元首相やブロードベント元党首のような重鎮に支援され、当初は本命視された。だがマルケアは、再選に不安を抱く圧倒的な数のケベック選出議員の支持を集め、優位に立った。党首選が長引くにつれ、常に裏方を務め表に出たことのないトップのスキル不足が指摘されるようになった。
 また彼は議席を持たないため、党首討論をすることができない。レイトン党首も就任直後は議席がなく、別の議員が討論するのを傍聴席で見ていた。だがその時代の新民主党は、野党第一党ではなかった。
 劣勢を意識したトップは、レイトンの死の瞬間に自分がどう応じたかをしばしば語るという奇策に出た。彼は、自分に向けられた経験不足への不安を払拭するため、正攻法で臨めなかったのである。
 さらに彼は、ジャック・レイトンの母ドリス・レイトンに「ブライアン・トップ氏はジャックのような資質を持つ政治家です」という手紙を書かせ、それを公開した。
 党首選終盤には、ブロードベント元党首がマルケアについて「しばしば他者とトラブルを起こし、社会主義の伝統から逸脱しようとしている」と激しく誹謗したが、全て逆効果となった。
 トップの敗北は、党外からの介入に党員が強い拒否反応を示したことにほかならない。また重鎮たちの実力が、多数の新しい党員の前に通用しなかったことをも意味する。

 (3) ネイサン・カレン:影の勝者・影の改革者
 当選したマルケアを別にすれば、今回党首選で最も得をしたのは第三の男カレンである。候補者のなかで最も当選回数の多い彼は、長い党首選を通して自分の名前を強烈に印象づけることに成功した。
 左派票分散を防止し、左派政権を樹立するため、保守党議員のいる選挙区では、自由党と緑の党との統一候補を擁立すべきだという彼の主張は、マスメディアでは普通に言われていることだが、新民主党においては禁句であった。彼は党守旧派の激しい敵意を呼び、彼のスタッフは先行きを心配したが、党首選が進むにつれて着実に支持を伸ばしていった。そして改革派のカレンが第3回投票に進んだことで、彼が次に脱落した場合でも、その票はマルケアに流れることが予想されるから、どのみち改革派が守旧派に勝利するのは確実だった。
「草の根の選挙運動に、ぞくぞくするよ。変化の風を感じる。」
とカレンは語った。
 カレンの選挙参謀ジェイミー・ヒースは、こう述べた。
「今ここで起こっていることは、新民主党は開かれた議論ができるということだ。好むと好まざるとにかかわらず、それは党内で審議されるべき問題なのだ。ネイサンは、果敢にそれをやったことで十分な賞賛に値する。」
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図:トップを影で操るブロードベント元党首。
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