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連続レイプ殺人犯クリフォード・オルソンが病死 [犯罪・事件]

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 1980年から81年にかけて、8人の少女と3人の少年をレイプした後殺害した「ブリティッシュコロンビアの野獣」クリフォード・ロバート・オルソン受刑者が9月30日、癌のため病院で死亡した。71歳だった。

 1981年、誘拐容疑で逮捕された彼には殺人の容疑もあったが、物証がなかった。彼は4人の遺体のありかを教える報酬として、3万ドルを要求した。ロバート・キャプラン司法長官は証拠の確保と遺族に遺体を返還するため、取引に応じた。オルソンは、実はもっと大勢殺していると言って、さらに1体につき1万ドルを要求し、計11万ドルをせしめた。彼はあと20人分の報酬として10万ドルを要求したが、今度は聞き入れられなかった。

 第一級殺人罪で11度の終身刑を宣告された彼は、出入口をプレキシガラス(強化ガラス)で特別に保護された独房で過ごした。だが彼は、30年もの間毎年のようにメディアに取り上げられ、遺族たちにその都度事件を思い出させた。オルソンが契機となって改正された法律も数多い。殺されたレイモンド・キングJr.さんの父レイモンド・キングさんは、こう述懐する。
「最初の17年間、彼はまるで時計仕掛けのように毎月ニュースに登場した。私たちの心に、癒されるいとまを与えなかった。」
 オルソンは「等身大で丈夫な、膨らませる必要のない革新的ダッチワイフ」を要求した。1989年には神の赦しを得たと称し、この問題の終わりを宣言した。
 オルソンはまた、殺害したダーリン・ジョンスルードさんの両親を名誉毀損で告訴しようとし、さらに殺害時の様子を詳細に綴った手紙を送りつけ、子供たちを誘拐する方法を教えるビデオを制作した。
 1992年には背中の痛みを訴え、キングストン病院で検査を受けたところ、直腸内から手錠の鍵が見つかった。
 彼はまた、法律上の権利を行使して頻繁に仮釈放を申請した。カナダ刑法に「わずかな希望条項」があり、15年服役した囚人には申請する権利が認められていたため、1997年に申請したが拒否された。後に刑法が改正され、連続殺人犯にはこの権利が除外された。
 2006年に彼は再び、仮釈放を申請した。25年服役した第一級殺人犯には、申請する権利が認められていたからである。このとき彼は、残酷な刑罰が憲法違反に当たるとか、9月11日の同時多発テロに関する情報提供を理由にアメリカ政府が恩赦を要求しているなどの奇怪な主張を行った。仮釈放審議会のジャック・ルタンドルは「彼は性的サディストかつナルシストであり、釈放されれば再び殺人を犯すだろう」と述べ、申請を却下した。
 彼の頻繁な仮釈放要求は、2010年11月に拒否されたのが最後となった。
 2010年3月には、オルソンが2種類の年金を毎月1169ドル47セント受け取っていたことが判明した。65歳以上の人は誰でも、カナダに居住した年数に応じ、老齢保障年金(OAS)を受給する資格がある。彼にはまた、低収入の年金受給者に支給される収入保証手当(GIS)の受給資格もあった。
 4万6000人もの署名入り嘆願書を受けて、連邦議会はC-31号法を改正し、禁固2年以上の囚人は年金を受給できないようにした。収入保証手当も2011年、受給できなくなった。
 すると彼は2010年10月、カナダ保守党に政治献金を行い、免税のためのレシートを要求したが、献金受領を拒否された。

 クリフォード・ロバート・オルソンは、1940年ブリティッシュコロンビア州バンクーバーに生まれ、リッチモンドで育った。学校では他の児童に毎日のようにいじめられ、腹いせに弱い者や動物をいじめていた。やがて学校をさぼるようになり、10歳から窃盗、強盗、住居侵入等を繰り返し、中学2年でドロップアウトした。
 17歳で初めて刑務所に入り、90以上の犯罪で起訴され、その後は刑務所を出たり入ったりを繰り返し、以後25年間のうち21年を刑務所で過ごした。彼はいつも他の囚人からいじめられるので、彼が死なないように何度も刑務所を移動させられた。刑務所でレイプ殺人犯ゲイリー・マルコーと知り合い、レイプ殺人という新しい欲望に目覚めた彼は、1980年12月25日、ついに最初のレイプ殺人に手を染める。
 1981年5月15日にはジョーンと結婚するが、花嫁は新郎がすでに3人の少年・少女を殺していたことを知らなかった。結婚式の4日後には、サンドラ・ウォルフスタイナーさんを殺害している。

 2011年9月、オルソンは末期の癌のためケベック州ラバルの病院に移された。彼の死が近いことは、遺族にも通知された。殺されたテリー・ビゾーさんの母テリー・リン・カーソンは、矯正院からの電話を受け取ったとき、それがどういう要件なのかすぐ察知したという。
「私が『死んだの』ときくと、相手は『そうです』と言った。今の気持ちを、どういう言葉で表現すればいいのだろう。私は30年間、この日を待っていた。私が今感じていることは、やってこれで全てが終わったということだ。正義は成された。遺族が彼を火葬して、遺灰をトイレに流してくれるといい(※北米では火葬は非常に稀)。私たちの子供が殺される前に、死刑を廃止すべきではなかった。」
 殺されたダーリン・ジョンスルードさんの母で、被害者の権利活動に従事するシャロン・ローゼンフェルトさんは、複雑な心境を明かした。
「今の気持ちを表現することは、とても難しいです。多くの人は、私が歓喜して飛び上がっているものと思っているでしょう。でもそれは、私の現実ではありません。現実は、今、息子が死の30年後にしてようやく安息を得られたということです。」
 ダーリンの弟は、母にこう言ったという。
「たとえオルソンが死んでも、兄は戻っては来ないよ。ただ、彼はもう二度と僕らを傷つけることはできない。」
 矯正院は、もしも遺族が遺体を引き取らない場合は、矯正院が秘密の場所に埋葬するという。墓が暴かれないよう、オルソンの名が刻まれることはない。
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