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「命の旅」フォンヨーの勲章を剥奪 [犯罪・事件]

3504919 SNSサイト“Facebook”では、バンクーバーオリンピックの最終聖火ランナーを当てる投票が盛り上がっている。骨肉腫で右脚を失いながら義足でカナダ横断マラソンに挑んだテリー・フォックスの母ベティや、車椅子バスケットボールでテリーのチームメイトであり、車椅子で世界旅行を成し遂げたリック・ハンセンらに人気が集まっている。だがもう一人の挑戦者、スティーブ・フォンヨーの名を挙げる者はいない。彼は今、サーレー拘置所にいる。
 1月25日総督府は、フォンヨーに与えたオーダー・オブ・カナダ勲章を、「数々の犯罪行為ゆえに」2009年12月10日に剥奪したと発表した。

 スティーブ・フォンヨーはモントリオールに生まれ、12歳のとき骨肉腫で左脚を失った。テリー・フォックスの「希望のマラソン」に感銘を受け、志半ばで世を去った彼の意志を継ごうと、1984年3月31日、カナダ横断チャリティマラソン「命の旅」を始めた。
 テリーは青い目の大学生だったが、フォンヨーはハンガリー系で高校中退だった。18歳の彼は挙動がぎこちなく、彼の挑戦はテリーの偉大な足跡を冒涜するものとみなされた。若い彼はただ黙って耐え、1985年5月29日、ついにビクトリアの海に義足を浸し、7924キロのマラソンを完走した。彼はこのチャリティマラソンで、1400万ドルの募金を集め寄付した。
 フォンヨーはその年、史上最年少でカナダ最高の勲章オーダー・オブ・カナダを授与された。彼の業績を称えてキングストンでスティーブ・フォンヨーDr.、プリンスアルバートでスティーブ・フォンヨーRd.、ビクトリアでスティーブ・フォンヨー・ビーチと命名された。1988年には、カルガリー・オリンピックの聖火ランナーの一人に選ばれている。

 彼の生涯には、常に偉大なテリーの影がつきまとった。テリーは実際のところどこにでもいる若者だったが、志半ばで天に召されたテリーはほとんど神格化されていた。「テリーの二番煎じ」という酷評は、彼を悩ませた。
 1989年エドモントンの駐車場で、車内に置いた競技用の義足を盗まれたことから、彼の転落は始まった。大家の頭をレンチで殴り29針縫う重症を負わせ、スーパーで小切手で煙草を購入し、それをコカインと交換した後、小切手を不渡りにした。また愛車クライスラー・レバロンの2万1000ドルのローンを返済できなくなり、銀行に差し押さえられた後、それを盗んで取り戻した。1996年、彼は暴行・詐欺・窃盗など10件以上の容疑で起訴され、禁固18か月・執行猶予2年の判決と、スーパーマーケットへの1万1000ドルの支払いを命じられた。
 2008年には少なくとも5度の飲酒運転、7度の無免許運転で再び有罪判決を受けた。2009年には暴行で起訴され、禁固1日・執行猶予1年の判決を受けたが、そのわずか5日後に再度起訴され、禁固14日を宣告された。

 オーダー・オブ・カナダ勲章は、以下の条件に該当するとき剥奪できる。
・刑事事件で有罪判決を受けた場合
・公共の場での挙動において一般的に認められる標準から逸脱した場合
 勲章を剥奪された例は、過去に3件ある。アラン・イーグルソンは1998年、詐欺罪で投獄されたため勲章を剥奪された。デビッド・アヘナキューは2002年、反ユダヤ言説で告訴され有罪判決を受けたため剥奪された。T・シェア・シンは顧客への不正行為で有罪判決を受け、2008年に剥奪された。

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写真上:ビクトリアの国道1号線基点「マイル・ゼロ」に到達したスティーブ・フォンヨー。
写真下:ビクトリアのビーコンヒルズ・パークにあるスティーブ・フォンヨー記念碑。
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