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ケベック州議会選挙で民主行動党が大躍進、ケベック政界地図に変化の兆し [ケベック]


 3月26日に行われたケベック州議会選挙(定数125議席)の結果は以下の通りとなった。( )は前回議席。

自 由 党:48議席(72)
民主行動党:41議席(5)
ケベック党:36議席(45)

 与党自由党は議席を大きく減らしたものの48議席を獲得して第一党となり、かろうじて少数政権を維持することとなった。多くのメディアがシャレー首相落選を報じたが、これには不在者投票が集計されていなかったことが判明し、約1時間後、彼の当選が発表され、最後の当選者となった。二大政党の一角を担ってきたケベック党は1973年以来初めて第三党に転落し、かわってわずか5議席の民主行動党が41議席と大躍進して、初めて公式反対党となった。
 ケベック州で少数政権の誕生は、1878年以来129年ぶりのこと。なお1878年の州議会選挙では、定数65に対し保守党32議席、自由党31議席と接戦で、そのうえ「無所属保守党」が2名いた。自由党のジョリ=ド=ロトビニエールが保守党の造反議員4名の協力を得て政権を奪取したが、1年半後5名の自由党議員の造反により辞任に追い込まれ、保守党が政権を奪回している。

 進歩保守党がイギリス王党派によって結成された経緯から、ケベック州では歴史的に保守勢力が弱かった。ケベック自由党のナショナリズムグループが離党し、ケベック保守党に合流して成立したユニョン・ナショナルが、1935年に政権につき70年まで政権を維持した例があるが、「ナショナリズム」と言っても独立主義のことではなく、カトリックの伝統を重んじた宗教と政治の融合を理想とする政治のことで、あまりに時代錯誤的なため70年代にケベック党が結成されると、有権者の支持を失って消滅した。ケベック党はフランス語政策で知られ、英語系メディアでは分離主義の過激政党のように報じられることがあるが、その本質は社会民主主義である。つまり1973年のユニョン・ナショナル壊滅から、ケベック政界は右派政党なしに、自由党とケベック党の2つの左派政党によって争われてきたことになるのである。ここ30年間、ケベック政治の主題はもっぱら独立問題であった。ゆえに今回選挙での民主行動党の躍進は、分離主義対連邦主義の構図を根本的に変える可能性も秘めている。

 民主行動党は1994年に結成されて以来、長らく議員はマリオ・デュモン党首一人だったが、2002年の補欠選挙でケベック党と自由党の両方に不満を持つ層の支持を受け、連戦連勝して5議席を獲得し旋風を巻き起こした。1995年の独立を問う住民投票では、ケベック党・ケベック連合との間に三者協定を結び「連邦政府との間で経済的・政治的パートナーシップ協約を結ぶ」提案に賛成の立場をとったが、後に主権構想をめぐる住民投票の10年間凍結を提唱して、カナダ連邦に留まりケベックの州権強化を目指す路線に転向する。分離主義から距離を置き「自治主義」を綱領に掲げるとともに、むしろ減税、予算の縮小、州公務員の削減、民活の奨励、民間保険導入、私学援助、教育委員会の廃止、刑事罰の強化など住民生活に実利のある政策を打ち出している。今回選挙で躍進した理由については、モントリオールの覇権に対する残りのケベックの憤慨、既成政党への漠然とした不信感と、独立問題への倦怠感ではないかと考えられる。モントリオールではアフリカ系やベトナムの移民が増加し、ケベック州は非フランス系住民が増加している。北部には先住民も多い。1995年の住民投票で独立が否決されたとき、ケベック党のパリゾー首相が「マネーとエスニックのせいで負けた」とコメントして非難を浴び辞任したが、ケベックの将来をフランス民族・フランス文化の観点でのみ捉えることはもはや時代遅れなのではないだろうか。

 今回選挙の表の争点はケベック独立とマイナリティ民族文化、裏の争点はセクシャル・マイナリティで、いずれもケベック党のアンドレ・ボワクレール党首が播いた種であった。彼は選挙後2年以内に独立を問う住民投票を実施すると公約したが、「連邦政府は独立を問う『明確な質問』に対する州民の『明確な賛成』の意思表示がない限りケベック独立は認めない」と定めた明確化法を非難し、「もし州首相に就任したら、設問の明確さについての最高裁判所の判決を無視するだろう」と語った。いっぽうジャン・シャレー州首相は英語系プレスに対し、「ケベックが独立した場合、必ずしも現在の領土が完全に保たれるとは思わない」と語っている。後に「ケベックは不可分であるというのが発言の本意だ」と弁明したが、彼が連邦進歩保守党の党首だったとき「1995年の住民投票の結果が『独立にイエス』だった場合、クリー族とイヌイットに独立を宣言する絶好の法的根拠を与えることになっただろう」と語ったことを有権者に思い出させた。
 ボワクレール党首は、議会に議席を有する政党ではカナダ初の(公表した)ゲイの党首である。ラジオDJのルイ・シャンパーニュ氏は、ケベック党のシルベン・ゴドロール候補について「ジョンキエールの労働者がゲイに投票するわけないだろう」と発言して謝罪し、降板させられている。
 ボワクレール党首はまたトロワリビエールでの演説で、ハーバード大学の学生時代を思い出し「学生のおよそ3分の1は吊り目(Les yeux bridés)だ」と発言したことが、英語系メディアで“slanting eyes”と報道され、人種問題リサーチセンターと中国系カナダ人協会、さらにケベック連合初の中国系候補となったメイ・チュウ氏からの抗議を受けたが、彼は「フランス語を英訳したときのニュアンスの問題だ」として謝罪を拒否した。なおハーバード大学のアジア系学生は13%である。
 今回総選挙は、ボワクレール党首の一人相撲に終わった感がある。彼は辞任を否定しているが、党首の責任問題に発展するのは避けられない見通しとなっている。彼がかつてハーパー首相とブッシュ大統領を同性愛として描写するコメディーに出演したときは、ランドリー前党首らによる党内クーデターが起こっている。

 ケベック党は今回も住民投票を公約していたため、連邦の保守党政権は連邦維持の立場からケベック自由党を支援していた。だが次回からは、民主行動党を支援することになるだろう。ハーパー首相は選挙の結果を受けて、こうコメントした。「これはケベックとカナダのための良い知らせだ。我々は次の住民投票の実施に反対する政府を持つ。同時に、我々は次の住民投票の実施に反対する公式反対党を持つ。この状況はおよそ40年ぶりのことだ。」
 民主行動党のトム・パントフンタ前副党首は「デュモン党首は、連立して独立のための住民投票に突き進もうというケベック党からの提案を拒絶し、連立の可能性は完全に閉ざされた。我が党もデュモン党首も、ケベックの未来はカナダ連邦の中にあると信じている」と語った。さらに「我が党への強い支持は、ケベック政界で繰り返されてきた連邦主義・分離主義の亀裂に終止符を打つだろう。州政治はその間にこれら2つの古い党によって泥沼にはまり、大多数の健全な民主主義が扱うべき問題を議論することを怠ってきた。我々は1250億ドルもの負債を抱え、インフラも、教育も、医療もボロボロだ」とも語った。

 新人議員ばかりの民主行動党は、今後は支持基盤の偏りや試行錯誤的な政策を問われることになるだろう。一過性のブームとして終わるか、それとも2つの左派政党による分離主義対連邦主義の争いに終止符を打ち、政権交代可能な右派の第三党としての地位を確立するのか、今後その真価が問われることになる。

写真:大躍進に歓喜する民主行動党のデュモン党首と、妻マリー=クロード・バレット、娘アンジェラ。


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