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マッケイ法務大臣、引退を表明 [保守党]

 ピーター・マッケイ法務大臣は5月29日、次の総選挙に出馬せず引退すると発表した。
 彼は「全く個人的な理由で、公生活から身を引き、若く発展しつつある私の家庭に集中する時が来た」と語った。彼には夫人と幼い息子がいて、夫人は2人目の子を妊娠している。
 彼は現在次の職を探しているわけではなく、次の総選挙までは下院議員と法務大臣の職にとどまるというハーパー首相の要請を受け入れたと説明した。
 進歩保守党最後の党首となった彼は、党内左派を代表する人物であり、ポスト・ハーパーの有力候補としてしばしば名を挙げられた。記者は彼に、本当に永久に政界を去るのかと念を押したが、彼は「それに言及するのは不誠実だ」と答えた。
 マッケイ法務大臣は1965年、エルマー・マッケイ公共事業大臣の息子として生まれた。1997年、36歳で進歩保守党から下院議員に初当選し、30代の新人議員たちとともに「青年トルコ党」と呼ばれた。2006年に大西洋カナダ開発庁担当大臣、2007年に国防大臣、2013年に法務大臣に就任した。
 2003年の進歩保守党党首選で、マッケイはカナダ同盟との合併協議に応じないと公約したが、当選するとただちに合併を成立させ、新党の副党首に就いた。彼は、下院に残る元進歩保守党最後の議員でもある。
 進歩保守党議員だったビル・ケーシー氏は、こう述べた。
「ハーパー政権の顔ぶれは、みんな元改革党になった。進歩保守党はいなくなった。」
 ケーシー元議員は、2007年にハーパー内閣の予算案に反対票を投じ、党を除名された。次の総選挙では自由党から出馬することになっている。5947880.jpg

 若い二世議員のマッケイは、「カナダで最もセクシーな政治家」として話題を呼んだ。同僚のベリンダ・ストロナック議員と交際していたが、彼女は2005年5月、閣僚ポストと引き換えに与党自由党に移籍し、予算案を可否同数で可決させた。マッケイは彼女の動向を知っていたにもかかわらず、秘密を守ったため非難された。
 その後はジェリー・メリシュー退役軍人大臣の娘リサ・ミシェル・メリシューさんと浮名を流し、2006年にコンドリーザ・ライス国務長官がカナダを訪問した際も、意気投合して恋の噂を立てられた。2009年にはCTVディレクターのジェイナ・ジュジノビッチさんと婚約したが、翌年解消した。2012年、人権活動家で元ミス・ワールド・カナダのナザニン・アフシン=ジャムさんと結婚した。
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 党内ナンバー2だったマッケイは、重要閣僚を歴任した。国防大臣を6年務めたのは史上2番目の長さになるが、彼はハーパー内閣のトラブルメーカーだった。2007年にアフガニスタンの基地に滞在していたとき、ロケット攻撃を受けた。2010年には、私用で軍用ヘリを使い3万2000ドルを費やしたことで非難された。2012年には、ステルス戦闘機F35の調達費用を見積もりより低く議会に報告したことで問題視された。2011年には、カリフォルニアとブリティッシュコロンビアは隣どうしだと言って、(英語が不自由なため頭が悪いと思われている)アーノルド・シュワルツェネッガー元州知事に誤りを指摘された。2012年のフランス革命記念日には、オタワのフランス大使館で「フランスは1812年戦争で、イギリスとともにアメリカと戦った」(実際はフランスはアメリカを支援した)とスピーチした。
 議会での追及を恐れたハーパー首相は、内閣改造でマッケイを法務大臣に異動させた。だが彼は、新しい任務に就いてもトラブルを起こし続けた。2013年、ノバスコシア裁判所に任命された裁判官9人のうち6人がマッケイ法務大臣と知り合いだったため、疑惑を呼んだ。マッケイの秘書は、裁判官は委員会が推挙した人物を法務大臣が任命するだけだと抗弁した。
 2014年の母の日には、法務省の女性スタッフに「法務省で働く母親は、家と職場で2つのフルタイムをこなしている。朝オフィスに到着する前に赤ちゃんのおむつを換えたり、皆のランチを用意したり、子供をスクールバスに乗せたり」という内容の電子メールを送り、翌月の父の日には男性スタッフに「父親の言動や影響により次代を担うリーダーたちの心が育まれる」という内容の電子メールを送り、前時代的で差別的だとして非難された。


写真上:リサ・ミシェル・メリシューさんとピーター・マッケイ氏。
写真下:結婚式で花嫁を追いかけるピーター・マッケイ氏。
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