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バンクーバー・サウスでシーク教徒が多数自由党離党の動き [自由党]

harjit-sajjan-and-gov-gen-david-johnston.jpg バンクーバー・サウス選挙区の自由党候補者選定について、多くのシーク教徒有権者が不満を抱き、離党する動きを見せている。シーク教徒はブリティッシュコロンビアとオンタリオに50万人おり、次の総選挙に大きな影響を与える可能性を秘めている。
 バンクーバー・サウス選挙区はインド系有権者の多い選挙区で、自由党が1993年からシーク教徒の候補を立てて18年間保持してきたが、2011年保守党のウェイ・ヤン(中国系)に奪われた。しかし自由党の勢力は根強く、次の総選挙で奪回を目指す接戦選挙区の一つである。
 ジャスティン・トルドー党首は、全ての選挙区で候補者選定は公開ノミネーションを行い、地域に委ねるという方針を掲げた。バルジ・ダハン氏は、この選挙区の元職でマーチン内閣の厚生大臣を務めたウジャール・ドサンジ元議員と親しく、かなり前から立候補を嘱望していた。ところが党は、シーク教徒で初めて陸軍連隊長になり勲章も授与されたハルジット・シン・サジャン氏の擁立をはかり、ダハン氏に立候補を辞退するよう求めた。ダハン氏は、辞退した理由をメディアに説明することを拒否した。

 サジャン候補の父クンダン・サジャン氏は、世界シーク教徒機構(WSO)理事を務め、ロス・ストリート寺院における原理主義グループのリーダーでもある。
 WSOは、シーク教徒独立国樹立のために戦う「カリスタニスト」の組織として、1984年に創立された。だがWSOは創立以来、一部の過激派による言動のため、常に議論の的であった。WSOは、1985年に起きたインド航空182便爆破事件と、シーク教過激派との関わりをもみ消すことに多大な労力を注ぎ、インド政府による自作自演を主張した。また、1984年にインディラ・ガンジー首相を暗殺した犯人を賞賛した。

barj-dhahan.jpg だがサジャン候補は「私はWSOの会員ではない」「最終的には、それはバンクーバー・サウスの人々の問題だ」と語った。
 それでも、サジャン候補がノミネーションなしに擁立されたという事実は、一部の熱心な党員にはトルドー党首の公約違反に映る。彼らはトルドー党首が、WSOのプレム・ビニン前会長とWSO創設者の息子ナブディープ・ベインズ元議員にあやつられていると主張した。
 シーク教徒団体「カルサ・ディワン協会」のカシュミール・ダリワル前会長は、こう述べた。
「自由党特にトルドー党首は、過激派・原理主義者と同じベッドにいる。私は自由党を離党することに決めた。」
「民主主義を尊重しない党を、我々は支持しない。」
 バンクーバー・サウス支部で委員を務めたジャグディープ・サンゲラ氏は、こう述べた。
「大多数のシーク教徒は、WSOとは関係ない。」
「我々は、次の選挙で自由党を支持しないと決めた。バンクーバー・サウスの4000人以上のシーク教徒有権者は、離党し離反することになる。」
 インド航空182便爆破事件で家族3人を亡くしたマジャール・シドゥ氏は、こう語った。
「自由党は、テロリストを擁護している。私はハーパーを支持する。」
 ランビル・マンジ氏は、こう吐き捨てた。
「私は恥ずかしく思う。これではまるで、発展途上国の政治だ。」
「WSOは、インドで分離主義のために戦っている人々を支援する組織だ。」
「兄弟、姉妹、姪たち、甥たち、みんなきのう離党すると決めた。25人だ。」

 WSOは、暴力を標榜しない人権団体であるという声明を発表した。また、特定の党や候補を支援しないと回答している。
 トルドー党首は、バンクーバー・サウス選挙区の候補擁立について以下のように総括した。
「国中のいろいろな状況において、さまざまな問題があった。そして一部の人々は、辞退する道を選んだ。」
「勝った人がいて、そして、勝たなかった人がいる。そしてしばしば、成功しなかった人々は不満を述べる。しかし、誰を次の自由党候補にするかの決定権を地域に委ねる公開ノミネーションは、大成功だった。私はそれを誇りに思う。」


写真上:ハルジット・シン・サジャン候補(左)とデビッド・ジョンストン総督(右)。
写真下:バルジ・ダハン氏。

【参照】 インド航空182便爆破事件犯人が保釈
http://blog.so-net.ne.jp/canadian_history/2008-07-12
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