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レイ暫定党首、自由党党首選不出馬を表明 [自由党]

 自由党のボブ・レイ暫定党首(63歳)は6月13日、2013年に開催される党首選に立候補しない意向を表明した。
「私は、党のために働くうえで最善の方法は、自分が党首選に立候補しないことだという結論に達しました。」
 総選挙に惨敗した1年前、党再建のため経験豊富な人を暫定党首に就けようと、レイに白羽の矢が立てられた。本当は正式な党首になりたいという彼の野心を誰もが知っていたが、オンタリオ州首相時代に財政を破綻させた前歴のある彼には異論が多かったので、「正式な党首の地位を求めない」と約束させたうえで暫定党首に指名した。だが自分のほかに、ハーパー首相に対抗できる経験豊富なライバルはいないとレイは自覚していたので、暫定党首としてうまくやれば、レイを正式な党首にしようという声が上がるものとみて、チャンスを虎視眈々と狙っていたのが実情であった。首相の息子で人気のあるジャスティン・トルドーは「時期が早い」として不出馬を表明していたし、黙っていれば議員たちの方から出馬を要請されるはずだった。レイの支持者たちも、11日まで彼が出馬表明するものと思い準備していた。
 だが、「正式な党首の地位を求めない」と明言した彼の出馬が取り沙汰されるようになると、反対派の議員たちがブログなどで批判キャンペーンを始めた。自由党が勢力を回復するため、最も確実に奪還できそうな選挙区はオンタリオだが、レイが党首になればオンタリオ有権者の反感を買い、候補者が大量に落選するおそれがある。オンタリオ選出議員たちは、レイの出馬に猛反発した。
 レイトン党首が死去したとき、最も喜んだのは自由党だっただろう。新民主党の躍進は、彼の個人的な人気によるところが大きかったからである。自由党は、次の選挙では野党第一党の地位を回復できそうだと考えたはずだ。だが新しい党首のマルケアは、世論調査で人気が高く、そのうえ元自由党議員で中道寄りである。次の選挙では、リベラル票は新民主党に集まりそうで、たとえ自由党党首に勝利しても、首相への道はなお遠い。現在63歳と、カナダ政界では高齢の部類に属するレイは、次の次の選挙を迎えるころには70歳をすぎているだろう。そんな年齢になってまで、党分裂のリスクを抱えてまで党首選を戦う価値を、レイは見出せなかったのではないだろうか。

 暫定党首としての1年間を振り返り、彼はこう述懐した。
「私はある意味、避雷針のようなものだったと思う。」
 あえて暫定党首の任務を引き受け、新民主党時代のネガティブキャンペーンの矢面に立つことで、自由党が攻撃されるのを回避し、党再生に尽くすことができたということだろうか。
 ジョン・マッケイ議員は、暫定党首としてのレイの働きを賞賛した。
「ボブは本当によくやってくれた。ほかの誰にも、彼よりうまくはやれなかっただろう。」
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高橋幸二

 ワーホリ時代も今では、20年前の遠い青春の思い出になっていますが、当時オンタリオ州首相だったボブ・レイがいまだに政界をにぎわせていることにも驚きます(小沢一郎もすごいですが)。当時のトロント・スター紙(自由党支持で知られる)は、毎日のように反NDPキャンペーンを繰り広げていました。
 レイの不出馬宣言により、ジュスタン・トルドーに注目が集まっています。オンタリオには根強い(父の)トルドーマニアがいて、彼を党首にすればオンタリオで一定の勢力を回復できるでしょうが、中西部では依然として憎まれているため、彼が党首では中西部での議席獲得は絶望的になるでしょう。もっとも現在すでに、ほとんど不可能ですが。

 昭和の初めまでは、全国的に自由党と保守党の二大政党制であり、中西部もそうでした。マニトバ州では進歩党が強い勢力を持っていましたが、キング首相は左派票の分散を恐れ、進歩党の解体を目論み、21年の長期政権の間にこれを解散させ、自党に取り込んでしまいました。しかし進歩党の解体は保守党を利しただけで、中西部選出のディーフェンベーカー政権以降、中西部は完全に保守党の地盤となってしまいます。中西部での自由党の議席獲得が困難になると、トルドー首相は開き直り、中西部の地下資源をターゲットにした「国家エネルギー計画」を実施しますが、これで自由党は中西部で完全に見放されました。
 ケベック州はかつて自由党の金城湯池でしたが、1982年憲法でのだまし討ちにより支持を失いました。84年総選挙で大敗すると、自由党はその原因を究明し、失地回復の必要性を訴えました。ところが保守党政権がミーチレイク協定で勝手にこけてしまい、保守党分裂が漁夫の利となって、十分な反省も対策もされないまま、自由党はオンタリオだけで100議席を獲得し、政権に復帰してしまいます。しかし今世紀に入り保守合同が行われ、オンタリオに保守党と新民主党が食い込むようになると、自由党は中西部で議席が取れず、都市部と東部でしか議席が取れない党になってしましました。

 新民主党はかつては、オンタリオと西部だけの党でしたが、90年代のマクドーノー党首(東部選出)時代に東部に浸透し、2009年にはついに東部初の新民主党政権を実現させました。弱点だったケベックでも、2011年下院選挙で第一党になるなど、新民主党は長い年月かかって全国政党へと脱皮を遂げたのです。大票田オンタリオ一州の上にあぐらをかき、地方を見捨てて没落した自由党とは対照的です。

by 高橋幸二 (2012-06-16 20:38) 

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