SSブログ

新民主党はケベックを地盤にできるか [新民主党]

 ケベックで支持されてこなかった新民主党がケベックで躍進し、初めてケベックの第一党となったことは、カナダの政界地図を大きく変える可能性を秘めている。
 進歩保守党が1984年、根拠地の西部とそれまで支持のなかったケベックの両方の支持を得て総選挙に圧勝したことで、マルローニ政権は、互いに敵対関係にあった両者の要望に応えなければならなくなった。だがそれゆえ彼は、西部とケベックの間で股裂きとなり、ミーチレイク協定に見られるように、両者の要望に対しそれを統合する理念なしにそれぞれ迎合する結果となり、最終的には両者に見捨てられ、破滅の途をたどることになった。
 新民主党もまた、世論調査で支持率トップになり、政権獲得を意識したオードリー・マクラフリン党首が、ケベック有権者の関心を引くためミーチレイク協定支持に回ったことにより、中西部の支持者に見捨てられ、1993年総選挙でわずか9議席と史上最低の結果に終わっている。
 ケベックは確かに「独特の社会」であり、「残りのカナダ」とは文化的にも政治的にも際立った違いがある。両者の考えにはギャップが大きすぎて、何人たりとも調整不可能であるように思われる。この両者のギャップを調整しようと試み、ケベック民族主義に譲歩した者たちは次々と政治生命を失っていったのが現実の歴史である。ケベック民族主義への譲歩はタブーであり、ゆえにケベックの利害を代弁する政党は、ケベック連合のようにケベックだけで支持されている組織の方がよかったのだ。
 新民主党は本来、西部とオンタリオを根拠地としている。その新民主党が、新たにケベックの有権者を支持層として取り込もうとするなら、それは先人たちと同じ破滅の途をたどることにならないだろうか。
 新民主党は90年代半ばまで、東部で支持されていなかった。ところが東部選出のアレクサ・マクドーノーが党首に就くと、1997年総選挙で新民主党は、政府与党の失業保険削減に抗議して、議席を獲得することに成功する。そして2010年にはついに、ノバスコシア州で東部初の新民主党政権樹立に至るのである。
 東部を新たに地盤とすることに成功した前例があるため、新民主党が必ず破滅するとは言い切れない。しかし舵取りを誤れば、奈落の底に落ちる可能性も、決してないとは言い切れない。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:地域

nice! 0

コメント 0

コメントの受付は締め切りました

トラックバック 0