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ジョージス議員、キャリアの全ては灰か [保守党]

 ヘレナ・ジョージス下院議員は大臣を辞任し、保守党幹部会からも追放され、現在は無所属議員である。保守党はスキャンダルにまみれたジョージス議員を次期総選挙で公認するのを好まず、新しい候補者を探しているという。政治家一族に生まれ、ミス・コンのタイトルすら手に入れた才色兼備のエリート大臣は、そのキャリアの全てを失うことになりそうだ。

 ヘレナ・ジョージスの曽祖父はトルコのアッシリア人だったが、1949年オンタリオ州アンガスに移住した。そこは荒れた土地だったが、ジョージス一族は開拓に努め、やがてその一帯の行政を牛耳るようになる。
 ヘレナの祖父ジョージは、エッサの町議会議長を務めた。ヘレナの従兄弟デビッドはエッサ市長、トニーはスプリングウォーター市長で、ヘレナの妹クリスティン・ブレイフォードはニューテクムセス町会議員、叔父エドワードはエッサの元市会議員である。
 だがヘレナは、一族の地盤・看板を譲り受けて何の苦労もなく政界進出したわけではない。彼女は初めジョー・タスコナ州会議員(進歩保守党)の秘書、ついでジャネット・エッカー文部大臣の秘書を務めた。エッカーは回想する。
「彼女は確かに美人だったが、それだけで出世したわけではない。」
 その仕事ぶりで周囲に強い印象を与えたジョージスは、2003年州議会選挙で進歩保守党から立候補したが、3位に敗れた。そこは保守党の弱い選挙区で、党は勝つことを期待していなかった。ところが2004年下院選挙で、彼女はカナダ保守党からオンタリオ州シムコー=グレイ選挙区に立候補し、当選を果たす。美しい風貌と少女のような声とは裏腹に、彼女は議会で自由党を鋭く攻撃した。2007年の内閣改造で、彼女はスポーツ担当大臣に任命される。
 ジョージスは彼女の選挙スタッフと婚約していたが、若いラヒム・ジャッファー議員と知り合い、恋に落ちる。2008年下院選挙でジョージスは当選したが、ジャッファーは落選した。二人は翌日、電撃的に結婚する。大臣にはおよそ似つかわしくない、駆け落ち同然の質素な結婚式であった。

 後に女性問題担当大臣に就任するジョージスは、フェニストから攻撃の対象にされそうな「ミス・ヒューロニア」コンテストで1990年、優勝している。彼女は後に、最初に応募したときは水着審査では合格したのに、最終審査では不合格になったので、ミス・ヒューロニアは美人コンテストではないと語っている。
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