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国旗制定40周年 [自由党]


 2月15日、カナダ国旗が誕生40周年を迎え、 ポール・マーチン首相とリザ・フルーラ遺産大臣はオンタリオ州キングストンで行われた特別式典に出席した。フルーラ遺産大臣はマスコミの取材に対し
「国旗は、国内外の人々に対し我々カナダ人の誇りを象徴するもの。国旗を称賛することはカナダの土台となっている様々な価値観や言語、文化的・地理的多様性を称賛することになる」
と語った。白地に赤のメープルリーフで知られる国旗が、カナダのシンボルとして初めて国会議事堂に掲揚されたのは1965年2月15日。96年にはこの日をナショナル・フラッグ・デーとすることが決まった。

 カナダは長い間ユニオン・ジャックを国旗とし、イギリスと区別する際には赤地の左上にユニオン・ジャックをあしらった自治領旗を使用してきたが、フランス系住民には不評であった。英仏両国がともに戦った第一次・第二次世界大戦では、カナダもともに戦っていたため、1967年の建国百周年を控え、英仏両民族が和することができるカナダ独自の国旗の必要性が指摘されてきた。
 1964年5月レスター・ピアソン首相が、新しい国旗の制定を提唱した。外相を勤めていた1956年にスエズ戦争(第二次中東戦争)が勃発したとき、彼はカナダ軍を国連軍として派遣し、イギリス・フランス軍を撤退させようと試みたが、カナダ自治領旗にはユニオン・ジャックが含まれているため、ナセル大統領に信用されなかったということがあったのである。
 ピアソンは当時少数政権を率いており、国旗問題でつまづけば政権を失うリスクもあった。だが、ユニオン・ジャックを含んだ自治領旗がケベックで支持されていないことも事実であり、そしてケベックは自由党の地盤でもあったのだ。
 ピアソンは、白地の両端に青いラインがあり、中央に3枚のカエデの葉をかたどった図案を提示した。だが野党進歩保守党(英国系の政党)はユニオン・ジャックを含んだ自治領旗を強く支持しており、ディーフェンベーカー党首(前首相)は「自分たちの偉大さを表現しないものは国旗ではない」と反対を表明した。オタワ市長ウィットンも「3枚のカエデの枯葉を掲げたフランスへの降伏の白旗」と強く批判した。 この問題についてディーフェンベーカーは国民投票を提案したが、ピアソンは超党派による委員会を設置し、全国からあらためてデザインを募集した。
 1964年10月29日、委員会は2600件の応募作品の中からジョージ・スタンレーによる現在の図案を満場一致で採択した。しかし進歩保守党はこれに強く反発し、議事を徹底的に妨害する作戦に出た。政府は国旗論争の終結を一方的に宣言し、新国旗法案は1964年12月15日下院で可決され、上院でも2日後に可決され、翌年1月28日にエリザベス二世の勅裁を得て成立した。法律は1965年2月15日に発効し、この日行われたセレモニーで初めて国会議事堂に掲揚された。


図上左:現在の国旗。両側の赤は、太平洋と大西洋に挟まれていることを表し、メープルリーフの先尖部が12あるのは、国を構成する10州と2準州を表している。なお現在は10州と3準州がある。
図上右:1964年バージョン。
図下左:カナダ自治領旗(1868年バージョン)。
図下右:ピアソン首相の国旗案。
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