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シーア新党首、ハーパー路線を継続 [保守党]

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 アンドリュー・シーア新党首(38歳)は、オタワで生まれたカトリック教徒である。初めオタワ大学で学び、後に妻となるジル夫人と知り合ってから中西部で暮らすようになり、レジャイナ大学でも学んだ。サスカチュワン州レジャイナ=カペル選挙区選出、当選5回。閣僚経験はなく、下院副議長と議長を務めた。
 メディアは彼を「笑顔のあるハーパー」と評した。彼は自身を、社会保守主義と定義する。だが党首選では「あらゆる保守派を歓迎する」と称し、社会保守主義のテーゼを掲げることを回避した。
 彼が党首選で掲げた政策は、財政赤字を2年で解消、炭素税廃止、犯罪厳罰化、憲法への財産権明記、言論の自由を保障しない大学への助成金カット、子供たちを私立校に通わせる親への税額控除、イスラム教から転向し死の危険のある中東のキリスト教徒の難民優先などである。
 彼の過去の言動を見れば、社会保守主義者としての特徴は明らかだ。彼は、医師の安楽死幇助を認めたC-14号法案に反対投票した。彼は妊娠中絶合法化に反対投票し、また中絶を行うヘンリー・モーゲンテイラー医師がオーダー・オブ・カナダ勲章を授与されたときも「オーダー・オブ・カナダの質を下げた」と語っている。2004年には同性婚認可に反対投票し、2006年には同性婚廃止法案に賛成投票した。
 だがそのような個人的信条にもかかわらず、彼は妊娠中絶の禁止や、同性婚廃止、安楽死幇助の禁止などの法制化を支援しないと公言している。これは、カナダ同盟と進歩保守党の2つの保守政党を合併させ新党結成したハーパー前首相が、2つの勢力の融和に心を砕いた結果としてこれらの問題を政治日程に載せないとしたことに似ているが、シーア党首がこれらの問題について投票の自由は保障すると公約したことは、これに圧力をかけたハーパー前首相と異なるところだ。シーア党首は銃所持者の権利を擁護するが、その権利を拡大はしない。彼はマリファナ合法化には賛成ではないが、「ひとたびそれが合法化されれば、それに関連する人が多く出て来る。我々は党として、非常に現実的でなければならない」と述べている。

 社会保守派は党首選に勝てなかったが、負けもしなかった。党が放棄した中絶反対を堂々と主張したブラッド・トロスト議員は、4位に入り健闘した。第1回投票で彼が獲得した8.4%と、ピエール・ルミュー議員が獲得した7.4%を合わせると、社会保守主義は16%近くを集めたことになる。
 ルミュー候補が脱落したとき、彼の票の28%がシーア候補に、わずか6%がベルニエ候補に行った。トロスト候補が脱落したときは、彼の票の57%がシーア候補に、27%がベルニエ候補に行ったことが、両者の差を詰めた。最後にオトゥール候補が脱落したとき、彼の票の59%がシーア候補のものになったが、僅差で逆転するにはそれで十分だった。
 ベルニエ候補の斬新の政策は、多くの党員と資金を集めることには成功したが、彼らはベルニエ候補に投票しなかったようだ。シーア候補の勝因は、社会保守派の支援を受けたことと、穏健な発言で党内で幅広い支持を集めたことだ。保守党は、ハーパー路線の継続を選んだのである。
 党首選が終わって間もないが、トロスト議員は早くも「新党首がゲイ・プライドのパレードに参加するなら、その資質に疑問符が付く」と牽制した。
 野党は、ベルニエ氏の当選を予測していた。彼の公約は、不可能なことばかり。外相時代に暴力団関係者だった女性と交際し、彼女の家に機密文書を置き忘れて辞任した彼は、ツッコミどころ満載で大歓迎だっただろう。だが結果は、えくぼのあるチャーミングな笑顔の若者だった。
 新民主党元スタッフのイアン・キャプスティック氏は、ツイターでこう述べた。
「10ラウンドにもなってゲイの男性を排除するなんて、2017年にそんなことができるのか?」
 自由党のパブロ・ロドリゲス議員は、こう総括した。
「結局のところ、極右の社会保守派と極右の経済保守派との戦いで、極右の社会保守派が勝ったということだ。」
 自由党のアダム・ボーン議員は、次のように批判した。
「間違えてはならない。これはこの25年間で、全ての市民権進歩に反対投票した人物である。」
「彼は、思想警察になりたがっている人物である。」

 今回党首選で採用された優先投票システムは、保守合同の際、小所帯だった進歩保守党が巨大なカナダ同盟に飲み込まれるのを阻止するため、導入が約束されていたものである。だが結果は、地域対立がなかったことを示している。ベルニエ候補はアルバータ州・マニトバ州・ケベック州で勝ったが、シーア候補はブリティッシュコロンビア州・サスカチュワン州・オンタリオ州と東部で勝った。なんと、アルバータにもケベックにも推されていない人が当選したのである。むしろ地域性よりも、政策の違いで争った党首選だった。
 本命が辞退したせいか、立候補者が多くなりすぎ、10位まで順位をつけられるにもかかわらず、知らない候補が多いため10位まで順位をつけなかった党員がいたと思われる。それでも接戦となった党首選は、13人の候補のうちの一人が過半数に達するまで、13回の投票を必要とした。つまりは、党の命運を決定的に左右した最後の方の投票には、参加していない党員が多くいた可能性がある。


図:ハーパー二世、トルドー二世に馬鹿にされる。
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