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国境を越えると、また国境だった【バールレ・ナッサウ】 [旅行記]

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 ブレダ駅からバスに乗り、知る人ぞ知る「バールレ・ナッサウ」に向かう。ここはオランダ領内のベルギー飛び地である。それだけなら珍しくないが、ベルギー領の中にさらにオランダ飛び地があるという、マトリョーシュカ状態になっている。オランダ領内に22か所のベルギー飛び地があり、その中にさらに7か所のオランダ領があるのだ。町の人口はオランダ側が6600人、ベルギー側は2300人で、合計9000人弱。ベルギー領は「バールレ・ヘルトホ」と言う。
 国境にまたがった建物は非常に多く、原則として入口のある方の国籍に属している。この町では多くの家が、帰P1010138.JPG属国を示すために国旗を掲げている。ただし商店や公共の建物は、両国の国旗を掲げている。町役場や郵便局はオランダとベルギーの両方があり、電話会社も別々だが、町内での通話は国境に関係なく市内通話として扱われる。警察署は1997年まで別々だったが、現在では同じ建物に統合された。とはいえ、2つあることに変わりはない。
 この地域は昔バールレという1つの村で、ブレダ王が領有していた。ところが、先祖がブレダ王に領地を売ったというブラバン公爵との間でトラブルになり、1198年ブレダ王はバールレをいったんブラバン公に与え、ブラバン公は与えられた領地をローンの形で少しずつブレダ王に返上することになった。しかし結局、ブレダ王のもとに戻った土地は一部だけで、しかも飛び飛びであった。後にブレダ王の領地はナッサウ家に渡り、それぞれバールレ・ナッサウ(ナッサウ領バールレ)やバールレ・ヘルトホ(ヘルトホ=公爵領バールレ)と呼ばれるようになった。これだけなら神聖ローマ帝国領内で領主が異なっていただけのことだったが、1648年にオランダがスペインから独立すると、カトリックの影響が強かった現在のベルギーはスペイン領に留まることになり、バールレ村は2つの国に分かれることになったのである。
 ベルギーは1815年にオランダの一部になったが、1839年に独立。その際に飛び地を解消しようとオランダとベルギーで協議を試みたが話がつかず、1882年には両国政府の間でほぼ同じ面積の領土を交換して飛び地を解消するプランがまとまったが、オランダ領へ編入されることになるカトリック教徒が反対して頓挫。その後もこれまでにオランダ政府とベルギー政府で飛び地の交換が何回か検討されたが、いずれも物別れに終わった。1906年にはオランダがベルギーとバールレ・ヘルトホとの間の貨物に関税をかけたことから、ベルギーは本土との間を結ぶ回廊の設置を求めたが、代わりにオランダへ割譲する土地が見つからず断念した。
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 かつては制限速度がオランダでは60キロ、ベルギーでは50キロだった。交通事故で救急車が出動したら、けが人は相手国の領土に倒れていたので救助できないという悲劇がついに起こり、いよいよ飛び地解消かと世論も沸いたが、実際には町の住民は飛び地の解消など望んではいなかった。
 ベルギーよりオランダの方が兵役期間が短いので、若者たちはオランダ側に引っ越してきた。国境上にある家は所得税の安い方に入口をつけ換え、2004年からベルギーで公共の場での喫煙が禁止されると、レストランやバーは入口をオランダ側につけ換えた。この町にはかつてやたらと銀行が多かったが、それには訳があった。いくつかの銀行は国境をまたぐ土地に支店を建て、金庫を一方の国に設置し、金庫への通路はもう一方の国に設置することで両国の査察を免れ、マネーロンダリングを行っていたのだ。オランダ・ベルギー両国は合同で査察を行うことで対処したため、銀行の数はかなり減ったものの、国境そのものが観光資源となっている現状においては、飛び地の解消などあり得ない話なのだった。


写真上:観光案内所。
写真下:道路を走る国境線。ベルギーとオランダでタイルの貼り方が違うことに注意。地図14付近で撮影。
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