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自由の街【アムステルダム】 [旅行記]

P1010153.JPG アムステルダムに来ると、犬の看板を掲げたCoffeeshopがやたらと多い。それがどういう種類の犬なのかについては、ここに書くことはできない。「喫茶店」はオランダ語では“Koffiehuis”と言うはずだが、どうしてこの店は英語表示になっているのだろうか。きっと訳ありなのだろうと思い、中に入ってみる。入ってみると、コーヒーを飲みたい気分では全然ないのに、むしょうにケーキが食べたくなってしまう。見るとケーキ1個が5.5ユーロ(約680円)するという。1個でその値段は、高すぎるのではないか、とクレームをつけたい気持ちをぐっとこらえて、きっと食べたら幸せな気持ちになる成分でも入っているのだろうと信じて、買ってみる。ただしテイクアウトである。このケーキがその後どうなったのかについては、ここに書くことはできない。

 気分を変えて、アンネ・フランクハウスに行く。アンネはドイツのフランクフルト・アム・マインに生まれ、ナチスの政権掌握後は一家でアムステルダムへ移住した。しかし第二次世界大戦中オランダもドイツに占領されると、一家は1942年7月、父オットー・フランクの会社があったビルの3・4階と屋根裏で潜伏生活を始めた。
 1944年8月4日に隠れ家を発見され、住人全員が強制収容所へ移送される。アンネは姉のマルゴットとともにベルゲン・ベルゼン強制収容所へ送られるが、チフスを患い、1945年3月頃に死亡した。アンネがアムステルダムでの2年間の潜伏生活について綴った日記を、戦後オットーが出版したのが有名な「アンネの日記」である。

 アムステルダム駅に向かう途中、噂の「飾り窓」地帯を放浪する。娼婦たちは乳首と陰部だけを隠した、極めて露出度の高い服を着ている。うろついているのは男だけでなく、女もいる。みんなひやかしの観光客だろうか。
 ここで一句:

  オランダで 飾り窓見る スケーベニンゲン

「オランダ」と「スケーベニンゲン」が係り結びになっています。おあとがよろしいようで。


写真:アンネ・フランクハウス。
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