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リック・ハンセン、聖火をリッチモンドに [バンクーバー五輪]

3517811 2月9日、スピードスケート会場のオリンピック・オーバルがあるリッチモンド市に、聖火が運ばれた。点火台にともしたのは、同市在住で選手村村長を務めるリック・ハンセン。彼は25年前、車椅子による世界一周旅行「マン・イン・モーション」を成し遂げている。ハンセンは「この炎はすべての人のための、希望と可能性の象徴だ」と笑顔で語った。

 リック・ハンセンはブリティッシュコロンビア州ポート・アルバーニに生まれ、ウィリアムズレイクで育った。彼はスポーツをこよなく愛したが、15歳のとき、乗っていたトラックが衝突して脊椎を損傷し、下半身麻痺となった。それでもスポーツを続け、ブリティッシュコロンビア大学に進み、体育学部を卒業した最初の障害者となった。
 その後車椅子バスケットボールのバンクーバー・ホイールチェアーズに入り、全国制覇を果たす。彼はここで、骨肉腫で右足を失ったテリー・フォックスと知り合った。ハンセンは1980年のアーヘン・パラリンピック(西側諸国は80年のモスクワオリンピックをボイコットしたが、パラリンピックには出場した)で車椅子800mに出場し、金メダルを獲得している。
 テリーの「希望のマラソン」に触発された彼は1985年3月21日、車椅子世界旅行「マン・イン・モーション」をバンクーバーのオークリッジ・センター・モールから始めた。当初は注目されなかったが、彼の旅行は4大陸34か国、距離にして4万キロ以上に達し、メディアの注目を集めるようになった。彼は1987年5月22日、バンクーバーのBCプレイス・スタジアムに戻り、脊髄リサーチに2600万ドルを寄付した。
 1985年の映画「セントエルモス・ファイアー」のテーマ曲「セントエルモス・ファイアー(マン・イン・モーション)」は、ブリティッシュコロンビア出身のデビッド・フォスターがジョン・パーにハンセンのビデオを見せ、そのインスピレーションから生まれたという。この曲は「ビルボードホット100」の第1位に輝いた。

I can see a new horizon underneath the blazin' sky
(燃えるような空の下に新しい地平線が見える)
I'll be where the eagle's flying higher and higher
(鷲が高く高く舞い上がる地へ僕は行く)
Gonna be your man in motion, all I need is a pair of wheels
(君の「マン・イン・モーション」を行くために、必要なのは2つの車輪だけ)
Take me where my future's lyin', St. Elmo's Fire
(僕の未来が待つ地へ連れて行け、セントエルモの火が導くところへ)

 「セントエルモの火」とは、船のマストに現れて進路を照らしてくれる火のことで、科学的には檣頭電光と説明されている。「セントエルモ」は船乗りの守護聖人である。

 なおバンクーバー・パラリンピック閉会式は3月21日で、ハンセンが「マン・イン・モーション」を始めたちょうど25周年にあたる。
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