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カナダの国家元首は誰? [総督]

 パリで開催されたユネスコの会議で10月5日、ミカエル・ジャン総督が自身を「国家元首」と言及したことが波紋を呼んでいる。総督はスピーチでこう述べた。
「私は、北米のフランコフォンとして、奴隷売買の歴史を背負ったハイチ生まれとして、ケベック人そしてカナダ人として、そして今日あなた方の前で、カナダの国家元首として、誇りを持って社会の理想の約束と可能性を表明する。」
「私が国家元首として訪問した至るところで…。」

 カナダ君主制連盟は、これに強く抗議した。ロバート・フィンチ会長は次のようにコメントした。
「これは総督の地位を、これまでになく、またこれまで求められもしなかった地位に押し上げようとする試みである。」
「証拠は、総督が国家元首でないことを示している。これを理解するのに、憲法学者や法律家である必要はない。」
 こうして王党派や憲法学者の間で非難の嵐が巻き起こると、首相官邸もこれに加わった。
「エリザベス二世はカナダの女王にして国家元首であり、総督はカナダの王位を象徴する。」
とディミトリ・ソウダス首相報道官は述べ、さらにこうつけ加えた。
「カナダのために勤勉に働く総督がいてくれて、私たちは幸運だ。」

 カナダ憲法は、国家元首について定義していない。総督府広報のマーサ・ブルーイン氏は、総督が自身を国家元首と言及したことはこれが初めてではないと述べ、ロメオ・ルブラン元総督が1999年、エイドリアン・クラークソン前総督も2004年に同様の発言をした前例を挙げた。そして、
「総督は、女王が国家元首だということをよく理解しています。カナダの王位の象徴として、総督は国家元首の任務を代行します。ゆえに事実上の国家元首なのです。」
と説明し、さらにジョージ六世が1947年に与えた勅許状を引用した。そこには「カナダの国家元首としての任務の全てを総督に移管する」と書かれている。
 だがフィンチ会長は、これに反論した。
「1947年勅許状のどこにも、総督が国家元首であるとは書かれていない。」
 王党派であるトロント大学のジョン・フレーザー氏は、総督による密かな国家元首としての既成事実化は今回が初めてではないと指摘し、「これまで、女王の役割の縮小と総督の役割の増大を意味する、いわば王権のカナダ化が進行してきた」と述べた。

3250709 国家元首論争は、多くのカナダ人にとっては今さらの感が強いが、問題をここまでこじらせた原因として、ジャン総督とハーパー首相の確執を指摘する声もある。
 2008年12月、野党3党が内閣不信任案を提出しようとすると、ハーパー首相は総督官邸を訪問した。このとき首相がジャン総督に、下院の解散に同意するよう圧力をかけたため、総督は狼狽したと彼女の側近が語った。総督官邸での会談は2時間にも及んだが、そのほとんどは、総督はただの事務員ではないことを示すのに費やされたという。総督も首相も、この会談の内容については沈黙を守っている。

 マルローニ政権の時代には、有名な「ファーストレディ論争」が起こった。これは、首相が託児所への補助金を削減したことに国民が憤慨していたとき、ミラ・マルローニ夫人が「公務に専念するため首相官邸内に託児所を国費で設置して欲しい」と要求したのに憤り、「公職でもないのに公務とは何事か」と反発すると、ミラ夫人が「自分はファーストレディだから」と反論したのに対し、「ファーストレディは首相夫人ではなく総督夫人だ」と言い返した論争である。誰が国家元首なのかは古くからある終わりのない問題だが、この神学論争が蒸し返される背景には、いつも感情的対立があるように思うのは筆者のうがち過ぎだろうか。
 ジャン総督は近年、アザラシの心臓を食べ、毀誉褒貶あるモーゲンテイラー医師に勲章を与え、ロッキー山脈とコースタル山脈を混同した発言をクラークソン前総督に皮肉られたり、レコードを吹き込んだりするなど世論を賑わせているが、国家の象徴としてはいささか出すぎの感もあるのかも知れない。


写真:玉座からハーパー首相に話しかけるジャン総督。

【参考】 総督、連邦議会を停会
http://blog.so-net.ne.jp/canadian_history/2008-12-05
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