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支持基盤を見捨てた党に未来はない [日本]

 8月30日に行われた衆院選は、民主党が308議席を獲得し圧勝した。民主党は岩手(定数4)、福島(5)、山梨(3)、新潟(6)、長野(5)、愛知(15)、滋賀(4)、長崎(4)の8県で全勝し、結党13年で政権を手に入れた。いっぽう自民党は、小選挙区制導入以来勝ち続けた95の鉄板選挙区のうち37選挙区しか勝てず、全勝した県は福井(定数3)、島根(2)、鳥取(2)、高知(3)のわずか4県。岩手(定数4)、秋田(3)、福島(5)、埼玉(15)、山梨(3)、新潟(6)、長野(5)、静岡(7)、愛知(15)、滋賀(4)、長崎(4)、大分(3)、沖縄(4)の13県で議席なしとなり、119議席の惨敗を喫した。

●利権バラ撒きから構造改革へ、地方密着型から都市型へ
 田中・鈴木・竹下・森など、戦後の首相は地方出身者が多いと指摘されている。自民党は、国から貧しい地方に金をバラまくことで地方で支持されてきた。中選挙区制では1票の格差が大きく、地方の議席配分が過大になっており、地方では都市部より少数の得票で当選することができたのだ。ところが小選挙区制に移行し都市部の議席が増えると、以後自民党は単独で過半数を獲れなくなる。地方利権政党である自民党は、この危機を公明党との連立で凌いだ。
 だが高度成長はとうに終わり、安定成長も今は昔、不景気は長く続き、少子高齢化の進行によって社会保障費の財源不足が深刻化すると、国の金を地方にバラまく自民党政治は、財政負担が重く続行困難となった。
 無党派層が自民支持層を上回り最大勢力に達したのは、93年ころである。派閥の論理では政権を握ることのできなかった小泉純一郎が、この「宝の山」を手に入れれば選挙を制することができることに着目したのは、自民党の大きな転換点となった。
 彼の「自民党をぶっ潰す」発言に国民が喝采するのを見て、自民党重鎮たちは党の将来を不安視しなかったのだろうか。郵政民営化をはじめ、次は農協、その次は医療と、地方の利権にメスを入れ、財政負担を切り捨て、都市型政党への生まれ変わりを見せた小泉首相は国民の圧倒的な支持を受けたが、296議席の大勝利の中、自らの支持基盤を切り捨てた党の未来を警告する者は少なかった。小泉首相が衆院選後1年で政権を投げ出すと、その後3人の総理・総裁が、構造改革路線と従来の利権誘導路線の間を右往左往することになる。
 経済のグローバル化が、自民党の上にのしかかった。アメリカの圧力による牛肉・オレンジ輸入自由化は、89年参院選において自民大敗の原因となった。95年の食糧管理法廃止により、自民党はもはや農民の味方ではなくなった。98年には大規模小売店舗法が廃止され、地方商店街は「シャッター通り」と化した。郵政・農業・漁業・建設業などの、自民党を支えた集票マシンは次々と離反した。そのうえ2005年衆院選で刺客を立てた選挙区では、今回衆院選で後援会の股裂きと、複数の保守系候補者による分裂選挙に直面し、しかも郵政票は戻って来なかった。地元に縁のないタレントが落下傘候補となる手法は、地元密着型の自民党のスタイルにほど遠かった。公明党との連立も、「比例は公明」と呼びかけることで比例当選の可能性を閉ざす結果となった。絶望的な低支持率の中、小泉元首相、河野元総裁、津島派の津島会長、瓦元防衛相らの重鎮は次々と引退を表明した。

●カナダ進歩保守党はなぜ壊滅したか
 初代首相を輩出し、二大政党の一角を担ってきた進歩保守党は、1993年総選挙で壊滅し、2003年に消滅した。イギリス王党派の流れを汲み、極端な親プロテスタント政策をとってきた同党は、西部を地盤とし、フランス系の多い中部のケベック州と対立してきた。ケベック州は歴史的に自由党を支持しており、進歩保守党はカナダ建国以来1984年まで、総選挙でケベック州の過半数を制したのはただ一度しかなく、1980年にも1議席しか獲得していない。進歩保守党が戦後万年与党に甘んじていたのは、人口の24%を占めるケベック州で人気がないことが原因だった。
 ところが、初めてケベック人ブライアン・マルローニを党首に据えた同党は、自由党政権が導入した、西部の地下資源に課税する「国家エネルギー計画」の廃止を西部に約束し、ケベックには自由党政権が反故にした憲法上の「特別の地位」を約束して、西部とケベックの「大連立」を実現させた。進歩保守党は1984年総選挙で、苦手のケベック州で75議席中58議席を獲得したほか、カナダ全州で過半数を制し、定数282議席の75%にあたる211議席を獲得する地滑り的大勝利を収めた。だがこれは、ケベックやカナダ全土において進歩保守党の支持が定着・拡大したことを意味してはいなかった。今にして思えば、これが進歩保守党の「終わりの始まり」であった。
 マルローニ首相の公約だった憲法改正案は、「ミーチレイク協定」として具現化したが、「ケベックは独特の社会であると憲法に明記する」「憲法改正拒否権をケベック州に与える」などは、ケベックへの過度の優遇だとして世論の反発を買い、1990年ついに廃案となった。すると多くのケベック保守党員が党を見限り、ケベック民族主義の「ケベック連合」を旗揚げした。西部の保守主義者たちもケベック優遇に憤慨し、「改革党」を結成する。こうして進歩保守党は、西部とケベックの両方の支持を失うことになった。
 内閣支持率が史上最低の11%まで低下する中、クラーク元首相、マクドゥーガル前外相、マザンコースキー前蔵相、ウィルソン元蔵相らの重鎮は次々と引退を表明した。そして1993年総選挙で、進歩保守党はわずか2議席の歴史的大敗を喫する。その後、保守合同を経て保守政党が政権を奪回するのは、13年後のことである。

●自民党はどこへ行く
 自民党の当面の目標は、来年夏の参院選で第一党の地位を回復することだろう。だが新政権がわずか1年で大きな矛盾を露呈することは、考えにくい。新政権はマニフェスト工程表にしたがい、4月にガソリン税の暫定税率廃止、続いて高速料金無料化を実施するだろう。自民党が参院選で第一党になれなければ、自民党ブランドは地に落ち、一気に自壊することもありえる。自民党はこの際、構造改革派と利権誘導派に分裂すべきだろう。前者はみんなの党と、後者は平沼グループと連携することになろうか。
 参議院で過半数割れの民主党は、自民党議員を引き抜きにかかるかも知れない。小沢氏はここぞとばかりに、自民党を潰しにかかるだろう。気がかりなのは、いつの時代も若者は過激な改革を求めてきたということだ。左翼が魅力を失った今日、清和会を支持し「保守本流」を批判してきた若者が、自民党壊滅によって極右政党に傾倒していくことが懸念される。
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ハーバーセンターくん

トロント在住者soredaさんのブログ
2005年9月13日
http://d.hatena.ne.jp/Soreda/20050913#c1250947851
by ハーバーセンターくん (2009-09-05 14:35) 

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