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民主行動党のデュモン党首引退を表明-「第三の道」の破綻 [ケベック]

 ケベック民主行動党のマリオ・デュモン党首は2月24日、3月6日に党首を辞任し、州議会が始まる前に州会議員も辞任して政界から引退すると発表した。次の党首は、2週間以内に党首選を実施し決定することになる。
 昨年12月の州議会選挙で大敗した彼は、その場で辞意を表明した。その後は連邦政界転身を噂されたが、ハーパー首相の相談役の依頼を断り、モントリオールの民間企業に転身することになった。

 ジャン・アレールが作成した、地方分権を推進するアレール・レポートを自由党が放棄したため、自由党内の民族主義グループが離党し、アレールを党首として1994年、民主行動党を旗揚げする。しかしアレールはその直後、健康上の理由で党首を辞任し、後任に弱冠23歳のマリオ・デュモンが就任した。
 党の正式名称“Action démocratique du Québec/Équipe Mario Dumont”(ケベック民主行動党/マリオ・デュモン組)が示すとおり、党の命運は15年間デュモン党首一人にかかっていた。党はケベック政界で第三党の地位を不動のものにしていたが、8年もの間議員は彼一人であった。
 1995年の独立を問う住民投票では独立派に組したが、結果は敗北であった。党はその後「自治主義」を掲げて独立路線を事実上放棄し、またケベック党の社民主義からも一線を画すべく右旋回して、健康保険民営化や私学助成などを訴えた。
 2002年の補欠選挙では、ケベック党と自由党の両方に不満を持つ層の支持を受け、連戦連勝して5議席を獲得し旋風を巻き起こした。ところがトロントで「ケベックの憲法上の要求はもはや政治的課題ではない」とカナダ国旗を背景に演説したことがケベックで不評を買い、期待された2003年州議会選挙ではわずか4議席に終わり、「民主行動党は終わった」とささやかれた。
 だが2007年州議会選挙で、人気のない与党自由党とリーダーシップで混乱するケベック党の狭間を縫い、民主行動党は41議席と大躍進を遂げ、初めて公認反対党の地位を得たのである。
 しかし新人議員ばかりの民主行動党は、有権者が期待するような成果を挙げられなかった。民主行動党の支持率低下を見てシャレー首相は2008年、解散・総選挙に打って出て過半数を回復し、民主行動党はわずか7議席に転落した。
 果てしなく続く独立問題に有権者は疲れ果て、2008年総選挙では独立派のケベック党が独立を争点に掲げないまでに至った。これはまさにデュモン党首が目指していた、ケベック政治が「分離主義vs連邦主義」の構図を脱する絶好の機会となるはずであった。だが突如訪れた経済危機と、ハーパー首相による過度のケベック叩きが追い風となり、死にかけたケベック党は51議席を獲得して勢いを取り戻した。ケベック政界は再び「分離主義vs連邦主義」の構図に収斂されていったように見える。
 デュモン党首は語る。
「人々が今何と言おうと、私はケベック政界に新しい風を送り込むことができたと思っている」。

 新しい党首については、女性スキャンダルで辞任したマクシム・ベルニエ元外相を挙げる声もあったが、本人が固辞した。モントリオール経済学院のミシェル・ケリー=ガニョン代表も、辞退した。次の党首はなり手がいるとは思えず、おそらくエリック・ケール議員が就任することになるだろう。シェアブルック大学で政治学を教えるステファン・パキン氏は、民主行動党の将来を悲観的に見ている。
「党が莫大な借金を抱えているだけでなく、議員はわずか7人しかいない。シャレー内閣閣僚の2人が来年引退すると思われるが、自由党政権は過半数を3議席上回っているに過ぎず、シャレー首相は過半数を維持するため民主行動党議員を引き抜きにかかるだろう。私は、民主行動党の終焉を予想する」。
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