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シャナイア・トゥエイン離婚 [文芸]

1787980 カナダが生んだ世界的カントリー歌手シャナイア・トゥエイン(42)が、14年間連れ添った夫ロバート・ラング氏(59)と離婚したことが5月12日、明らかになった。2人の間には6歳の男の子がいる。

 1965年、アイリーン=リジャイナ・エドワーズとしてオンタリオ州ウィンザーに生まれる。2歳のとき両親が離婚し、母が先住民オジブエ族のジェリー・トゥエインと再婚したため、姉妹とともにオンタリオ州の田舎町ティミンズのインディアンコミュニティーで暮らす。生活は貧しかったが、8歳のころから「アイリーン・トゥエイン」として地元のレストランやバーでの演奏で家計を助けるようになる。
 1987年彼女が22歳の時、両親が事故により他界。オンタリオ州ハンツビルに移り住み、地元観光ホテルなどのステージに出演しながら まだ未成年だった弟や妹達を育てる。1991年にナッシュビルの音楽関係者にスカウトされ、テネシー州ナッシュビルに移住し、1993年マーキュリー・レコードからデビューを果たす。このころ芸名をオジブエ語で「我が道を行く」を表すシャナイアに変えた。
 だがマスコミが、シャナイアは母親の連れ子であり オジブエ族の父親とは血縁関係にないことを暴露したため、一部の先住民団体などから抗議を受ける。 これについて彼女は「私は自分の中にどれだけインディアンの血が流れているかは知りません。 しかし父ジェリーに引き取られた娘として、私は50%インディアンとして登録されました。これは私の心であり魂、そして私はそれを大変誇りにしています」とコメントした。一説によると、彼女の父はクリー族だという。

 元夫のラング氏はロック音楽プロデューサーで、デフ・レパード、AC/DC、フォーリナー、ザ・カーズ、ブライアン・アダムスなどのプロデュースを担当し、シャナイアの2枚目のアルバム「ウーマン・イン・ミー」のプロデュースがきっかけで知り合い、1993年に結婚した。
 次々にヒット曲を生み出したシャナイアは、またたく間にスーパースターの座にかけ上った。マスコミに追いかけられるのを極度に嫌った二人は、ニュージーランドとスイスの隔離された屋敷に住んでいた。


写真左:シャナイア・トゥエインとロバート・ラングの結婚式。
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