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ジョン・ガルブレイス死去 [経済]

2222891 アメリカを代表する経済学者ジョン・ガルブレイスが2006年4月29日、老衰のためマサチューセッツ州の病院で死去した。彼は経済学界での偉大な業績と、2メートルを超える身長も相まって「経済学の巨人」と評された。
 ガルブレイスはオンタリオ州アイオナ・ステーションの農家に生まれ、ダットンで育った。1931年にオンタリオ農業大学(現ゲルフ大学)を卒業後、1934年カリフォルニア大学バークレー校で博士号を取得。1937年にはアメリカ市民権を取得した。
 第二次世界大戦中、彼は物価局副局長として戦時インフレ抑止に働き「物価皇帝」の異名をとった。また連合国戦略爆撃調査団の一員として、戦略爆撃は戦争終結の早期化に効果はなかったとの結論を導き出している。1943年から1948年にかけて「フォーチュン」誌の編集者を務め、1949年にはハーバード大学の経済学教授に就任した。
 彼は生涯に50以上の著作を残したが、1958年の著書「ゆたかな社会」では、消費者は企業の広告・宣伝によって欲望がかき立てられ、物を買っても満たされない「依存効果」が起こり、その精神的欠乏がかつての貧困にとって代わると述べ、消費主体の現代資本主義社会に警鐘を鳴らし、公共サービス拡大を訴えた。これにより彼は最初の脱物質主義者とみなされるようになった。
 1967年の著書「新しい産業国家」では、アメリカには完全競争の仮定に当てはまるような産業は実際にはほとんどど存在しないと述べた。
 1983年の著書「不確実性の時代」では、グローバル化と情報化の進展により世界が密接な関係を持つようになり、不確実な要素がかつてないほど増大したと述べた。また「不確実性」はこの年日本で流行語にもなった。
 彼はフランクリン・ルーズベルト、ハリー・トルーマン、ジョン・ケネディ、リンドン・ジョンソンの各政権に仕え、1961年から1963年まで駐インド大使を務めた。1972年にはアメリカ経済学会会長に就任した。
 私生活では4人の息子をもうけ、うち一人は早世したが、ジェームズ・ガルブレイスは経済学者となり、ピーター・ガルブレイスはアメリカの外交官・外交評論家として知られている。
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