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インシュリン90周年 [科学]

 10月31日は、フレデリック・バンティングがインシュリンを「発見」した90周年に当たる。オンタリオ州ロンドンの、彼が当時暮らし医院を開業していた場所は、現在はバンティング・ハウス国立歴史記念館となっているが、ここで31日、ダニエル・カスティーヨ作のモニュメントが除幕される。
 当時世界に百万人以上の糖尿病患者がいたが、治療法はなく、断食しか方法はなかった。患者はしばしば医師の目を盗んで物を食べ、急死したり、監禁され、餓死することもあった。何人かの人々は、インシュリンを20世紀最大の発見と考えている。

 バンティングは「忘れもしない」1920年10月30日夜、学生への講義の準備のため医学雑誌を読んでいた。そして、そこに掲載されていたモーゼス・バロンの論文に
「膵臓の外分泌管を縛り十二指腸から切り離しても糖尿病にはならないので、消化酵素とは異なるものが糖尿病を阻止している」
とあるのを見た。彼はその夜ベッドに入ったものの、様々な考えが脳裏を駆けめぐり、眠れなくなってしまう。彼は31日の深夜2時に机に向かい、ノートに
「犬の膵管を結紮し、変性するのに6~8週間待つ。そして残留物と抽出物を取り除く」
と書き殴ったと、後に講演で語った。これが彼のインシュリン研究の始まりとなり、トロント大学でのインシュリン発見につながるのである。なおバンティング・ハウス国立歴史記念館には「インシュリン誕生の地」碑があるが、インシュリンが発見されたのは翌年のトロント大学である。
 バンティングのノートは今日も残っており、実際にはこう書かれている。
「犬の膵管を結紮し、腺房が変性して膵島から分離するまで犬を生かす。尿糖を減少させるためにその内分泌物の分離を試みる」

 農家の生まれ、はやらない開業医、不思議な夜のアイデア、貧乏に耐えた日々、古い借り物の研究室にたった一人の助手、インシュリンの特許を1ドルで大学に譲渡、有名になってからも患者の診察を続け、アメリカからの誘いを蹴ってカナダに留まり、カナダ軍に志願というバンティングの生き方は、今もカナダ人の理想の英雄像である。講演活動を通して人々を激励し続けてきた彼は、同時にトロント大学の仲間3人を蹴落とし、インシュリン発見者の栄誉を独占することにも成功した。
 10月31日のノートに、「抽出」という言葉はない。その言葉が最初に確認できるのは、その6か月後である。また彼は他の学者たちと同様、糖尿病と尿糖の区別がついていなかった。
 インシュリンが10月31日に発見されていないことは、明らかである。発見されたのはトロント大学であり、翌年のことである。バンティングは生涯「膵管結紮」という考えにとらわれていた。そして講演活動を通して「研究に必要なのはアイデアである」と宣伝し続け、「不思議な夜のアイデア」の重要性を強調した。バンティングが栄誉を獲得するためには、最初に思いついたアイデアが重要だと印象づける必要があったからだろう。インシュリンは抽出物であり、抽出のアイデアを誰がいつ最初に思いついたのかについては、今日も謎のままであり、それが解明されることはおそらく永久にないだろう。

 ルーマニアのパウレスコらも同様の研究を行っていたが、トロント大学チームがノーベル賞を受賞できたのは、生化学者のバートラム・コリップがいち早くインシュリンの製薬化に成功したからだということに、多くの批評家が同意している。だが驚くべきことに、糖尿病の根本的な治療法はいまだ解明されておらず、医師は今日もなお患者にインシュリンを投与し続けているのである。
 「我々は、インシュリンより良いものを何ら持っていない。だからバンティングは、今も世界の英雄と見なされているのだ」と、バンティング・ハウス管理人のグラント・モルトマン氏は語った。
 糖尿病患者はそれまで、2年以内に死亡すると考えられていた。それがインシュリンの発見により、通常の生活を営むことができるようになり、子供を持つこともできるようになった。ところがある種の糖尿病には、遺伝性があった。糖尿病患者は世界で飛躍的に増加し、今日では2億8500万人いると考えられている。インシュリンは、バンティングの時代以上に必要とされているのである。


【参照】インシュリンの発見
http://bluejays.web.fc2.com/banting.htm
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