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首切り殺人を目撃したバス乗客が、バス会社・政府・警察と犯人を告訴 [犯罪・事件]

 グレイハウンドのバス車内で、乗客を殺害し首を切断する事件を目撃した乗客2人が2月16日、犯人のリー、グレイハウンド社、連邦政府と連邦警察(RCMP)に、合わせて600万ドルの損害賠償を求める訴訟を起こした。
 オンタリオ州ポート・コルボーン在住のデブラ・タッカーさんと、同州ロンドン在住のカイリー・ショーさんは、激しい心労・鬱・不安のため薬を服用しなければならず、日常生活に支障をきたし多大な損害を被ったとして、マニトバ高等裁判所に訴えた。

 ショーさんは、働くことも学ぶこともできなくなり、結婚を含む人間関係が破綻したという。
「救急車やパトカーのサイレンを聞くだけでも、ひどい苦痛を覚えます。外出するだけでも大変な勇気が要ります。」
 2人の原告は、訴状で以下のように主張した。グレイハウンド社は、スタッフへの適切な訓練を怠り、バスターミナル及び停留所におけるセキュリティ・チェックに失敗したことで、安全な旅行を乗客に提供できなかった。連邦政府は、輸送法が規定する「輸送セキュリティの保証」に失敗した。連邦警察は、リーをただちに車外に出すことを怠った。

【参照】 夜行バス車内で殺人、首を切断
http://blog.so-net.ne.jp/canadian_history/2008-08-01
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【世論調査】カナダ人の63%が死刑を容認 [犯罪・事件]

 ピエール・ユーグ=ボワブニュ上院議員が2月1日、連続殺人犯には自殺の選択肢を与えるため、独房にロープを置くべきだと発言したことで、死刑の是非が話題になっている。
 カナダは1976年、刑法から死刑の条項を削除しているが、1962年を最後に死刑は執行されていない。なおユーグ=ボワブニュ上院議員は2002年、娘を誘拐され、暴行されたうえ殺害された経験を持ち、犯罪被害者と遺族のための市民団体を創設している。

 アンガス・リード社が2月2日と3日、1002人のカナダ人を対象に実施した世論調査は、カナダ人の63%が死刑を容認することを示した。また殺人に対する刑罰として、死刑と終身刑のどちらが適切かという質問には、50%が終身刑を選択した。
 だが54%は、たとえ犯人が殺人を犯していても、その罰として命を奪うのは誤っていると回答した。また75%は、誤審の結果無実の人の生命が奪われることを懸念した。

 死刑の是非は、支持政党や居住地域によって顕著な偏りがあることがわかった。死刑復活を支持する人が最も多い州は、ブリティッシュコロンビアとアルバータで70%、次がオンタリオの62%だった。また死刑復活に反対する人が最も多い州は、ケベックの45%で、次がオンタリオの32%、ブリティッシュコロンビアの24%だった。
 保守党の支持者には死刑復活論者が多く、自由党・ケベック連合・緑の党の支持者には死刑反対派が多かった。新民主党支持者は、賛成派と反対派に分かれた。
 アンガス・リード社は2011年にも、アメリカとイギリスで同様の調査を行い、半数以上がアメリカないしイギリスで、死刑の存続または復活を支持していることを明らかにしている。
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連続レイプ殺人犯クリフォード・オルソンが病死 [犯罪・事件]

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 1980年から81年にかけて、8人の少女と3人の少年をレイプした後殺害した「ブリティッシュコロンビアの野獣」クリフォード・ロバート・オルソン受刑者が9月30日、癌のため病院で死亡した。71歳だった。

 1981年、誘拐容疑で逮捕された彼には殺人の容疑もあったが、物証がなかった。彼は4人の遺体のありかを教える報酬として、3万ドルを要求した。ロバート・キャプラン司法長官は証拠の確保と遺族に遺体を返還するため、取引に応じた。オルソンは、実はもっと大勢殺していると言って、さらに1体につき1万ドルを要求し、計11万ドルをせしめた。彼はあと20人分の報酬として10万ドルを要求したが、今度は聞き入れられなかった。

 第一級殺人罪で11度の終身刑を宣告された彼は、出入口をプレキシガラス(強化ガラス)で特別に保護された独房で過ごした。だが彼は、30年もの間毎年のようにメディアに取り上げられ、遺族たちにその都度事件を思い出させた。オルソンが契機となって改正された法律も数多い。殺されたレイモンド・キングJr.さんの父レイモンド・キングさんは、こう述懐する。
「最初の17年間、彼はまるで時計仕掛けのように毎月ニュースに登場した。私たちの心に、癒されるいとまを与えなかった。」
 オルソンは「等身大で丈夫な、膨らませる必要のない革新的ダッチワイフ」を要求した。1989年には神の赦しを得たと称し、この問題の終わりを宣言した。
 オルソンはまた、殺害したダーリン・ジョンスルードさんの両親を名誉毀損で告訴しようとし、さらに殺害時の様子を詳細に綴った手紙を送りつけ、子供たちを誘拐する方法を教えるビデオを制作した。
 1992年には背中の痛みを訴え、キングストン病院で検査を受けたところ、直腸内から手錠の鍵が見つかった。
 彼はまた、法律上の権利を行使して頻繁に仮釈放を申請した。カナダ刑法に「わずかな希望条項」があり、15年服役した囚人には申請する権利が認められていたため、1997年に申請したが拒否された。後に刑法が改正され、連続殺人犯にはこの権利が除外された。
 2006年に彼は再び、仮釈放を申請した。25年服役した第一級殺人犯には、申請する権利が認められていたからである。このとき彼は、残酷な刑罰が憲法違反に当たるとか、9月11日の同時多発テロに関する情報提供を理由にアメリカ政府が恩赦を要求しているなどの奇怪な主張を行った。仮釈放審議会のジャック・ルタンドルは「彼は性的サディストかつナルシストであり、釈放されれば再び殺人を犯すだろう」と述べ、申請を却下した。
 彼の頻繁な仮釈放要求は、2010年11月に拒否されたのが最後となった。
 2010年3月には、オルソンが2種類の年金を毎月1169ドル47セント受け取っていたことが判明した。65歳以上の人は誰でも、カナダに居住した年数に応じ、老齢保障年金(OAS)を受給する資格がある。彼にはまた、低収入の年金受給者に支給される収入保証手当(GIS)の受給資格もあった。
 4万6000人もの署名入り嘆願書を受けて、連邦議会はC-31号法を改正し、禁固2年以上の囚人は年金を受給できないようにした。収入保証手当も2011年、受給できなくなった。
 すると彼は2010年10月、カナダ保守党に政治献金を行い、免税のためのレシートを要求したが、献金受領を拒否された。

 クリフォード・ロバート・オルソンは、1940年ブリティッシュコロンビア州バンクーバーに生まれ、リッチモンドで育った。学校では他の児童に毎日のようにいじめられ、腹いせに弱い者や動物をいじめていた。やがて学校をさぼるようになり、10歳から窃盗、強盗、住居侵入等を繰り返し、中学2年でドロップアウトした。
 17歳で初めて刑務所に入り、90以上の犯罪で起訴され、その後は刑務所を出たり入ったりを繰り返し、以後25年間のうち21年を刑務所で過ごした。彼はいつも他の囚人からいじめられるので、彼が死なないように何度も刑務所を移動させられた。刑務所でレイプ殺人犯ゲイリー・マルコーと知り合い、レイプ殺人という新しい欲望に目覚めた彼は、1980年12月25日、ついに最初のレイプ殺人に手を染める。
 1981年5月15日にはジョーンと結婚するが、花嫁は新郎がすでに3人の少年・少女を殺していたことを知らなかった。結婚式の4日後には、サンドラ・ウォルフスタイナーさんを殺害している。

 2011年9月、オルソンは末期の癌のためケベック州ラバルの病院に移された。彼の死が近いことは、遺族にも通知された。殺されたテリー・ビゾーさんの母テリー・リン・カーソンは、矯正院からの電話を受け取ったとき、それがどういう要件なのかすぐ察知したという。
「私が『死んだの』ときくと、相手は『そうです』と言った。今の気持ちを、どういう言葉で表現すればいいのだろう。私は30年間、この日を待っていた。私が今感じていることは、やってこれで全てが終わったということだ。正義は成された。遺族が彼を火葬して、遺灰をトイレに流してくれるといい(※北米では火葬は非常に稀)。私たちの子供が殺される前に、死刑を廃止すべきではなかった。」
 殺されたダーリン・ジョンスルードさんの母で、被害者の権利活動に従事するシャロン・ローゼンフェルトさんは、複雑な心境を明かした。
「今の気持ちを表現することは、とても難しいです。多くの人は、私が歓喜して飛び上がっているものと思っているでしょう。でもそれは、私の現実ではありません。現実は、今、息子が死の30年後にしてようやく安息を得られたということです。」
 ダーリンの弟は、母にこう言ったという。
「たとえオルソンが死んでも、兄は戻っては来ないよ。ただ、彼はもう二度と僕らを傷つけることはできない。」
 矯正院は、もしも遺族が遺体を引き取らない場合は、矯正院が秘密の場所に埋葬するという。墓が暴かれないよう、オルソンの名が刻まれることはない。
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ディーフェンベーカー元首相に隠し子? [犯罪・事件]

xxpolls20.jpg トロントに住むジョン・ジョージ・ドライデン氏(42歳)が、ジョン・ジョージ・ディーフェンベーカー元首相の隠し子だと主張し、DNA鑑定を求めている件で、元首相の遺品を展示しているディーフェンベーカー・カナダ・センターは9月2日、鑑定に役立つものは見つからなかったと発表した。
 ドライデン氏の母メアリー・ルー・ドライデン氏は、元首相と親密な関係にあったことが知られている。元首相と同じ名を持ち、よく似た風貌を持つ彼は一族の間で、父ゴードンの本当の子ではなく、元首相の隠し子ではないかと長い間噂されてきたが、彼自身はそれを昨年知ったという。そして、両親と兄弟たちに3000万ドルの損害賠償を求める訴えを起こした。
 6月に行われたDNA鑑定では、ゴードン・ドライデン氏は実の父親ではないと証明された。これについてジョン・ドライデン氏は、父ゴードンが自分をかわいがらなかったのは、自分が本当の息子ではないと知っていたからだろうと語った。

diefenbaker.jpg 元首相は、病死した最初の妻エドナとの間に、子をもうけることはなかった。2番目の妻オリーブには、前夫との間に生まれた娘がいたが、元首相との間に子を成すことはなかった。そういうわけで元首相の血を引く子孫はいないが、元首相の両親の子孫がいるので、ジョン・ドライデン氏はそのうちの何人かとコンタクトを取り、DNAサンプルの提供を求めたが、誰も応じなかったという。


写真上:ジョン・ジョージ・ドライデン氏。
写真下:ジョン・ジョージ・ディーフェンベーカー元首相。
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ナイアガラ滝に日本人女性が転落 [犯罪・事件]

470_niagara_falls_victim2_1108162.jpg 8月14日にナイアガラ滝に転落した日本人女性は、徳升彩乃(20歳)さんと判明した。彼女はワーキングホリデーでカナダに渡航し、トロントの英会話教室ハンザ・ランゲージ・センターに通っていた。彼女はこの日20時半ころ、友人と観光でナイアガラを訪れた際、傘をさしながら柵にまたがっていたところ、風にあおられて転落したものとみられている。
 ハンザ・ランゲージ・センターのクラスメートで、ロシアから来たケイト・レベドバさんは「彼女はいつも笑っていて、幸せそうだった」と語った。
 クラスの担任は、彼女が思いを寄せていたスウェーデン人の男性がメールを送ってくれず、落ち込んでいたとき“Life goes on.”と言っていたのを思い出すと語った。
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 ウィンザーに住むアンドレア・スミスさんは、その時刻にナイアガラ滝に来て、恋人と写真を撮っていた。彼女は、東洋人の若い女性が柵の上にまたがっているのを見て、その連れに「危ないわよ」と声をかけたという。
 彼女は帰宅してから、ほぼ同じ時刻に日本人女性がナイアガラ滝に転落したというニュースを知り、自分が撮った写真の中に、自分が声をかけた女性が写っていることに気づいた。バットマンの黒いTシャツを来ているのが彼女のボーイフレンドで、それに抱きついているのがスミスさん。柵にまたがっている赤い服を来た女性が、スミスさんが声をかけた人物である。
 目撃者によると、徳升さんは赤い上着を着ていたという。
「この人が滝に落ちた女性だと100%断定できないが、私はそうに違いないと確信している」とスミスさんは語った。
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 ナイアガラ滝から樽などに乗って落下するスタントは過去15回行われたが、そのうち5人が死亡した。ナイアガラ滝では年間十数人の投身自殺があるが、滝から防護装置なしに落下して生還した人は、過去に4人(1人は誤って落下、あとの3人は自殺未遂)しかいない。生還者は全員がホースシュー滝(カナダ滝)から落下しており、岩の多いアメリカ滝から落下して生還した者はいない。


【参照】ナイアガラ・デアデビル列伝
http://mixi.jp/view_bbs.pl?page=1&comm_id=1611536&id=40692166


写真上:徳升彩乃さん。
写真中:徳升さんが転落した様子。
写真下:スミスさんが撮影した写真。
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市長が前妻の誕生日に20トンの石を贈る [犯罪・事件]

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 ケベック州サン=テオドール=ダクトン市の市長が、前妻の誕生日に20トンの石を贈り、警察から事情聴取を受けている。

 ダルトン・ラリビエール市長は8月13日深夜、自らが経営する採石会社に命じて、ケベック州アクトンバルに住むイサベル・プレボー前夫人の自宅の芝生の上に「イサ、誕生日おめでとう」とオレンジ色のスプレーで書かれ、ピンクのリボンを乗せた20トンの石を置かせた容疑をかけられている。
 市長は、前夫人がいつも大きな宝石を欲しがっていたと語った。
「あれは、彼女がこれまでの人生で手に入れた石のうち、最も巨大なものだ。警察からは撤去しろと言われているが、あれはもう彼女のものだ。私からのサプライズ・プレゼントだよ。」
 市長は3年前に前夫人と離婚したとき、子供の共同親権を手に入れるため巨額の費用を費やしたという。そしてその後も、前夫人からの嫌がらせが続いていたと語った。
「彼女に私を放っておいてもらうために、私は何かしなければならなかったんだ。」

 警察は、ラリビエール市長をいたずらか嫌がらせで起訴することを検討している。
 プレボー前夫人は激しい怒りのためインタビューできなかったが、彼女の両親が娘に代わり「頭に来る」とコメントした。
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死体遺棄の尾藤被告に無罪 [犯罪・事件]

 ブリティッシュコロンビア最高裁は7月5日、尾藤ナルミ被告に無罪を言い渡した。被告は2010年9月17日に、ブリティッシュコロンビア州サーニッチのホームステイ宅で嬰児を出産し、その死体を自室に隠匿した容疑で、死体隠匿罪および死体侮辱罪に問われていた。
 無罪評決の決め手は、検死の結果嬰児が生産か死産かを判定できなかったことと、尾藤被告が一人で出産したため彼女の証言を覆す証拠を提示できなかったことである。
 被告の証言によれば、彼女は自分が妊娠していることに気づかなかったという。彼女は9月16日夜、苦痛で目覚め、トイレで出産したとき、嬰児は動かず、声もあげなかったという。想像を絶する苦痛を感じたため、助けを呼ぶことができなかったと彼女は証言した。胎盤が出たとき、彼女は嬰児をすくい上げようとしたが、気を失ったという。嬰児の遺体をビニール袋に入れ自室に置いたのは、いっしょにいたかったからだと尾藤被告は語った。
 大学当局の圧力により、彼女は学習を放棄させられた。検察は、控訴するかどうかまだ決めていないとコメントした。
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スティーブ・フォンヨーに有罪判決 [犯罪・事件]

 1985年に義足をつけたチャリティ・マラソン「命の旅」を完走したスティーブ・フォンヨーは、1月11日、妻への脅迫、ガソリンスタンドにおける不正なクレジット・カード使用による詐欺、免許停止期間中の運転などの罪について、18箇月の保護観察処分を言い渡された。彼は5年間の自動車運転禁止、75時間の奉仕活動、8か月間のアルコールとドラッグ禁止を命じられた。
 彼は2010年11月7日に逮捕されたが、2万ドルの保釈金を払うことができず拘留されていた。
 2010年8月、彼はビクトリアの「スティーブ・フォンヨー・ビーチ」で結婚式を挙げた。


【参照】
「命の旅」フォンヨーの勲章を剥奪
http://blog.so-net.ne.jp/canadian_history/2010-01-28
「命の旅」のフォンヨー、また逮捕
http://blog.so-net.ne.jp/canadian_history/2010-08-05
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世界最大のカエデの葉、記録更新か [犯罪・事件]

3865230.jpg バンクーバーに住むリタ・スティールさんとその娘イブさん(10歳)は、10月中旬にダウンタウンで、見たこともない巨大なカエデの葉を見つけ、持ち帰った。
 ところがその直後、オンタリオ州ピッカリングの小学生が世界最大のカエデの葉を見つけ、「ギネス世界記録」に認定されたというニュースを聞いたとき、二人は自分たちのものの方が大きいと思った。
 彼女たちの葉は44×34センチある。いっぽう世界最大に認定されたジョセフ君の葉は、34×29センチである。
 ジョゼフ君の母アンジーさんはこのニュースについて、大した問題ではないと語った。
「息子の葉はサトウカエデですが、彼女たちのものはそうは見えません。だから対等な競争相手ではありません。」
 リタさんはこの葉を、オークションにかけて売却するという。
「私たちは2009年の秋に(リーマン・ショックで)、全てを失いました」。
 いっぽうイブさんは、こう述べた。
「それはとても大きく、特別なものです。私は手放したくはないですが、家計を助けたいのです。」

 トロントにあるシェリダン保育園のレイチェル・バーナムさんは、今年の秋に限って巨大な葉が立て続けに発見されたことは、決して偶然ではないと述べた。彼女の説明によると、今年は春が例年より早く来たので、樹木は4週から6週ほど長く成長することができ、しかも葉が最も大きくなるのが秋だというのである。
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世界最大のカエデの葉、小学生が発見 [犯罪・事件]

cf69e841472cbb00174a7b9d1395.jpg オンタリオ州ピッカリングの小学生、ジョセフ・ドネイト君(9歳)が見つけたカエデの葉が11月18日、世界最大のものと「ギネス世界記録」に認定された。
 ジョセフ君は今年10月中旬、自宅付近で自転車に乗っているとき、巨大なカエデの葉が落ちているのを発見し、家に持ち帰った。葉には茎はなく、34×29センチの大きさで、大皿よりも大きい。
 彼は少し前に、学校の図書館にあった「ギネス世界記録」を読んでいた。そこで「世界最大のカエデの葉」のカテゴリーがあるかどうかを探したが、見つからなかった。そこで彼は、カエデの葉の写真を撮って、地元のメディアに送った。するとテレビ局から、次いでギネス社から連絡を受けた。ギネス社は、新しく「世界最大のカエデの葉」のカテゴリーを設置すると約束した。
 彼の母アンジーさんは、もしもこれがジョゼフの身に起こっていなければ、全ては始まらなかっただろうと語った。
「全ては、ジョゼフが大きな夢を抱いたからよ。もし見つけたのが大人や別の人だったら、それを拾って、珍しいものを見たと思う、ただそれだけだったでしょう。」
 ジョセフ君はこの葉を売るつもりはなく、記念に額縁に入れて壁に飾っておくという。
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ウィリアムズ空軍大佐に終身刑 [犯罪・事件]

6a00d8341bf8f353ef0134885a9efb970c-900wi.jpg 殺人を含む88件の罪で起訴されたラッセル・ウィリアムズ空軍大佐は、容疑の全てを認め10月21日、25年間仮釈放なしの2つの終身刑を宣告された。
「私の犯した罪は…(長い沈黙)…多くの人々の心を傷つけました。特に、マリー=-フランス・コモーさんとジェシカ・ロイドさんの家族と友人を傷つけました。…私の家族も、回復不能なほどに傷つけられました。」
 ウィリアムズ被告は小さな声でそう述べて、鼻をすすった。

 ここ数日は連日のように、ウィリアムズ被告の破廉恥で残忍な犯行が報道され、多くのカナダ市民は食傷気味となっている。ウィリアムズ被告が撮影した殺人ビデオは、法廷では再生されなかったが、その内容は法廷内外で十分すぎるほど語られてきた。
 ラッセル・ウィリアムズと「スカボロー・レイピスト」のポール・ベルナルドは、共通点があると言われてきた。両者が同じ時期にトロント大学に通っていたことは事実で、一部メディアでは両者が親しかったと報じられているが、警察はこれを否定している。
 ポール・ベルナルドがレイプ・殺人を行っていたとき、ビデオを持っていたのはカーラ・ホモルカだったが、ラッセル・ウィリアムズは片手でビデオを持ちながらレイプ・殺人を行っていた。ベルナルドのビデオは一時保管された後破棄されたが、闇市場に流出したと噂された。ウィリアムズのテープは当面警察で封印され、破棄するかどうかについては後日審議される。

 ジェシカ・ロイドさんの兄弟アンディ・ロイドさんは、法廷の外でこう述べた。
「あいつが刑務所で死んだら、うれしいよ。」
 ジェシカさんの母、ロクセーヌ・ロイドさんも、こう述べた。
「あいつが泣いたから、いい気味だわ。正義は成されたのよ。」

 ウィリアムズ空軍大佐は今後、軍隊を除名され、階級は剥奪され、逮捕以降に支払われた給料を返納することになる。 空軍のアンドレ・デシャン氏は、記者会見でこう語った。
「刑事法廷で起訴されたので、軍事法廷は開かれない。彼の年金は当面、剥奪できない。もう彼を大佐と呼んではならない。」


写真:裁判所前で抗議のプラカードを掲げる女性。「ウィリアムズに給料を与えるな! 死刑を与えよ! くたばれ!」
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ウィリアムズ空軍大佐の秘密が明るみに [犯罪・事件]

crm1010191250013-p1.jpg オンタリオ高等裁判所で10月18日、ラッセル・ウィリアムズ空軍大佐(47歳)は、2件の第一級殺人及び監禁・2件の性的暴行・82件の不法侵入の容疑の全てに有罪を認めた。刑の言い渡しは今週末に予定されているが、終身刑を宣告されるものと見られている。ウィリアムズ被告はまた、被害者の1人から245万ドルの損害賠償を求める民事訴訟を起こされている。
 被告が罪を認めたことで、カナダ軍は彼の持つ全ての階級と勲章を剥奪する手続きをとる。

 ラッセル・ウィリアムズ被告は、2010年2月7日に逮捕されるまでは、模範的な軍人と性犯罪者としての二重生活を送っていた。彼は1963年イギリスのブロムスグローブに生まれ、オンタリオ州チョークリバーに移民した。両親はそこでソブカ夫妻と親しくなったが、父がソブカ夫人と関係を持ってしまい、両夫妻とも離婚する。ラッセルは、ソブカ氏と再婚した母に育てられ、オンタリオ州スカボローに移住した。
 ウィリアムズ被告は成績優秀で、トロント大学スカボロー校に進むが、一部メディアの報道によると、そこで「スカボロー・レイピスト」ポール・ベルナルドと親しくなったという。
russell-williams-2010-2-8-18-12-14.jpg 1987年に軍に入隊し、1992年大尉、1999年少佐、2004年中佐、2009年大佐と順調に昇進し、2009年7月には、カナダ最大の空軍基地トレントン基地の司令官となった。エリザベス女王、エジンバラ公、カナダ総督、カナダ首相などの要人を空輸したこともある。
 ウィリアムズ被告の車が2010年2月4日、ハイウェイ37号線で警察のチェックポイントを通りがかった。そのタイヤ痕がジェシカ・ロイドさん(27歳)の自宅付近で発見された特徴あるタイヤ痕と似ていたため、彼は2月7日に逮捕された。彼は翌日ロイドさん殺害を自供し、彼女の死体を遺棄した場所に捜査員を案内した。

 被告の犯行は2007年秋に始まり、2010年2月の逮捕まで続いた。罪状は88件にも及び、罪状を読むだけで40分かかった。
 陳述書によると、被告は魅力的な女性を見つけると、家宅侵入するためまずその家に目星をつけた。被告が目標とした女性はおおむね十代後半から三十代前半だが、中には9歳の少女もいた。18未満の未成年者については、少なくとも12人の少女のベッドルームに侵入した。
crm1010191250013-p4.jpg 被告は家に侵入するとまず、ベッドルームで下着を物色した。それから下着を着用し、その写真をその場で撮影した後、手淫を行った。それから下着を自宅に持ち帰り、コレクションとして保管した。1回の侵入で女子高生の下着87着を盗んだこともあるという。
 ロバート・モリソン検察官は、被告が現場で撮影した写真には全て、当時の日付と時刻が刻まれており、地下室にあるハードディスクに記録されていたと述べた。
 被告はまたしばしば、被害者にメッセージを残すことがあった。12歳の被害者のパソコンには“Merci”というタイプが残されていた。また24歳の被害者の部屋には、“Merci beaucoup”と書かれた被告の陰茎の写真が残されていた。2008年1月には、被告が住むオタワの近所の民家に侵入し、15歳の少女の洋服ダンスに精液をかけた後、彼女のヘアブラシで陰茎に触れている写真を撮影している。法廷では、被告が被害者の下着を着てポーズをとる写真や、被告が手淫している写真、隆起した被告の陰茎の写真、自宅に持ち帰った下着の写真などが何点も提示され、傍聴人の何人かは耐え切れず法廷を飛び出した。

 被告の犯行は、2009年秋にはよりエスカレートしていった。それまでは家宅侵入と下着窃盗だけだったのが、9月になるとオンタリオ州ツイードの被告のコテージ近くの民家に侵入し、生まれたばかりの赤子が眠っているすぐ横で、その母親を叩き起こし、紐で縛り、強姦し、写真を撮影した。
 2009年11月24日には、同じ基地に勤めるマリー=フランス・コモー伍長(37歳)の自宅で、彼女を殴り窒息死させ、その様子をビデオに撮影した。被告はまた2010年1月、ジェシカ・ロイドさんについても、被告のコテージで強姦し拷問するビデオを撮影している。


写真上:現場で被害者の下着を着用するラッセル・ウィリアムズ被告。
写真中:ラッセル・ウィリアムズ空軍大佐。
写真下:ウィリアムズ被告が持ち帰った戦利品コレクション。


【参照】 スカボロー・レイピスト
http://blog.so-net.ne.jp/canadian_history/2007-08-08
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日本人留学生を死体遺棄容疑で逮捕 [犯罪・事件]

3612324.jpg ブリティッシュコロンビア州サーニッチの民家で9月27日、ビニール袋に入った嬰児の死体が発見された。警察は、この家に寄宿している日本人留学生ビトウ・ナルミ容疑者(20歳)を、死体遺棄容疑で逮捕した。
 ビトウ容疑者は日本の大学に在籍しており、半年間留学する予定で8月にカナダに渡航し、ビクトリア大学のESL(英語学校)で学んでいた。警察の調べによると、彼女は9月17日に子供を出産したが、生まれてすぐに死亡したという。最初の検視では死因が特定できなかったため、検察はさらなる調査を待って罪状を決定する。
 10月1日にビクトリアの法廷に出廷したビトウ容疑者は、1万カナダドル(約81万円)を支払い、旅券等を預けること、州外に出ないこと、保護監察者に定期的に報告することを条件に保釈された。次の出頭は12月6日の予定である。

bc-100928-newborn-house.jpg 担当弁護士のメイランド・マッキム弁護士は、こう述べた。
「ビトウ容疑者には、前科がない。彼女は保釈されても、社会的に安全である。」
 日本語を話し日本文化にも詳しいクリストファー・マッキー弁護士は、事件の背景をこう説明した。
「日本人が感じる責任は、カナダ人が感じるよりはなはだしく大きい。彼らの責任は彼ら自身にではなく、彼らの家族、近隣、コミュニティと国家にあるのだ。」
 彼はまた、ビトウ容疑者がクラスに復帰することを望んでいるが、それは難しいと語った。


写真上:保釈されたビトウ容疑者(右)。
写真下:死体が発見された民家。
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ハーパー首相、コーラン焼却を非難 [犯罪・事件]

 フロリダ州のテリー・ジョーンズ牧師は、同時多発テロから10年目に当たる9月11日を「国際コーラン焼却デー」と称し、イスラム教の聖典コーラン200冊を焼却する集会の開催を発表した。

 ハーパー首相は、自身の宗教についてこう語った。
「私は宗教についてはあまり話題にしないが、これだけは明確に述べたい。私の神とキリストは寛容な神であり、それが我々がこの世で望むことだ。」
 そしてジョーンズ牧師の試みについて、明確に非難した。
「私はこれを、明確に非難する。我々はみな信教の自由を尊重しており、信教の自由は寛容な精神に基づくものである。」
 ピーター・マッケイ国防大臣も、以下のような声明を発表した。
「このようなやり方は、思想の自由と信教の自由は生活の根幹であると理解する、あらゆるムスリムとカナダ人に対する侮辱である。アフガニスタンに駐留するカナダ軍は、イスラム教やイスラム教徒と戦っているわけではない。彼らが戦っているのは、投石したり、女生徒の顔に酸をかけたり、恐怖と暴力で人々を支配しようとしている過激派である。」

 かつて改革党が宗教や少数民族についてどのような発言をしてきたかを思うと、改革党出身で福音派クリスチャンのハーパー首相の発言は、意外に思われるかもしれない。だがハーパー首相は、自身は同性婚に反対しながら、政治は良心の問題に立ち入るべきでないと主張し、改革党内の過激派に警告した過去がある。現在のカナダ保守党は、旧改革党グループと進歩保守党グループの寄り合い所帯であり、西部だけを根拠地にしていた改革党時代とは違う。カナダ保守党の党首そして首相の地位は、穏健な中部・東部と原理主義的な西部の間で巧妙なバランスが要求されているのだ。
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「命の旅」のフォンヨー、また逮捕 [犯罪・事件]

470_bc_steve_fonyo_100527.jpg 義足をつけてカナダ横断マラソンに挑んだ「命の旅」のスティーブ・フォンヨー(45歳)が、8月5日詐欺容疑で逮捕された。
 警察によると、彼は2009年9月から2010年7月にかけて、ブリティッシュコロンビア州デルタ市のガソリンスタンドにおいて、クレジットカードを使用して6万ドル以上の買い物をした疑いをかけられている。
 フォンヨーは2009年12月、「数々の犯罪行為ゆえに」オーダー・オブ・カナダ勲章を剥奪された。7月には、婚約者と8月に結婚すると発表していた。


【参照】 「命の旅」フォンヨーの勲章を剥奪 
http://blog.so-net.ne.jp/canadian_history/2010-01-28
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子供の騒音にトップレスで対抗 [犯罪・事件]

Marika De Florio.jpg オンタリオ州シーリーズ・ベイに住むマリカ・デ=フロリオ(56歳・写真)さんは、近所に住む5歳の子供が乗るおもちゃの4輪バギーの騒音に悩まされていたが、その画期的な対処法を思いついた。
 カナダでは、女性がトップレスで出歩く権利が判例上確立されている。そこでバギーがうるさいときは、彼女がそうすれば、子供の祖父母が子供をあわてて家に押し込むということに気がついた。
 彼女の隣人マイク&ナンシー・ベリー夫妻とのトラブルは、彼女がこの地区に引っ越した2年前から始まったという。デ=フロリオさんは語る。
「私は気が狂いそうです。引っ越すわけにもいかないし、ただ平穏な生活が欲しいだけです。自分がこんなことをするなんて信じられないけど、そうすると彼らは孫を家に引き込み警察を呼ぶのです。」

 トロント市警のイザベラ・コットン巡査は、「この種の事件に関する刑事告発は…1996年を最後にありません」と語った。
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カナダが第二次大戦中に炭疽菌爆弾を開発か [犯罪・事件]

 ラジオ・カナダは6月1日、カナダが第二次世界大戦中に炭疽菌爆弾を開発していたというドキュメンタリー番組を放送した。
 番組によると、イギリスのチャーチル首相が50万発の炭疽菌爆弾の開発を目指しており、カナダの研究チームは1943年、セントローレンス水路のグロス島に作られた施設で、全人類を30回以上殺戮できる700億人分の致死量に相当する炭疽菌を培養したという。「プロジェクトN」と呼ばれたこの研究は、原爆開発やドイツの暗号解読とともに、連合国軍の3大機密であったと番組の制作者は主張している。
 大戦終結までにイギリスに送られた炭疽菌爆弾は、わずか5000個であったという。プロジェクトに参加した科学者トーマス・ストーベルは番組の中で、研究施設は1944年8月に閉鎖されたが、残った炭疽菌は溶剤と混ぜてしばらく放置された後、セントローレンス水路に廃棄されたと証言した。

ソースはAFP。
http://news.yahoo.com/s/afp/canadahistorywwii
グローブ&メイルやトロント・スターなどの大手メディアは、この件について全く報道していない。
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体臭を理由に飛行機の搭乗を拒否 [犯罪・事件]

 カナダの航空会社ジャズ・エアが、強烈な体臭を発していた乗客の搭乗を拒否したことを、シャーロットタウンの新聞「ガーディアン」が2月18日に報じた。体臭を理由に搭乗を拒否することは、極めて異例のこと。
 2月6日、シャーロットタウン発モントリオール行きのフライトに乗ったペニー・ウォルシュさんは、強烈な体臭を発する乗客がいるという理由で、客室乗務員に席を移動するよう勧められた。彼女はそのアメリカ人男性の3列前に座っていたが、風邪をひいていたため異臭は感じなかった。しかし周囲の乗客たちは、一斉に男性を見つめて不満を述べていたという。彼女の隣に座っていた乗客は、男性の悪臭を「強烈だ」と言っていた。男性は乗務員に促され、機外に出た。この事件により、15分程度の遅れが生じた。
 ジャズ・エア広報担当のマノン・スチュアート氏は、搭乗を拒否した理由や乗客の詳細には触れなかったが、
「航空会社として、乗客・乗務員の安全と快適性は、最優先事項である。ゆえに安全と快適性を脅かされるどんな状況においても、乗務員は乗客の最大多数の要望に応えて行動しなければならない。残念なことに、ある状況においては、乗務員が乗客を排除することも必要になるかもしれない」
と語った。ただし同社は、他社と同様に乗客の体臭に関する規定は特に設けていないとも付け加えた。

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「命の旅」フォンヨーの勲章を剥奪 [犯罪・事件]

3504919 SNSサイト“Facebook”では、バンクーバーオリンピックの最終聖火ランナーを当てる投票が盛り上がっている。骨肉腫で右脚を失いながら義足でカナダ横断マラソンに挑んだテリー・フォックスの母ベティや、車椅子バスケットボールでテリーのチームメイトであり、車椅子で世界旅行を成し遂げたリック・ハンセンらに人気が集まっている。だがもう一人の挑戦者、スティーブ・フォンヨーの名を挙げる者はいない。彼は今、サーレー拘置所にいる。
 1月25日総督府は、フォンヨーに与えたオーダー・オブ・カナダ勲章を、「数々の犯罪行為ゆえに」2009年12月10日に剥奪したと発表した。

 スティーブ・フォンヨーはモントリオールに生まれ、12歳のとき骨肉腫で左脚を失った。テリー・フォックスの「希望のマラソン」に感銘を受け、志半ばで世を去った彼の意志を継ごうと、1984年3月31日、カナダ横断チャリティマラソン「命の旅」を始めた。
 テリーは青い目の大学生だったが、フォンヨーはハンガリー系で高校中退だった。18歳の彼は挙動がぎこちなく、彼の挑戦はテリーの偉大な足跡を冒涜するものとみなされた。若い彼はただ黙って耐え、1985年5月29日、ついにビクトリアの海に義足を浸し、7924キロのマラソンを完走した。彼はこのチャリティマラソンで、1400万ドルの募金を集め寄付した。
 フォンヨーはその年、史上最年少でカナダ最高の勲章オーダー・オブ・カナダを授与された。彼の業績を称えてキングストンでスティーブ・フォンヨーDr.、プリンスアルバートでスティーブ・フォンヨーRd.、ビクトリアでスティーブ・フォンヨー・ビーチと命名された。1988年には、カルガリー・オリンピックの聖火ランナーの一人に選ばれている。

 彼の生涯には、常に偉大なテリーの影がつきまとった。テリーは実際のところどこにでもいる若者だったが、志半ばで天に召されたテリーはほとんど神格化されていた。「テリーの二番煎じ」という酷評は、彼を悩ませた。
 1989年エドモントンの駐車場で、車内に置いた競技用の義足を盗まれたことから、彼の転落は始まった。大家の頭をレンチで殴り29針縫う重症を負わせ、スーパーで小切手で煙草を購入し、それをコカインと交換した後、小切手を不渡りにした。また愛車クライスラー・レバロンの2万1000ドルのローンを返済できなくなり、銀行に差し押さえられた後、それを盗んで取り戻した。1996年、彼は暴行・詐欺・窃盗など10件以上の容疑で起訴され、禁固18か月・執行猶予2年の判決と、スーパーマーケットへの1万1000ドルの支払いを命じられた。
 2008年には少なくとも5度の飲酒運転、7度の無免許運転で再び有罪判決を受けた。2009年には暴行で起訴され、禁固1日・執行猶予1年の判決を受けたが、そのわずか5日後に再度起訴され、禁固14日を宣告された。

 オーダー・オブ・カナダ勲章は、以下の条件に該当するとき剥奪できる。
・刑事事件で有罪判決を受けた場合
・公共の場での挙動において一般的に認められる標準から逸脱した場合
 勲章を剥奪された例は、過去に3件ある。アラン・イーグルソンは1998年、詐欺罪で投獄されたため勲章を剥奪された。デビッド・アヘナキューは2002年、反ユダヤ言説で告訴され有罪判決を受けたため剥奪された。T・シェア・シンは顧客への不正行為で有罪判決を受け、2008年に剥奪された。

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写真上:ビクトリアの国道1号線基点「マイル・ゼロ」に到達したスティーブ・フォンヨー。
写真下:ビクトリアのビーコンヒルズ・パークにあるスティーブ・フォンヨー記念碑。
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サウジ最高裁、カナダ市民の死刑判決を無効 [犯罪・事件]

 サウジアラビア最高裁は1月9日、殺人罪で起訴されたカナダ市民モハメド・コハイル被告の死刑判決を無効とし、再審を命じた。被告は公開処刑の危機を脱した。
 2007年1月、サウジアラビアのジッダにあるインターナショナルスクールで起きた乱闘で、カナダ人生徒サルタン・コハイル被告と兄のモハメド・コハイル被告が、ムンザ・ハラキ君を死亡させた。モハメド被告は一審で死刑を宣告され、高裁も一審判決を支持した。サルタン被告は禁固1年・鞭打ち200回の刑を宣告されたが、この判決も無効となった。
 しかしサルタン被告の審理は最近、少年裁判から成人裁判に移行された。よってサルタン被告にも、死刑判決がありえる。
 外務省広報は、サルタン被告の問題はまだ解決していないとして「この問題は、政府にとって優先事項であり続ける」と述べた。


【参照】 http://blog.so-net.ne.jp/canadian_history/2008-04-03
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