SSブログ

アンブローズ前党首、党首選出馬せず [保守党]

 ロナ・アンブローズ前暫定党首は1月22日、保守党党首選に立候補しないとフェイスブックで発表した。
「我々が、強く、哀れみ深く、全ての家庭をサポートする人をリーダーに選ぶことを知っている。低い税と少ない規制を通して、民間セクターの可能性を誘発し、普遍的人権と基本外交政策を守るリーダー。」
「何にも増して保守党は、党首は全てのカナダ人に奉仕するものだと理解している人を選ぶ必要がある。」
「我々は良いリーダーを選ぶだろう。そして私は、その人を支える。」
 彼女のメッセージは、次の党首は特定の国民を排除しようとしたシーア党首のようであってはならないと言っているかのようだった。

 右に寄りすぎてなく、穏健な保守と見なされた彼女は、自由党に勝てる党の顔として多くの人々から出馬を期待された。ジェイソン・ケニー首相(アルバータ州)、ブレイン・ヒッグス首相(ニューブランズウィック州)、ブラッド・ウォール元首相(サスカチュワン州)ら重鎮たちからも、出馬を求めるラブコールが挙がっていた。いっぽう大物候補の脱落は、出馬を躊躇していた新たな候補の出馬を促すことになるかもしれない。
 マリリン・グラデュ議員、ピエール・ポワリエーブル議員、エリン・オトゥール議員、デレク・スローン議員の4人が、すでに立候補を表明している。
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:地域

シャレー元州首相、党首選出馬を断念 [保守党]

B881015282Z.1_20200117072408_000_G6NRTS7O.2-0_Super_Portrait.jpg

 ケベック州元首相のジャン・シャレー氏は1月21日、保守党党首選立候補を断念すると発表した。
 2019年12月にシーア党首が辞任を表明すると、シャレー氏は直後に「立候補を考慮する」と発表した。だが彼は党首選規則と、保守党の変容と、家庭生活を理由に挙げて不出馬を表明した。
 彼は1998年まで、進歩保守党党首を務めていた。だが彼はその後ケベックの州政治に転進し、中道右派の進歩保守党は右翼のカナダ同盟に吸収された。こうして新たに結成されたカナダ保守党は、社会保守主義者が中絶や同性愛反対を声高に叫ぶ党になっていた。
「保守党は私が1998年に去ったころから、大きく変わった。社会問題に関する私のスタンスは、深い信念に基づくものだ。」
 彼が次に挙げたのが、党首選出馬のハードルが高いことだった。立候補申し込み書類を2月27日までに提出し、21日以上前から党員である支持者3000人分の署名を3月25日までに集め、登録料20万ドルを支払い保証金10万ドルを預けなければならない。
「党が設定した党首選規則は、外部の候補には敷居が高い。最終期限は、非常に短い。」
 こうして彼は3つの理由を挙げたが、ほとんどの人はその話を真に受けてはいない。カナディアン・プレスは最近、首相時代の企業献金について彼が汚職の嫌疑で調査の対象になっていると報じた。だが彼は21日、汚職疑惑が立候補断念の理由ではないとわざわざ弁明した。
le-coup-de-crayon-du-15-janvier.jpg

 雑誌「マクリーン」は先週、ハーパー前党首(前首相)が保守党の財務委員を辞任したと報じた。同誌によると、ハーパー氏はシャレー氏に支援を求められたが、断ったという。保守党の財政を握っているハーパー氏は、シャレー氏を次の党首として好ましくないと考え、党の公職から身を引くことで、別の誰かを公然と支援できるようになるのだと解説した。


図上:党首選出馬を噂されているのは、1993年党首選に出馬したジャン・シャレーと、2003年党首選に出馬したピーター・マッケイ。まさか、1976年党首選に出馬したジョー・クラークは出ないでしょうが。
図下:「バック・トゥー・ザ・ポリティック」。
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:地域

逆風にさらされる社会保守主義 [保守党]

 妊娠中絶に反対する保守系圧力団体「キャンペーンライフ連合」のジェフ・ガンナーソン理事長は、保守党党首選で支持する候補を探している。それは、中絶に関し「議論するだけの十分な合理的理由がある」と主張してくれる人である。
「我々には、意中の人が何人かいる。だがそのうちの誰も『出馬する』と言わない。」
 キャンペーンライフ連合は2017年党首選で、中絶非合法化を明確に訴えるブラッド・トロスト議員を支援し、4位に着けることに成功した。彼の敗退後は、残った候補の中で最もましと思われるアンドリュー・シーア議員を支援し、当選させた。そのような経緯から、シーア党首は個人的には中絶や同性婚に反対するという社会保守主義的態度を取ったが、それらの法制化には反対するというハーパー前党首と同じスタンスを取った。彼のそのような前時代的スタンスが、総選挙で多くの票を逃したと見なされ、社会保守主義者たちも強い批判にさらされている。党内ではもはや、社会保守主義的議論を封じ込めようとする気運すら高まっている。
 メディアでは有力な候補として、ロナ・アンブローズ前暫定党首、ピーター・マッケイ元法務大臣、ジャン・シャレー元ケベック州首相、エリン・オトゥール議員、ピエール・ポワリエーブル議員らの名が挙げられているが、保守党左派ばかりであり、その中でキャンペーンライフ連合に最も都合のいい人はポワリエーブル議員だろう。だがガンナーソン理事長は「私は彼の立ち位置について、よく知らない」と言う。
 彼はまた、近年の保守党が、何の議論もなしに社会保守主義的政策を封じ込めてきたと語った。
「マスコミやレッド・トーリーはしばしば、我々は声すら上げてはならないかのような圧力をかけて来た。それはおかしい。」
 2018年にオンタリオ進歩保守党党首選に立候補した著名な社会保守主義者のターニャ・グラニック・アレン氏は、社会保守主義はまだ党内で影響力を持っていると語った。
「特定の問題を封じ込める権利が、誰かにあるとは思わない。」
 彼女はオンタリオ進歩保守党で、社会保守主義がしばしば無視されたと証言した。そして次の保守党党首選では、あらゆる問題が議論され、その中で最善の考えが当選すべきだと語った。

 ハーパー前首相の側近だったリシャール・デカリ氏は、シャレー氏の立候補の噂を聞き、彼の当選を阻止するため立候補するという。
 彼は、妊娠中絶への扶助を廃止し、教会での結婚のみを正式な婚姻とすることを訴えている。シャレー氏については、左に寄りすぎているという。
「保守主義とは、過去の社会は良かったと敬意を払うことだと、私は思う。」
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:地域

保守党党首選、6月27日に [保守党]

 保守党は1月3日、6月27日にトロントで党首選を行うと発表した。
 党首選管理委員会のダン・ノーラン委員長は、党員の圧倒的多数は、できるだけ早期の党首選を望んでいたと説明した。
「自由党少数政権がいつでも打倒可能な状況にあって、我々には最大野党として、できるだけ早くその用意をする義務がある。」
 管理委員会には、党首選に関するあらゆる規則を作る任務がある。日付の次は、立候補の条件を設定しなければならない。2020年党首選では、立候補するには党員3000人の署名と登録料30万ドルの支払いが求められることになりそうだと、党内事情通は語った。2017年党首選では、署名300人分と登録料10万ドルだった。なお登録料は、候補が規則に従い公正な選挙を行ったときは、半額は払い戻される。
 皮肉なことに、党首選はトロントのプライド・パレードと同日に行われる。その日辞任するシーア党首と、その日就任する新党首は、どちらもパレードに参加しないだろう。
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:地域

保守党党首選、来年11月に [保守党]

 保守党は12月20日、2020年4月にトロントで開催する予定の党大会を延期し、11月中旬にケベックで開催すると発表した。党首選もこのとき実施され、それまではシーア党首が留任する。
 連立する習慣のないカナダでは、少数政権がしばしば成立したが、その多くは1年と続かなかった。三大野党が協力すればいつでもトルドー内閣を打倒できるのに、最大野党が暫定党首では、新政権を樹立できない。保守党内では、このままでは戦えない、4月より前に党首を選任すべきだという声も挙がった。だが党首選立候補には、7つ以上の州・30以上の選挙区から推薦人300人以上の署名が必要だという党則があり、短期間での党首選開催は難しかった。
 カナダ同盟と進歩保守党が合併して成立したカナダ保守党は、実際には雑多なグループの集合体だった。初代党首のハーパー(後の首相)は、選挙に勝つことだけを考え、党綱領は両党のものを足して2で割ったようなものにした。そして自分が党首の間は、同性婚廃止や中絶非合法化といった、党を分裂させそうな問題を封じ込めた。だが彼が引退すると、13人が党首選に出馬し、実は雑多なグループの寄せ集めであることが明確になった。
 全国評議会のゼハビ・ジノバーグ氏は、党首選について次のように述べた。
「我が党は、大きなテントだ。それは、社会保守主義から財政保守主義やレッド・トーリーまで、異なる保守のグループから成る。次の党首がそれらのグループを一つにすることができるなら、我々にはトルドー首相を破る大きな可能性がある。」
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:地域

シーア党首が辞意を表明 [保守党]

 保守党のアンドリュー・シーア党首は12月12日、下院での演説で党首を辞任する意向を表明した。次の党首が選出されるまでは職にとどまり、また「当面は」下院議員を続ける。

 (1) 若くて古い人
 トルドー首相に関するあまりに多くのスキャンダルがあるにもかかわらず、そして支持率では自由党を上回っていたにもかかわらず、シーア党首は勝ちきれなかった。彼は若いのに、同性婚や妊娠中絶などの社会問題について徹底的に守旧派であり、プライド・パレードの行進に主要政党党首で唯一参加しなかったため、テレビ討論ではそれらの社会問題について追及され、国民が真に望んでいた経済などの問題に焦点を当てることに失敗した。「笑顔のあるハーパー」と呼ばれた彼は、予算の均衡、減税などハーパー首相の政策を忠実にコピーし、地球温暖化対策を提示することすらしなかった。そして総選挙敗北にもかかわらず、彼は方針を改めようとせず、スタッフも刷新しようとしなかったため、党内では公然と辞任を要求する声が挙がっていた。
 カナダの政治的潮流は、ハーパー時代から大きく動いている。今では信じがたいことだが、そのころの自由党には中絶反対の議員がいた。トルドー氏が党首となってから、中絶反対派は公認しないと決めたので、いなくなったのである。今では保守党は、2016年に同姓婚廃止を綱領から削除したものの、中絶反対を表明する唯一の主要政党である。国民の中にそのようなニーズがある以上、また保守党が保守派である以上、何も変える必要はないとシーア党首は判断したのだろう。
 だがトルドーは2015年総選挙で、財政赤字を恐れず景気を刺激すると発表し、政権を奪取した。彼は首相として初めて、プライド・パレードで行進した。反対の声が挙がっても、炭素税を導入した。トルドー首相に叩けば出る埃が多くあった以上、もう少しましなポリシーを掲げもう少しましな戦略を練れるリーダーだったら保守党は選挙に勝てたかもしれないと、人々は考えただろう。
 シーア党首は総選挙以降、彼がトルドー政権に最初の一撃を加え、その終焉を早めたと主張した。彼は辞任を公表した下院での演説で、こう述べた。
「私はこの党を信じている。私は我々の動向を信じている。そして私は、選挙の後で我々が政権に就くと信じている。」
 25歳で下院議員となり、史上最年少の32歳で下院議長を務め、38歳で党首に就任した彼は、40歳の若さでそのキャリアを終える。終わった時代のアジェンダに固執した人として。
 レジェ・マーケティング社による世論調査は、新民主党支持者が議席を減らしたシン党首について、留任すべきが87%・辞めるべきが6%だったのに対し、保守党支持者が議席を増やしたシーア党首については、留任すべきが48%・辞めるべきが40%という対照的な結果を示していた。全てのカナダ人の間では、シン党首は留任すべきが52%に対し、シーア党首は留任すべきはわずか24%だった。

 (2) シーア党首は家族を理由に挙げた
 シーア党首は先々週、帰宅すると息子の一人と話した。野党第一党党首は公職で、オタワに公邸が用意されていることから、妻と5人の子供たちとともにリジャイナから転居した。子供たちも転校を余儀なくされたが、多忙な日々の中で彼は、自分がいかに子供たちの状況を理解していないかを気づかされたという。
 彼は下院でこう演説した。
「私は同僚たちに、常に誠実だった。私は誰にでも、常に誠実だった。そして前途にある負担が家族にかかることを知りながら、100%の完全な平安を保証をすることができなかった。」

 (3) 経費私的流用問題
 シーア党首は辞任を公表する前に、12日午前の臨時幹部会でその意向を保守党議員たちに表明している。実は前日11日にも幹部会が招集され、その日辞意を表明するつもりでいたが、アメリカ・メキシコとの新しい貿易協定に関する情報が入って来て、その対応について協議したため、言い出せなかったという。それで翌12日に臨時幹部会を招集し、辞任を発表したのだという。
 だが匿名の情報源は、異なる筋書きを説明する。党はシーア党首の転居費用を負担することになっていたが、子供たちをオタワの私立校に通わせるための授業料まで負担させていたことが10日に発覚した。シーア党首の側近は、彼の党首就任時に党重役たちに承認されたことであり、問題はないとしているが、党の経理担当者は知らされていなかったという。「最小限」とされた費用は、実際には数千ドルにも達していた。この件が極秘情報だったことは明らかであり、党中枢の誰かがシーア党首を追い落とすためにマスコミに暴露したのは確実だった。
 ハーパー前首相の側近だったジェニー・バーン氏は、「擁護できない」と明確に非難した。
「党の経費で子供を私立校に入れた党首など、私は一人も知らない。」
「皆は、これが不適切で容認しがたいと感じている。これらは転居費用でなく、生活助成金である。」
 ジャン=ギ・ダジュネ上院議員も、シーア党首は経費を払い戻すべきだと力説した。
 シーア党首の事務所は、授業料問題が辞任の理由ではないという声明を発表した。党経理担当は、辞任発表まで授業料問題を知らず、調査を開始しようとしたとき「偶然にも」辞任が発表されたと、わざわざ説明した。
past-conservative-leaders-from-election-defeat-to-resignation.jpg

 (4) 後任は誰か
 サッチャーやコールのような長期政権の後は、後継者が頼りなく見られるのか、野党に転落している。池田や佐藤のようなリーダーは後継者を育てているが、「安倍の次は安倍」などと言われている人は、引退後はどうするつもりだろうか。
 ハーパー前党首(前首相)は、引退後を引き継ぐ後継者を育てるのではなく、自分の立場を脅かしそうなナンバー2を次々と排除した。そのため有力な後継候補はみな政界引退に追い込まれ、後継党首は閣僚経験もない38歳のシーアだった。
 ナンバー2と言われてきたジム・プレンティス元環境大臣は、引退して銀行家となり、後にアルバータ州首相になったが、事故死した。ジョン・ベアード元外務大臣も、突如引退した。ジェームズ・ムーア元産業大臣も、息子の病気を理由に引退し、法律事務所で働いている。
 本人が何度否定しても、その都度党首の座を狙っていると言われ続けているピーター・マッケイ元外務大臣も、結婚して「家庭の事情」を理由に突如引退し、弁護士を務めている。シーア党首の辞任発表で、彼はまたしても大本命と言われている。
 2017年の党首選を沸かせたケビン・オリアリー氏とマクシム・ベルニエ氏は、ともに党首選出馬の噂を一蹴した。ベルニエ氏は人民党党首であり、骨肉の総選挙を戦ったばかりである。
 ハーパー政権の「影の実力者」ジェイソン・ケニー元国防大臣は、アルバータ州首相になったばかりで、考えていないという。オンタリオ州のダグ・フォード首相も、興味がないと語った。
 穏健派のエリン・オトゥール元退役軍人大臣は、2017年党首選で3位になり、有力視されている。
 リサ・レイト前副党首も有力視されているが、同じ選挙区に金メダリストのアダム・バン=コーバーデンがいて落選中である。
 マイケル・チョン元政府間関係大臣は、2017年党首選で5位に敗れている。
 ブラッド・トロスト前議員は、著名な社会保守主義者で、妊娠中絶非合法化を今も主張し続けている。2017年党首選で4位に敗退したが、党内基盤の弱いシーア氏を支持し当選させた。シーア党首が社会保守主義的政策に固執したのは、トロスト氏ら社会保守主義者に支えられているからであり、総選挙敗北の元凶と見られている今、当選への道は険しい。保守党は近い将来、妊娠中絶非合法化を放棄し、従来型の社会保守主義者は居場所を失うのではないだろうか。
 彼は党首選で、党員リストを外部に漏洩した疑惑を持たれ、選挙区での予備選で落選し総選挙に立候補できなかった。
 オンタリオ州のキャロライン・マルローニ運輸大臣は、ブライアン・マルローニ元首相の娘で、名を挙げられている。2018年のオンタリオ進歩保守党党首選で、彼女は政治歴がないのに立候補を要請され、3位となった。
 ミシェル・レンペル・ガーナー前西部経済多様化大臣の名を挙げる人もいる。彼女は妊娠中絶や同性婚に寛容な「ピンク・トーリー」で、社会保守主義が強い批判に晒されている今はチャンスと言えようが、39歳と若く、これからの人だろう。
 リオナ・アレスレフ副党首は、自由党から移籍してまだ日が浅い。シーア党首から副党首に抜擢されたが、プライド・パレードに参加しない彼をかばおうとして「(アイルランド人の)セント・パトリック・デーの祭に参加を強制する人はいない」と発言し、一昔前には差別されていたアイルランド人を、現在差別されているLGBTに譬えたことを批判され、謝罪した。
5df3e446240000f10c5a341d.jpg

 サスカチュワン州で長期保守政権を築いたブラッド・ウォール前首相は、何度も連邦保守党党首の地位を打診され、その都度断り、引退して2年経つが今でも名を挙げられる。彼は出馬を否定したが、ロナ・アンブローズ前暫定党首の出馬を望むと語った。
 2015年総選挙敗北を受け、暫定党首に就任した彼女は、党首選を無事に終わらせると政界を引退した。彼女はまた、プライド・パレードに参加した初の(連邦)保守党党首である。任期中には、先住民の女性が多数行方不明になっている問題について、ジョディ・ウィルソン=レイボールド法務大臣に会い「できることは何でもする、これは党派を超えた問題だから」と言って協力を約束した。また新任の裁判官に性的暴行プログラムの履修を義務づけたのは、彼女が個人提出した法案が成立したものである。
 ウォール氏は、党派に固執しない彼女が党首なら、党は結束できると語った。
「党は、社会保守主義的問題に集中しない。彼女は彼らに対し、異なる姿勢をとる。」
「我々は、経済問題に立ち返る。」
 西部の疎外感が原因で、西部分離主義「ウェグジット」が盛り上がる兆候を見せている。ウォール氏はそれを抑えるためにも、アルバータ出身のアンブローズ氏が適任だと推薦した。
 自由党もまた、彼女を高く評価している。トルドー首相は、アメリカ・メキシコとの貿易協定の顧問団に、彼女を加わえた。首相が彼女を駐米大使に任命するという推測もある。


図上:保守政党党首の、総選挙敗北から辞任までの日数。
写真下:ブラッド・ウォール前首相(左)とロナ・アンブローズ前暫定党首(右)。
nice!(0)  コメント(1) 
共通テーマ:地域

シーア党首は生き残れるか [保守党]

 総選挙後最初の保守党幹部会が、11月6日に召集された。この席で、リーダーシップチェックを要請する権限を幹部会に与える党則改正が採決され、否決された。これにより、リーダーシップチェックは2020年4月の党大会で実施されることになり、シーア党首はそれまで留任できることがほぼ確実になった。
 シーア党首は総選挙で議席を増やしたが、与党に多くのスキャンダルがあり、得票率1位だったにもかかわらず政権奪取できなかった。特に、議席の多いオンタリオとケベックで惨敗したことで、そのリーダーシップを疑う声が大きくなっていた。
 リーダーシップチェックは、全党員が参加できる党大会で実施するのが通例だが、保守党はこの日、幹部会(上院議員と下院議員)の20%の要請があればリーダーシップチェックを実施できるとする党則改正について採決した。これは、シーア党首をただちに引きずり降ろしたいと憤る議員が何人かいることを示している。
 ガーネット・ジェニュイス議員は、この動きを疑問視した。
「私は、この種の問題について幹部会がルールを覆すことは支持できない。次の党大会でリーダーシップチェックがあるから、幹部会のメンバーではない党員たちの意見を尊重すべきだ。」
 だがケベックの上院議員たちは、前日独自に会談の場を設けていた。シーア党首は最初のフランス語討論で、保守党政権になれば妊娠中絶非合法化の議論が再開されるのかと問われると「その問題は『発展したまま』にしておく」などと不明瞭で歯切れの悪い答弁に終始した。ジャン=ギ・ダジュネ上院議員(ケベック代表)は、最初のフランス語討論はケベックの保守党にとって「壊滅的」であり、シーア氏が党首のままではケベックで勝てないと断言した。クロード・カリニャン上院議員(ケベック代表)も、シーア党首を含め執行部が変わらないかぎり、ケベックとオンタリオの主戦場で勝つことは難しいと語った。
「ケベックでは、我々の選挙は最初の週で終わっていた。」
EILEqICXUAIr3Ow.jpeg


 シーア党首は総選挙に敗北した夜、支持者に語った。
「2004年の、ハーパー党首最初の総選挙を思い出せ。」
「彼はマーチン首相から過半数を奪い、その後10年間の保守党政権への道を拓いた。」
 最大野党党首が最初の総選挙で負けることは、珍しくない。シーア党首は、最初の総選挙に負けた15人目の最大野党党首である。この中には、ウィルフリッド・ローリエやロバート・ボーデンのような、後にお札の肖像になるほどの名宰相たちも含まれる。もちろん、一度も勝利できず総理の椅子を手に入れられなかった多くの人々も含まれている。
 最初の総選挙に負けた最大野党党首15人のうち、1人はケベック連合のジル・デュセップ党首である。ケベック連合はケベック州にしか候補を立てないので、絶対に過半数を獲れない。彼は1997年総選挙で44議席を獲得し、野党第2党に転落したが、ケベックでは第一党を維持し、留任している。
 15人のうち6人は、2度目のチャンスを与えられなかったか、もしくは自ら放棄した。ロバート・マニオン(国民保守党、1940年)、ジョン・ブラッケン(進歩保守党、1945年)、ストックウェル・デイ(カナダ同盟、2000年)、ステファン・ディオン(自由党、2008年)、マイケル・イグナティエフ(自由党、2011年)、トム・マルケア(新民主党、2015年)である。
 15人のうち7人は、2度目のチャンスを与えられた。そのうち5人は、2連敗を喫した。エドワード・ブレイク(自由党、1882年と1887年)、ロバート・ボーデン(保守党、1904年と1908年)、ジョージ・ドリュー(進歩保守党、1949年と1953年)、レスター・ピアソン(自由党、1958年と1962年)、ロバート・スタンフィールド(進歩保守党、1968年と1972年)である。
 3度目のチャンスが与えられたのはわずか3人で、ボーデンは1911年、ピアソンは1963年に三度目の正直で勝利し、総理の椅子を手に入れた。スタンフィールドは1974年に3度目の敗北を喫し、辞任した。
 シーア党首が言おうとしている、最大野党党首として最初の総選挙に敗れはしたが、二度目には勝利した例は、2人しかいない。スティーブン・ハーパー党首は2004年の最初の総選挙に敗れたが、2006年に勝利した。ローリエ党首は1891年、最初の総選挙でマクドナルド首相に敗れたが、1896年に勝利した。
 最初の総選挙に負けた最大野党党首15人のうち、前任者より多くの議席を獲得したのは5人しかいない。彼らは平均で、12議席減らしている。シーア党首と同じくらい多くの議席を増やしたのは、わずかに2人である。ハーパーは2004年総選挙で、カナダ同盟と進歩保守党の合計を21議席上回り、留任した。ブラッケンは1945年総選挙で28議席増やしたが、辞任した。
 シーア党首が獲得した121議席は、野党としてはカナダの歴史上最大である。議席数は後の時代ほど増加しているが、その議席率35.8%においても、今の保守党は1980年以降で最大となる(議席率最大の野党は、1872年の自由党で47.5%)。
 だがローリエやハーパーの状況と、今のシーア党首は大きく異なる。ローリエが1891年に敗れたとき、自由党は17年間総選挙で負け続けていた。ハーパーが2004年に敗れたときも、自由党が11年間政権を握り続けていた。
 カナダ保守党は新党結成して最初の総選挙で、前回はカナダ同盟66議席と進歩保守党12議席だったのを、99議席にまで増加させた。大票田オンタリオでは前回2議席だったのを、24議席に躍進させたことが高く評価された。
 いっぽうシーア党首は、得票率がケベックで16%で、前回の16.7%より減少した。オンタリオでも33.2%で、前回の35.0%より約2ポイント減少している。この2つの数字は、カナダ保守党結党以来最低の数字である。彼は議席と票を増やしたことを誇っているが、増えたのは西部の議席と死票であり、政権獲得に必要な中部の大票田ではむしろ成績が下がっているのだ。
EIuYBWRWwAAHbf9.jpeg

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:地域

シーア党首の二重国籍発覚 [保守党]

 保守党のアンドリュー・シーア党首は、アメリカ市民の父から生まれたのでアメリカ国籍を有していると、グローブ&メイル紙が10月3日に報じた。
 二重国籍を公表しなかった理由を問われると、彼は誰にもきかれなかったからと答えた。
「私や私の家族を知っている人は皆、父がアメリカで生まれたことを知っている。」
 彼は、アメリカのパスポートは何年も前に失効しているし、8月にアメリカ市民権を放棄するためアメリカ領事館に行ったと説明した。
「二重国籍を持つことは、カナダでは大した問題ではない。親が外国生まれのカナダ人は、何百万人もいる。」
「そのとき私は、党首ではなかった。」
「党首になったあと、こうする決断をした。」
「私は、ほかの問題に集中していた。私は党を建て直し、選挙に備えていた。」

 彼は、アメリカのいかなる選挙にも投票しなかったと断言した。だが10月21日のカナダ総選挙までに市民権放棄の手続きが完了するかどうかを、答えることはできなかった。
「私は、アメリカ大使館からの返事を待っている。」
 彼はアメリカで投票はしなかったが、所得申告はしたと認めた。だがそれが何度で、いくらの所得を申告しいくらの還付を受けたかは明らかにしなかった。
 アメリカ市民はどこに在住していようと、全ての収入についてアメリカ内国歳入庁に申告しなければならない。さらに外国口座税務コンプライアンス法(FATCA)で、全てのアメリカ市民は銀行、証券会社、保険会社など外国の金融機関口座について、内国歳入庁に申告しなければならない。故意でない違反には罰金1万2921ドルが、故意の違反には12万9210ドル以下または口座価値の50%以下の罰金を科せられる可能性がある。

 シーア党首は、最後にアメリカのパスポートを使ったのはいつか思い出せないと語った。
「家に帰って調べないといけない。」
「私は大人になってからは、アメリカのパスポートを必要としなかった。」
 彼は2008年11月から2011年6月まで下院副議長、2011年6月から2015年12月まで下院議長、2017年5月から保守党党首を務めている。彼は公式野党党首(いわゆる「影の首相」)として、何度かアメリカに入国しているが、二重国籍者を含む全てのアメリカ国民は、アメリカ出入国の際にアメリカのパスポートを使用しなければならないと規定されている。

 さらに問題なのは、外国籍の有無にかかわらずアメリカ市民は、18歳になる30日前までに兵役のため登録しなければならないことだ。シーア党首は4日、登録したかどうか覚えていないと語った。だが保守党広報は、シーア党首が法律にしたがい登録したことを確認したと発表した。
 通称「ドラフト」として知られる選抜徴兵法により、18歳から25歳までのアメリカ市民男性は、いつでも徴兵に応じられるよう登録しなければならない。アメリカは、国の非常事態または軍の緊急な拡大が必要となった場合、登録リストから徴兵することができる。ただし、ドラフトはベトナム戦争以降は実施されてなく、兵役は1973年以降は志願制である。
 アメリカ政府のウェブサイトは「無国籍と二重国籍の男性は、選抜徴兵制に名前を登録しなければならない。彼らは登録する必要を免除されていない」と警告している。登録を怠ると、25万ドル以下の罰金または5年以下の禁固刑、もしくはその両方を科せられ、奨学金の受給資格を失い、連邦政府公務員になれなくなる。

 1982年にカナダが完全独立を達成してからは、公人の重国籍はしばしば問題にされた。保守党は、自由党のステファン・ディオン党首や新民主党のトム・マルケア党首の重国籍を批判した。ハーパー前首相も「私の場合は、非常に明確だ。私はカナダ人であり、かつカナダ人のみである」と言って、彼らを言外に批判した。そのとき平議員だったシーア氏は、沈黙していた。
 フランス国籍を持つミカエル・ジャン氏が2005年に総督に就任するとき、シーア氏はブログに意味深長な言葉を書いている。
「彼女が二重国籍だったら、あなたは困るだろうか。彼女がフランス国籍でなくアメリカ国籍だったら、あなたは困るだろうか。」
 彼はもちろん、自身の二重国籍には言及しなかった。

 ワシントンの移民弁護士レン・サウンダース氏は、出入国管理法においてシーア党首は完全にアメリカ人とみなされると語った。
「彼のパスポートが期限切れだというだけでは、彼がアメリカ人でないことを意味しない。」
「私は、彼がもっと以前に市民権を放棄しなかったことに驚いている。」
「もし彼が選挙に勝ったとしても、まだアメリカ市民のままだろう。何か月もかかる。」
 トルドー首相は、国籍の有無ではなく誠意を問題にした。
「二重国籍を持つことが、政治家として失格だとは思わない。ただし、3700万のカナダ人のための首相の職務を求めているなら、あなたはカナダ人に誠実でなければならないと、私は思う。私はそれが、シーア氏が答えを出さなければならないものだと思う。」
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:地域

トニー・クレメント議員、引退を表明 [保守党]

 トニー・クレメント議員(無所属)は4月2日、次の総選挙に出馬せず、今期限りで政界を引退する意向を表明した。
「家族と同様、私も非常に満足している。今こそ進むべき時だ。」
 彼は厚生大臣・産業大臣・予算庁長官・北オンタリオ経済開発イニシアチブ担当大臣を歴任した保守党の重鎮だが、複数の女性にセクスティングを行い、2018年11月に幹部会を離脱していた。彼は声明で「私の私生活は、自ら招いた危機から元の軌道に戻ることになる」と述べた。
「数えきれないほどの友人たち、支援者の皆さん、スタッフの皆さん、同僚議員たち、そして最も重要なのはパリー・サウンド-マスコカ選挙区の皆さんの、過去13年間の支援に感謝したい。」
nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:地域

クレメント元産業相、セクスティングで離党 [保守党]

 厚生大臣・産業大臣・予算庁長官・北オンタリオ経済開発イニシアチブ担当大臣を歴任した保守党の重鎮トニー・クレメント議員は、SNSで複数の女性にセクスティング(猥褻な画像・動画・文書を送ること)を行った事実を認め、11月7日保守党幹部会から離脱した。彼はツイッターを頻繁に更新し、SNSのヘビー・ユーザーとして知られていた。彼は今後、無所属議員となる。

 (1) 事件発覚、除名は免れる
 彼は5日、アンドリュー・シーア党首と会談した。その席で彼は、最近「一人の合意ある女性」に猥褻な画像を送ったところ、画像を公表されたくなければ5万ユーロ(約640万円)支払えと恐喝され、警察に通報したと報告した。シーア党首は、彼が国家保安情報委員会メンバーと下院法務委員会副委員長と影の法務大臣の職務を続けるのは無理と判断し、これらの辞職を促すとともに、隠蔽は不可能とみて事態の公表に踏み切ったが、セクスティングの対象は一人だけだったという報告を受け、幹部会からの除名はしないと発表した。
 クレメント議員は6日、国家保安情報委員会メンバーと下院法務委員会副委員長と影の法務大臣を辞職し、次のように説明した。
「私は粗末な判断を下し、間違った道に進んだと認める。」
「私は、インスタグラムのあらゆる種類の画像に『いいね』を押している。私は決して、頼まれてもいない迷惑メッセージを送っていない。」
「外国人俳優たち(※原文は“actors”:複数男性名詞)がごく最近、私の無分別を恐喝に使おうとしたので、連邦警察にすぐ通報した。」

 (2) 「インスタグラムのキモ男」
 だが事態が公表されるや、複数の女性たちから、ネット上でクレメント議員につきまとわれたという報告が相次いだ。

 CBCで働いていたキム・フォックスさんは3・4年前、インスタグラムでクレメント議員にフォローされていることに気づいた。彼がその後、画像に大量の「いいね」をつけて行くので、彼はインスタグラムの使い方をわかっていないのか、たちの悪いスタッフに管理させているのか、それともロボットなのかと思ったという。その後「いいね」の数は増え続け、知人の女性たちからも同様の報告を受けるようになった。
 夫はそれはちょっと積極的すぎないかと言って、二人で画像を見たら、「いいね」がついているのは自分一人の写真ばかりで、風景やそれ以外の写真にはついていなかった。
「彼は、私にメッセージは送っていない。彼は私に、不適切な画像も送っていない。多くの知人女性が私と似たような経験をしているが、不適切な画像を送られたという話は聞いていない。」

 オンタリオ州トロント在住のクレア・マクワットさんは、ツイッターでトロント青年部の委員長を務めていると表示していた。するとクレメント議員は2014年、地方政治について語り合いたいというメッセージを送ってきた。
「彼は私のタイムラインを遡り、多くの画像に『いいね』をつけた。彼はいつも、女性または女性たちの画像に『いいね』をつけていた。」
 彼女はこのころ、tonyclementcpc名義のアカウントが「インスタグラムのキモ男」として、党の若い女性スタッフの間で広く知られていたことを知った。

 オンタリオ州ハミルトン在住のソフィ・ジェフロスさんは、こう綴っている。
「私はインスラグラムで6人をブロックしていて、トニー・クレメントはその一人だ。私たちは、若い女性のための政治集会で知り合った。彼は私のページを数年遡り、画像に『いいね』をつけ始めた。彼は年をとりすぎていて、気持ち悪いと思ったので、彼をブロックした。」

 オンタリオ州パリー・サウンド在住のある女性は、クレメント議員からのメッセージは最初は問題ないが、その後親密になると性的になると語った。
「彼は私に性的な画像や動画やメッセージを送ってきて、私につきまとった。私がいないと寂しいとか、私がどれほど素晴らしいかとかを書いて送ってきた。」
 ポート・シドニーの自宅に来てお茶を飲まないかと誘われたが、彼女は断ったという。
「私は自分が話をする唯一の女性であり、この件は秘密にしておいてほしいと彼はいつも言っていた。」
 彼女は2か月前、クレメント議員はほかの女性たちにもネット上でつきまとっていると知らされた。

 ハンドルネーム「クロニカリー・セーラ」さんは、ツイッターにこう綴っている。
「インスタグラムは、彼のデートサイトだ。彼の好みは、
カナダ人
20~26歳
ロングヘアか肩までの髪
彼は最初は友人のように装い、その後性的に変わる。妻はこのことを知っている。」

 (3) 幹部会を辞職、無所属に
 シーア党首は、記者会見で「幹部会からの除名はしない」と発表した4時間後、再度会見を行い、クレメント議員に幹部会を辞任するよう要請したと発表した。
「私は、これが唯一の事件であるという彼の言葉を信じていた。その後、多数の事件の報告があったので、彼がこれらの申し立てに対応できるよう、幹部会を辞任するよう依頼した。」
 さらに問題は一議員としてのみならず、彼が国家保安情報委員会メンバーを務めていたため、安全保障上の国家機密が漏洩したのではないかという懸念すらひき起こしている。連邦警察と枢密院は、これについても調査している。ラルフ・グッデイル公安大臣は、クレメント議員への恐喝は、彼が国家保安情報委員会メンバーだったことと関係あるとは思わないと語った。
 クレメント議員は改めて声明を発表し、被害を訴えた女性たちと妻に謝罪した。
「私は、関わった女性たちに謝罪する。そして私が知らなかったとしても、一線を越えたことで不快にさせたいかなる人々にも、謝罪する。心から申し訳なく思う。」
「人生で最も大切な人、順調なときも逆境のときもそばにいてくれた妻を、私は裏切った。彼女は素晴らしい家庭を築くため、多くの犠牲を払ってきた。私にできることは、どれほど長くかかろうとも、自分がしたことを白状して、我々の信頼関係を建て直すと約束することだけだ。」
 彼は、自分が犯した個人的過ちは下院議員としての職務には影響しないと述べたが、自分が求める基準を満たさないと認めた。
「下院議員としての任務を遂行し続ける間、このような事件が二度と起こらないことを確実にするため、私生活で必要とする援助と処置を求めることを、私は約束する。」
 彼の妻、作家で弁護士のリン・ゴールディングさんは事件を受けて、7日に声明を発表した。
「トニーが声明で言及したとおり、彼は援助を得るための行動を起こしています。私たちが家族や友人たちと過ごした幸せな生活を回復することを、望んでいます。あなたにはわかるでしょうから、この件についてこれ以上言うことはありません。」

 クレメント議員は2010年、演説で「我々にはより多くのサクセス・ストーリーが必要だ」と言おうとして「我々にはより多くのセックス・ストーリーが必要だ」と言い間違えている。
https://canadianhistor.blog.so-net.ne.jp/2010-11-23 参照)
nice!(0)  コメント(1) 
共通テーマ:地域

ベルニエ元外相、人民党を旗揚げ [保守党]

 マクシム・ベルニエ元外務大臣は9月14日に記者会見を行い、新党「カナダ人民党(英語:People's Party of Canada/仏語:Parti populaire du Canada)」の旗揚げを発表した。
「あまりにも長い間、カナダの政治は、普通の市民から乖離したオタワの政治家や官僚、利益団体、カルテル、ロビー団体、国際機関、労働組合に乗っ取られてきた。」
「今こそ政府が、カナダの人民を第一とする時である。」
 彼は新党の政策として、小さな政府、自由市場主義を支持し規制に反対、健康保険への政府助成の廃止、酪農供給管理制度の廃止、憲法の護持などを掲げた。なお党首選は実施しないという。
DnD1lHXXsAAC2l_.jpg

 レポータからの質問は、彼の移民政策に集中した。彼は保守党党首選で、新移民に「カナダの価値」調査を実施すべきだと主張したケリー・リーチ候補を批判したが、その後自由党の移民政策を「極端な多文化主義」と批判した。かつての発言とその後の発言をどう一致させるのかと問われた彼は、「新党は一歩進んで独自の政策を採る」と答えてお茶を濁した。具体的には「同性愛者は処刑されるべきだと考えるような人を移民として受け入れてはならない」「カナダに来る移民の総数を減らしたい」と述べた。
 新民主党のシン党首は、ベルニエ党首を「反移民党を創ろうとしている」と非難したが、彼は排外主義者の居場所は新党にはないと明言した。
「移民に反対する極端な人々、彼らはこの党で歓迎されない。それは明白だ。私には、この党から出馬する候補を選ぶ特権がある。そして我々は、我が党の価値を共有する人々を選ぶ。」
 先週グローブ&メイル紙に、反移民の極右団体リーダーと会談したと報じられたことについて、ベルニエ党首は事実と認めたが、彼らの組織の見解を知らなかったと語った。また党首選敗退時に、リバタリアン党とナショナリスト党から党首就任を要請されたが、断っている。
 保守党のガーマント・グリューワル元議員や「マリファナ王子」マーク・エメリー氏らは新党支援を公表しているが、ベルニエ党首のほかに同席者はなく、彼は一人で記者会見を行った。保守党議員を勧誘したかと問われると、彼は議員ではなく支持者を引きつけたいと語った。
「私は、元同僚の支援を期待していない。私は、彼らの立場を尊重する。私は、彼らに呼びかけなかった。私は、彼らに支援を求めなかった。実は私には、その時間がない。私は、助けを求める人々と話すのがとても忙しい。」

●再建党の悪夢
 ベルニエ党首は、彼の試みを「カナダ史上独特のもの」と評した。だが批評家の間では、83年前の再建党の悪夢を思い起こす人がいる。
Henry_Herbert_Stevens.jpg 世界恐慌の中、ヘンリー・ハーバート・スティーブンス貿易通商大臣は、価格特別委員会の委員長に就任した。人々はそれを「スティーブンス委員会」と呼んだ。彼は大企業による価格操作と市場操作を強く非難し、ベネット首相が考えるよりはるかに急進的な政府介入を主張した。だが首相には、財界を敵に回す政策など採れるはずもなく、スティーブンスを保守党幹部会から追放する。スティーブンスは、保守系新党「再建党(Reconstruction Party)」を結成した。
 再建党は「公共事業を行い、労働争議を仲裁し、高所得者へ増税し、天然資源開発により財政赤字を克服し、農産物を管理する委員会を設立する」と主張し、「ニューディールのカナダバージョン」と呼ばれた。それらのポピュリズム的政策は、あたかもベルニエの正反対でありパロディを見るかのようだ。ベルニエが保守党の右に行ったのに対し、スティーブンスは保守党の左に行ったのである。ベネット首相は再建党を「解体党(Deconstruction Party)、これまで政権を獲ったことのない、無謀な個人的野心から考え出された新奇な運動」と揶揄したが、実際のところ、保守票分散が自由党を利することに真剣に困惑していた。彼は手紙にこう綴っている。
「総理大臣は、どんな種類の同僚にも適応できる。だが寛容さには、限度がある。無知は許されるが、裏切りは許されない罪である。」

 1935年の総選挙は、保守党にとって惨事となった。野党自由党は得票率44.7%で、前回の45.5%と大差なかったにもかかわらず、議席を89から171に増やし、安定多数を獲得した。与党保守党は得票率29.8%ながら39議席にとどまり、前回より95議席も減らした。再建党は得票率が8.7%もあったにもかかわらず、当選者はスティーブンス党首1人にとどまった。グローブ紙は「これは選挙ではない。虐殺だ」と報じた。
 次の党首になるロバート・マニオンも落選し、「反逆は40議席を損なった」と憤慨した。自由党候補が当選したうち48選挙区で、自由党候補と保守党候補の得票差は、再建党候補の票数より少なかった。もしも保守党分裂がなければ、両党の得票率合計は38.5%に及び、自由党を過半数割れに追い込め、保守党は強力な野党たりえただろう。
 スティーブンスはその後、党首選を実施し、彼自身を当選させ、党綱領を制定した。レスブリッジ・ヘラルド紙は、こう評した。
「スティーブンス氏は彼の党を創り、その綱領を制定して、その党首を選出し、彼自身を当選させることに成功した。そして、ほかには誰もいない。」
 彼は1938年保守党に復党し、再建党は解体された。再建党は、彼を追放した保守党に復讐するという観点では大きな役割を演じたが、再建党それ自体は何の存在意義もなかった。


写真上:記者会見を行うマクシム・ベルニエ党首。
写真下:ヘンリー・ハーバート・スティーブンス。
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:地域

保守党党大会、右旋回が明確に [保守党]

 8月23日から25日までノバスコシア州ハリファックスで開催された保守党党大会は、初めてハーパー前党首以外の党首を据え、彼が長年抑えつけてきた保守的政策の復活が目立った。
 第一の問題は、カナダと何の縁もない人が市民権目的でカナダで出産する、いわゆる「出産旅行」「パスポート・ベビー」を認めず、市民権を与えないと綱領に明記することである。具体的には、以下のように明記された。
「カナダで産まれる子の両親の一方がカナダ市民ないし永住者でない限り、カナダで出生することで得られた市民権を完全に剥奪する法律を制定するよう、我々は政府に働きかける。」
 採決に先立ちアリス・ウォン下院議員(中国系)は、「パスポート・ベビー」は「我々」のリソースを奪い、カナダの母親たちを危険にすると演説した。
 ディーパク・オブレイ下院議員(タンザニア系)は、現状維持を訴えた。
「これは、平等に関する基本的な問題だ。カナダで生まれた人は、法律によりカナダ人である権利がある。我々は、誰がカナダ人になり、また誰がカナダ人にならないかを選ぶことはできない。我々は世界中で、政府が好ましくないと思う人々から市民権を剥奪するのを見た。」
 アムネスティ・インターナショナル・カナダのアレックス・ネーブ事務局長は、懐疑的見解を述べた。
「市民権法の改正を正当化する、いわゆる『出産旅行』問題にカナダが直面しているという話には、根拠がない。」
 ケベックの弁護士は、この問題は、実証されてもいない噂レベルの話について過剰に取り組むことであり、無国籍の子供たちを生むことになると警告した。
 フッセン移民大臣の広報マチュー・ジュネ氏は、決定を批判した。
「これは、カナダを我が家としていた人々の市民権を剥奪しようとする、ハーパー政権によって敷かれた道に保守党が戻るのを見る恥である。」
 彼は、カナダに入国するとき妊娠しているかどうかは調査されないと指摘した。

 第二の問題は、妊娠中絶非合法化の提案が僅差で採択されなかったことである。綱領の第65条にある、保守党政権は妊娠中絶を管理するための法律制定を支持しないという規定を削除する提案は、47%対53%で否決された。だが党内右派「キャンペーン・ライフ連合」のジャック・フォンセカ氏は、「社会保守主義には勢いがある」と語った。
「次の党大会を見るがい。我々には、第65条が最終的に削除されるという確信がある。そして我々はさらに、生命・家族・信仰そして自由に関しより多くの条項を加えるだろう。」
「我々は2019年総選挙のため、より多くの妊娠中絶反対派の保守党候補を擁立し、当選させるために活動している。」

 第三の問題は、過去の政治家に対する評価、特に初代首相マクドナルドへの批判が高まり、像を撤去する運動が過熱していることについて、シーア党首が批判的に語ったことである。
「我々が、カナダ初の首相であり、連邦結成の父であり、この国をそう実現することを可能にしたビジョンを持った人物を輩出した党であることを、誇りに思う。」
「我が国の誇るべき歴史を抹消しようとする過激な活動を許していることこそ、不名誉であると私は思う。」
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:地域

ベルニエ新党、自由党を利するだけ [保守党]

 多くのカナダ人が、保守分裂を覚えている。進歩保守党があまりにケベックを優遇し中西部をないがしろにしたという理由で、改革党が1987年に結成された。また進歩保守党がミーチレイク協定をまとめられなかったという理由で、ルシエン・ブシャールが離党し1990年ケベック連合を結成した。前者は進歩保守党の中西部の地盤を奪い、後者はケベックの地盤を奪った。換言すれば、両者は本拠地以外での議席獲得は困難だったが、特定地域で票を集中的に獲得できたため、1993年総選挙でどちらも50議席以上獲得できた。
 マクシム・ベルニエ元外務大臣が保守党を離党し、新党結成に動くというニュースは、関係者に多少の衝撃を与えた。彼は338の全選挙区に候補を立てるというが、資金や組織力はあるのだろうか。ストックウェル・デイ元国際貿易大臣は、ベルニエ氏に追随して離党する人はほとんどいないと予測したにもかかわらず、その影響力を懸念する。
「問題は、自由党政権を維持するのに半分(の離党者)は必要ではないことだ。多くの選挙区で、わずか2・3%獲ればいいだけだ。ジャスティン・トルドーは得票率約39%で、2015年総選挙で過半数を獲った。」
「保守党は、支持率も高く、基金調達も好調で、私はこの党大会が党の歴史上最も多い参加者だったと思っている。だが票を割るなら、トルドー氏の立場は強固なものになるだろう。」

 2017年党首選でベルニエ氏は巨額の資金を集め、49%もの票を獲得した。自分の地盤であるケベックからも、党の根拠地であるアルバータからも票を集め、リバタリアン的経済政策を掲げたが、レッドトーリー(保守党左派)からも票を集めた。彼は幅広い支持を集めているようだが、特定地域で集中的に支持されているわけではないので、票を分散させるリスクがある。緑の党は全国で、2004年に得票率4.3%、2006年に4.5%、2008年に6.8%、2011年に3.9%獲得したが、票の分散のため1議席も獲れなかった。
 最近の政党支持率調査では、与党自由党と保守党は拮抗しているものの、今総選挙が実施されたら自由党が過半数を獲る確率は、48%と算出されている。
 ここで仮にベルニエ新党の得票率を2%とすると、連邦議会で影響力を持つほどの議席獲得はできないが、自由党が過半数を獲る確率は65%にはね上がる。ベルニエ新党の得票率が5%なら、自由党過半数は81%である。ベルニエ新党の「保守党に与える影響力」は、壊滅的に大きい。

 スティーブン・フレッチャー元運輸大臣は、2015年の連邦議会選挙に落選し、現在はマニトバ州の州議だが、次の連邦議会選挙に立候補することを保守党に阻止された。彼は、保守党内にベルニエ氏のシンパは少なからずいると予測する。
「党員の半分は、マクシムの主義主張を支持する。そして残りの半分は、アンドリュー(シーア党首)について行く。そこで問題になるだろう。」
「アンドリューは、選挙区で私が保守党の予備選に立候補するのを妨害した。党員の意思が完全に無視される問題が、国中至るところにある。候補擁立は公開されたものでなく、密室で決められている。候補者は、党中央の要請でパラシュート降下しているのだ。」
 彼は、シーア党首は責任を取らなければならないと語った。
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:地域

保守党のベルニエ議員、新党結成へ [保守党]

 保守党は今ハリファックスで党大会を開催しているが、マクシム・ベルニエ議員(元外務大臣)は8月23日、離党して新党を結成すると発表した。
「私はこの1年、この党はあまりに堕落しており、知的にまた道徳的に改善は不可能だと悟った。」
「実際のところ、議員たちの多くが供給管理システムに反対していることを私は知っている。だが国民の利益を守るより、選挙区で票を買うことの方が重要なのだ。」
「党はその基軸となるべき保守的な原則を放棄し、票のために有権者と利益団体に膝を屈した。」
 「ケベックから来たアルバータ人」と呼ばれた彼は、酪農が盛んなケベック出身であるにもかかわらず、酪農供給管理システムの撤廃を主張する。彼はまた、自由党政権がアメリカに報復関税を課し、シーア党首がこれを支持したことを批判した。
「私は貿易戦争に反対し、カナダの消費者のために働く唯一の議員である。」
 彼は9日前にシーア党首と会談し、離党を決意したと明かした。
 彼の地元ケベック州ボース選挙区の保守党支部は、1人を除く役員全員が同日に辞任した。うち一人は彼の父で、進歩保守党議員だったジル・ベルニエ氏である。彼らは新党に移籍するという。シャルル・ラフラム支部長は「我々は、党のためというよりマキシムのためにそこにいた」と語った。

 シーア党首は、ハリファックスでインタビューに応じた。
「マクシムは今日、決断した。彼は今日、ジャスティン・トルドー氏を助けることに決めた。」
「私は常に、彼に個人的野心は脇に置いて、全ての保守派が終結できる共通項に集中するよう要求してきた。だが彼は一度も、彼が訴えている問題について、私や私のスタッフのところに言いに来なかった。」
 ハーパー前首相は、ツイッターでこう述べた。
「マックスが党首選の結果を受け容れず、保守党を分断しようとしていることは明らかだ。彼の今日の決定は、カナダ保守党が党首のもとに団結し、前進するのを助ける。」
 トッド・ドハーティ議員は、ベルニエ議員を厳しく非難した。
「あなたには、幹部会で意見を述べる機会はいくらでもあった。機会があったとき、あなたは黙っていたか、周りの人々を非難した。あなたは、ツイッターでは威勢のいいことを言う。吠えてばかりで、噛みつくことはない。恥を知れ。」

 ベルニエ議員は2017年5月、党首選で圧倒的な本命に推されていたにもかかわらず、若く閣僚経験もないシーア氏に僅差で敗れた。それは、供給管理システムの緩和ではなく即時撤廃、政府の健康保険からの撤退など、あまりに急進的な主張が敬遠され、脱落した候補たちが次善の選択としてシーア氏を支持したからにほかならない。だが彼は、その結果を受け容れられなかったようだ。彼は本を出版するつもりで、その内容の一部を2018年4月にウェブ上で公開した。そこには、供給管理システムを維持する目的で、党首選に投票するためだけに入党した「偽の保守派」に担がれてシーアが勝ったと書かれていた。カナダの政党は、入党するのに資格は問わないし、党首選前に入党者が増えるのはよくあることである。ベルニエ議員の発言は、党員と党首を侮辱するものであった。
 かなり多くの議員たちが憤り、彼の除名を訴えたが、シーア党首は彼を影の内閣から外したものの、除名はしなかった。保守党の弱いケベックで確実に勝てる貴重な人物であることと、党は多様な意見を尊重し、内部抗争していないというイメージを守りたかったからだった。

 こうして辛くも除名を免れた彼は、8月15日に新たな舌禍事件をひき起こす。
「カナダは、自由党の極端な多文化主義の下にある。我が国の創設者の像が一つの街で撤去されるとき、M-103号動議の提案者である自由党議員が出席する中、一つの公園の名がパキスタン創設者の名に最近改められた。パキスタンのインドからの独立は、100万人の死につながった。」
 なお「我が国の創設者」とはジョン・マクドナルド初代首相のことで、「M-103号動議の提案者」とはパキスタン系のイクラ・カリッド議員のこと、「パキスタン創設者」とはムハンマド・アリー・ジンナー初代総督のことで、彼の名を冠した公園はウィニペグにあるものである。
 この発言もまた、多くの人々の反発を買った。タンザニア系のディーパク・オブレイ議員は、彼の発言から距離を置いた。
「ベルニエ氏はただ、自分が言いたいことを言っただけだ。それは、彼の意見だ。」
 党首選で彼を支持したトニー・クレメント議員は、今の彼は自分がかつて支持した人とは別人だと述べた。
「マックスはいずれ、自分が天に向かって腹を立てていることに気づくだろう。」
 シーア党首はこのときも除名を拒否したが、彼の発言を冷たく突き放した。
「マクシム・ベルニエ氏は党内で公的な役職に就いてなく、いかなる問題についてもカナダ保守党の意見を代弁するものではない。個人的には、右だろうと左だろうと、国民を分断するアイデンティティ・ポリティックを使う政治家には、同意しない。私は、この種の政治に関わることはない。」
「保守党はカナダの多様性を祝福する。そして保守党政権は、この国に来ることを選ぶ世界中の人々を歓迎し続ける。我々が建設した社会なのだから。」
 ジェームズ・ベザン議員は、謝罪を要求した。
「マックスはお粗末な判断を下し続けて、議員たちと絶えず争っている。」
 ベルニエ議員が「移民を制限すべきだ」と発言したことも、移民問題担当のミシェル・レンペル議員に何の相談もなかった。前日の22日には、ついに彼女から「アンドリュー・シーアとジャスティン・トルドーの、どちらに勝ってほしいのか決めるべきだ」という最後通牒を送られた。

 ベルニエ議員の離党と新党結成は、入念に練られたものではなく、党内で多くのもめごとを起こし居場所を失ったすえのことのようだ。彼は離党しても自分の選挙区で当選はできるだろうが、「338の全選挙区に候補を立てる」と言うその候補は誰一人として擁立できていない。党のマニフェストも発表されてなく、保守党との違いを訴えることも難しい。おそらくは、経済的には自由放任主義のリバタリアンで、社会的には移民制限・伝統主義を訴えるのだろう。彼はリバタリアン党から入党するよう誘われたが、断っている。
 ベルニエ議員について印象深いのは、暴力団関係者の女性と交際し、その自宅に機密文書を置き忘れて外務大臣を辞任したことである。カナダ人の多くはまだ、彼の軽率なイメージを忘れてはいない。


※供給管理システムについては以下を参照。
https://canadianhistor.blog.so-net.ne.jp/2012-07-01
nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:地域

ケリー・リーチ元労相、引退を発表 [保守党]

 ケリー・リーチ元労働大臣は1月23日、次の総選挙に出馬せず引退すると発表した。
「政治家として過ごした時間は、本当に恩恵だった。シムコー-グレイ選挙区の有権者には、支援していただいたことを感謝し続けるだろう。」
 彼女は、議員としての残りの任期を最後まで務める意向を述べた。

 ケリー・リーチ議員は1970年マニトバ州ウィニペグに生まれ、クイーンズ大学・トロント大学・ダルハウジー大学で学び外科医となった。2011年に下院議員に初当選し、ハーパー内閣で女性の地位担当大臣と労働大臣を務めた。
 2017年には保守党党首選に立候補し、移民申請者に「カナダの価値」審査をすべきと提唱して論争を巻き起こした。6位に敗退した彼女は、シーア党首が構想した影の内閣から外された。
nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:地域

シーア新党首、ハーパー路線を継続 [保守党]

2017-05-30.jpg

 アンドリュー・シーア新党首(38歳)は、オタワで生まれたカトリック教徒である。初めオタワ大学で学び、後に妻となるジル夫人と知り合ってから中西部で暮らすようになり、レジャイナ大学でも学んだ。サスカチュワン州レジャイナ=カペル選挙区選出、当選5回。閣僚経験はなく、下院副議長と議長を務めた。
 メディアは彼を「笑顔のあるハーパー」と評した。彼は自身を、社会保守主義と定義する。だが党首選では「あらゆる保守派を歓迎する」と称し、社会保守主義のテーゼを掲げることを回避した。
 彼が党首選で掲げた政策は、財政赤字を2年で解消、炭素税廃止、犯罪厳罰化、憲法への財産権明記、言論の自由を保障しない大学への助成金カット、子供たちを私立校に通わせる親への税額控除、イスラム教から転向し死の危険のある中東のキリスト教徒の難民優先などである。
 彼の過去の言動を見れば、社会保守主義者としての特徴は明らかだ。彼は、医師の安楽死幇助を認めたC-14号法案に反対投票した。彼は妊娠中絶合法化に反対投票し、また中絶を行うヘンリー・モーゲンテイラー医師がオーダー・オブ・カナダ勲章を授与されたときも「オーダー・オブ・カナダの質を下げた」と語っている。2004年には同性婚認可に反対投票し、2006年には同性婚廃止法案に賛成投票した。
 だがそのような個人的信条にもかかわらず、彼は妊娠中絶の禁止や、同性婚廃止、安楽死幇助の禁止などの法制化を支援しないと公言している。これは、カナダ同盟と進歩保守党の2つの保守政党を合併させ新党結成したハーパー前首相が、2つの勢力の融和に心を砕いた結果としてこれらの問題を政治日程に載せないとしたことに似ているが、シーア党首がこれらの問題について投票の自由は保障すると公約したことは、これに圧力をかけたハーパー前首相と異なるところだ。シーア党首は銃所持者の権利を擁護するが、その権利を拡大はしない。彼はマリファナ合法化には賛成ではないが、「ひとたびそれが合法化されれば、それに関連する人が多く出て来る。我々は党として、非常に現実的でなければならない」と述べている。

 社会保守派は党首選に勝てなかったが、負けもしなかった。党が放棄した中絶反対を堂々と主張したブラッド・トロスト議員は、4位に入り健闘した。第1回投票で彼が獲得した8.4%と、ピエール・ルミュー議員が獲得した7.4%を合わせると、社会保守主義は16%近くを集めたことになる。
 ルミュー候補が脱落したとき、彼の票の28%がシーア候補に、わずか6%がベルニエ候補に行った。トロスト候補が脱落したときは、彼の票の57%がシーア候補に、27%がベルニエ候補に行ったことが、両者の差を詰めた。最後にオトゥール候補が脱落したとき、彼の票の59%がシーア候補のものになったが、僅差で逆転するにはそれで十分だった。
 ベルニエ候補の斬新の政策は、多くの党員と資金を集めることには成功したが、彼らはベルニエ候補に投票しなかったようだ。シーア候補の勝因は、社会保守派の支援を受けたことと、穏健な発言で党内で幅広い支持を集めたことだ。保守党は、ハーパー路線の継続を選んだのである。
 党首選が終わって間もないが、トロスト議員は早くも「新党首がゲイ・プライドのパレードに参加するなら、その資質に疑問符が付く」と牽制した。
 野党は、ベルニエ氏の当選を予測していた。彼の公約は、不可能なことばかり。外相時代に暴力団関係者だった女性と交際し、彼女の家に機密文書を置き忘れて辞任した彼は、ツッコミどころ満載で大歓迎だっただろう。だが結果は、えくぼのあるチャーミングな笑顔の若者だった。
 新民主党元スタッフのイアン・キャプスティック氏は、ツイターでこう述べた。
「10ラウンドにもなってゲイの男性を排除するなんて、2017年にそんなことができるのか?」
 自由党のパブロ・ロドリゲス議員は、こう総括した。
「結局のところ、極右の社会保守派と極右の経済保守派との戦いで、極右の社会保守派が勝ったということだ。」
 自由党のアダム・ボーン議員は、次のように批判した。
「間違えてはならない。これはこの25年間で、全ての市民権進歩に反対投票した人物である。」
「彼は、思想警察になりたがっている人物である。」

 今回党首選で採用された優先投票システムは、保守合同の際、小所帯だった進歩保守党が巨大なカナダ同盟に飲み込まれるのを阻止するため、導入が約束されていたものである。だが結果は、地域対立がなかったことを示している。ベルニエ候補はアルバータ州・マニトバ州・ケベック州で勝ったが、シーア候補はブリティッシュコロンビア州・サスカチュワン州・オンタリオ州と東部で勝った。なんと、アルバータにもケベックにも推されていない人が当選したのである。むしろ地域性よりも、政策の違いで争った党首選だった。
 本命が辞退したせいか、立候補者が多くなりすぎ、10位まで順位をつけられるにもかかわらず、知らない候補が多いため10位まで順位をつけなかった党員がいたと思われる。それでも接戦となった党首選は、13人の候補のうちの一人が過半数に達するまで、13回の投票を必要とした。つまりは、党の命運を決定的に左右した最後の方の投票には、参加していない党員が多くいた可能性がある。


図:ハーパー二世、トルドー二世に馬鹿にされる。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:地域

保守党党首にアンドリュー・シーア:“Andrew who?” [保守党]

andrewscheer.jpg

 5月27日に行われた保守党党首選で、アンドリュー・シーア前下院議長が当選した。
 「イケメン王子」トルドー首相の人気は高く、保守党は誰が党首でも勝てないと言われ、本命のジェイソン・ケニー前国防大臣やピーター・マッケイ前法務大臣らは出馬せず「中継ぎ」選びと揶揄された。小粒揃いと言われた党首選は、最終的に13人が出馬したが、マクシム・ベルニエ元外務大臣が鉄板の本命と目された。
 今回党首選は従来と異なり、一人ずつ足切りする方法ではなく、最大10人までの候補に順位をつけて投票し、まず第1回投票では1位のみの票数を数え、過半数に満たない場合は第2回投票で2位の票数を加え、過半数に達するまで行う方法だった。第12回投票ではベルニエ候補40.4%・シーア候補38.4%・エリン・オトゥール候補21.3%と、ベルニエ候補が第1回投票からトップを走り続けていたが、最終投票でシーア候補50.9%・ベルニエ候補49.1%と逆転された。

 当選したシーア新党首は、次のように述べた。
「我が党は、常に納税者を代表する。オタワのインサイダーではなく。」
「トルドー自由党は、セルフィーを撮らせることに熱中し、その政策が中流階級を傷つけ、助けなくても気にかけない。サニー・ウェイズは金にならない。」
 ベルニエ候補は、大規模な支出削減、連邦政府の健康保険からの撤退、供給管理システムの終了、CBC(カナダ放送協会)とCRTC(カナダ・ラジオテレビ通信委員会)を骨抜きにすることを主張したが、あまりに過激であった。彼は第2・第3候補の票を十分獲得できなかった。
 シーア候補は、炭素税廃止、財政赤字を2年で解消、子供を私立校に通わせている親の税額控除、言論の自由を擁護していない大学への助成金カット、憲法に財産権を明記するなどを主張したが、より穏健であった。
 党が放棄した中絶反対を主張するブラッド・トロスト議員は、14.3%を獲得して4位に入り、影響力の誇示に成功した。彼ら社会保守主義は、依然として党内に勢力を持ち続ける。
 炭素税導入を主張したマイケル・チョン元政府間関係大臣は、9.1%を獲得して5位に入り、レッド・トーリー健在を示した。
 「カナダの価値」論争をひき起こしたケリー・リーチ前労働大臣は、7.9%の6位に終わった。彼女の早々な脱落は、保守党が移民に対し開かれた党であることを示した。

 38歳で閣僚経験のないダークホースの当選を、トロント・スター紙は“Andrew who?”と報じた。同紙は1976年の進歩保守党党首選のとき、35歳で無名のジョー・クラーク氏が当選すると“Joe who?”と報じている。このフレーズは終生彼に付きまとったが、彼は39歳で総選挙に勝利し首相になっている。クラーク氏が倒した相手は、現首相の父ピエール・トルドーだった。奇跡は再び起きるだろうか。


写真:決選投票で敗れたマクシム・ベルニエ候補に右手を挙げられ、微笑むアンドリュー・シーア新党首。背後に“UNITED/UNI”(団結)の文字が見える。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:地域

アンブローズ党首が引退を表明 [保守党]

o-RONA-AMBROSE-570.jpg

 保守党のロナ・アンブローズ暫定党首は5月16日、6月に連邦議会の春のセッションが終了しだい議員を辞職し、政界から引退する意向を述べた。引退後は、ウッドロー・ウィルソン国際学術センターのカナダ研究所に勤める。保守党は5月27日、トロントで党首選を行い、正式な党首を決定する。

 ハーパー前首相(前党首)は、フェイスブックで彼女を賞賛した。
「私は首相として、彼女を政権で最も複雑かつ挑戦的なポストに就けた。重い責任にもかかわらず、彼女は暖かくチャーミングな姿勢とアルバータ・ユーモアを保持し続けた。」
「彼女は、女性の権利のための情熱的な提唱者であった。女性の地位担当大臣として、国連で10月11日を国際ガールズデイとする決議を後押しした。」
 彼女が野党党首として最初に挑んだ党首討論で、ジャスティン・トルドー首相に「首相がカナダのために行動しないとき、私が何をするのだろうと首相が思うなら、こう言うだろう。“Just watch me.”」と発言した。これは十月危機のとき父ピエール・トルドー首相が、国民の権利を制限する戒厳令を施行したとき語った有名な言葉である。

 ロナ・アンブローズはアルバータ州バレービューに生まれ、ビクトリア大学とアルバータ大学で学んだ。政界に入る前から、女性に対する暴力を撲滅する運動に従事していたが、2004年の連邦議会選挙で初当選した。新人議員だった彼女は、ケン・ドライデン社会開発大臣(※往年のホッケースター)の提唱する保育プランに反発し、「働く女性が求めているのは自ら選択する権利だ。私たちに何をすべきか指図する白人の年寄りは要らない」と言って注目を浴びた。そして保守党が2006年に政権を奪取すると、彼女はまず環境大臣、次いで枢密院議長、政府間関係大臣、労働大臣、西部経済多様化大臣、公共事業・政府業務大臣、女性の地位担当大臣、厚生大臣を歴任した。

 2015年に政権を失った保守党は、人心と資金を失い、疲れ果てていた。暫定党首に就いた彼女が取り組んだことは、党首選をフェアに進めることと、党を刷新することだった。
 先住民の女性が多数行方不明になっている問題について、ハーパー前首相は熱心に取り組もうとしなかった。だがアンブローズ党首は、ジョディ・ウィルソン=レイボールド法務大臣(※女性)に会い「できることは何でもする、これは党派を超えた問題だから」と言って協力を約束した。
 また彼女が党首でいる間に、保守党は長年訴えてきた同性婚廃止の方針を撤回した。
「性的嗜好に関係なく、保守党はすべての保守派を歓迎する。あなたが小さな政府、安い税金、均衡予算と個人の自由を支持するなら、我が党はあなたを必要とする。」
 2017年度第1四半期において、保守党は4万2500人から530万ドルの献金を受けた。これは与党自由党の、3万1812人から280万ドルより多い。
 C-337号法案は、彼女が個人提出したものである。これは、新任の裁判官に性的暴行プログラムの履修を義務づけるもので、与党自由党も最終的に賛成し、15日に下院を通過した。これはおそらく、野党党首として彼女が与党に勝利する最後になるだろう。


写真:下院で引退演説を終え、トルドー首相と抱き合うロナ・アンブローズ暫定党首。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:地域

オリアリー氏、保守党党首選から撤退 [保守党]

o-MAXIME-BERNIER-KEVIN-OLEARY-570.jpg

 実業家で人気テレビ司会者のケビン・オリアリー氏は4月26日、保守党党首選からの撤退を唐突に発表し、かわりにマクシム・ベルニエ候補を推薦した。それは、彼が献金を依頼する電子メールを送った3時間後、トロントで開催される最後の討論会の2時間前、そして投票開始の2日前のことであった。
 彼はトロントでの記者会見で、次のように述べた。
「政治的に、自由党はケベックを所有している。ケベックで保守党の支持を発展させることなく、2019年(の総選挙)にトルドーを倒すことは、大きな挑戦である。」
「方法と高い可能性がないと知りながら党首選に勝利するのは、愚かであり、利己的でさえある。ケベックで多くの議席を得る見込みは、低かった。私はケベックで人気がなく、人々もそうと知っていた。」
 そして彼は、ケベックで最も議席を獲れるのはベルニエ氏だと語った。
「連邦議会選挙で、ケベックが何度勝敗を決してきたか見るといい。それはカナダのフロリダだ。それはしばしば国の命運を決してきた。」
「トルドーは追い出さなければならない。そして、彼こそがその代わりにふさわしい人物だ。」
「我々はこの国を、経済を破壊する弱い指導者から取り戻す必要がある。」
「これは私にとって容易な決定ではなかったが、多くの熟考の末の、保守党と国家のための正しいことである。」
「私の政治的DNAと目的が、総選挙の中に残っていて欲しいと思う。私のポリシーを最も忠実に映す候補は、マキシム・ベルニエである。」

 (1) アウトサイダー
 「カナダのトランプ」と呼ばれたオリアリー候補には政治歴がなく、公共の地位に就いたことがないアウトサイダーだった。67人の議員と元議員がエリン・オトゥール候補を推薦するなか、オリアリー候補を推薦した議員は2人だけだった。
 彼はテレビの仕事のためボストンに暮らし、党首選のためカナダに来ることはあっても、引っ越すことはなかった。そして党首選に勝利した場合、カナダに引っ越すかどうかについて回答を拒否した。かつて保守党が総選挙で、自由党のマイケル・イグナティエフ党首が人生の大部分をアメリカで過ごしたことについて、モノポリーに因んで“Just Visiting”(立ち寄っただけ)とからかったことの重大さを、認識していなかった。またケベック市モスク銃撃事件の当日、彼はフロリダの射撃場に行った写真をフェイスブックに掲載し、政治家としての資質を疑問視された。
 党首選の候補者数は多く、どの候補も早い段階で単独過半数を取れそうにない状況だった。そこで当選するには、相当な数の有権者から第2希望や第3希望の票を得る必要があった。しかしオリアリーは強烈な個性ゆえ、強く支持されるいっぽうで強く嫌われたため、それは難しかった。

 (2) きのうの敵は今日の友:突然の変節
 オリアリー候補はベルニエ候補を推薦したが、本命のこの2人は、選挙戦では激しく争った。オリアリー候補はベルニエ候補を党員資格詐欺と票の買収で非難したが、ベルニエ候補はオリアリー候補を「敗者」と吐き捨てた。
「政策を訴えることで人々を味方につける代わりに、彼は党首選を続けるために泥を投げている。ケビン・オリアリーは、敗者である。私が勝者である。」
 オリアリー候補は世論調査では人気があり、党首選を勝ち抜く自信はあった。だが調査は、フランス語を話せない彼がケベック州で12%しか支持率がないことを示し、党首になっても総選挙に勝てないのではないかと心配し始めたという。
 先週末に、オリアリー陣営のマイク・コーツ氏とベルニエ陣営のコリー・テネイック氏が会談した。そして候補どうしは23日に電話で会談すると、オリアリー候補は飛行機でニューヨークからトロントに来て、ベルニエ候補と直接会って話し合った。今後について協定が成立したのは、24日午前1時ころだったという。
 ベルニエ候補は、オリアリー候補との激しい応酬について問われると、こう述べた。
「いい戦いだったが、今我々は一緒にいる。」
 いっぽうオリアリー候補は、次のように語った。
「彼は、党首選の間は批判的だったって?政治の世界へようこそ。リーダーを選ぶまで我々は内戦中であり、それが終われば水銀のように合体する。」

 (3) なぜこの時期なのか
 記者の一人は、保守党は2011年にケベックでわずか5議席だったのに過半数を獲得したと指摘して、保守党の勝利にケベックは必要ないのではないかと問いただした。だがオリアリー候補は、それはケベック連合退潮と新民主党躍進という特殊な状況下のことだと反論した。
 彼がケベックで人気がないのは、かなり以前から言われていたことである。なぜこの時期に、唐突にそれを言い出したのだろうか。
 今回党首選は、従来のように一人ずつ足切りしながら次の投票に進むやり方ではなく、最初の投票に第1候補から全ての順位を記入するやり方なので、投票は一度だけである。ゆえに生放送中のテレビで、選挙戦を辞退し他陣営に票を渡し、その人を勝たせて恩を売るという従来の手法は使えない。辞退は投票の後ではなく、前でなければならない。
 だがオリアリー候補の動向に関係なく、ベルニエ候補の勝利は明白だ。恩を売る相手は、ベルニエでなければならない。しかし世論調査は、オリアリー候補支持者の29%がベルニエ候補を第2希望とすることを示している。それはケリー・リーチ候補の23%、リサ・レイト候補の15%、アンドリュー・シーア候補の11%と比べると多いものの、支持者の71%はベルニエ候補を第2希望としていない。そこでオリアリー候補自身が、ベルニエ候補への推薦を明言する必要が生じる。
 投票用紙はすでに印刷済みで、配布もされている。単に受け付けがまだ始まっていないだけだ。オリアリー候補の名はまだ投票用紙にあり、何人かの党員はまだ彼が候補だと誤解して票を入れたり、また第2希望以下を記入しなかったりするかもしれない。
 オリアリー効果とは何だったのか。テレビの契約を更新するため、自分を宣伝しただけだったのではという疑いすらある。彼のために献金し、また陣営で活動したボランティアこそいい面の皮だろう。
 アンドリュー・シーア候補は、こう語った。
「混乱し失望している、全国のケビン・オリアリー支持者の皆さん、私の陣営に歓迎します。私は、トルドーを破るため我が党に新しい楽観的なトーンをもたらす、本物の保守派です。」
 保守党の新しい党首は、5月27日に選出される。


写真:討論するケビン・オリアリー候補(右)とマクシム・ベルニエ候補(左)。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:地域

ハーパー前首相がエイプリル・フールで保守党党首選出馬表明 [保守党]

 政界引退したスティーブン・ハーパー前首相が4月1日、保守党党首選出馬を表明した。
 彼は、現在党首選を争っている14人の候補はいずれも有能だと評したが、次のように強調した。
「しかし失礼ながら、候補たちと幹部会には明確にしておきたいことがある。パパは戻って来たと。」
 彼は、再び党首の座を狙う理由として、(カナダのトランプと呼ばれる)ケビン・オリアリー候補が保守党のこれまでの歩みを否定し、新たな道を志向していることを懸念しており、またかつて自分に仕えていた人々が今では彼を支援しているので、自分が立候補すれば彼らは再び自分を支援するようになり、オリアリー氏から離反するだろうと説明した。
 これを知ったオリアリー氏は、ツイッターで「こいつは何なんだ?」とつぶやいた。
 なお立候補届け出は、2月24日に締め切られている。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:地域