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司祭「寄宿学校は良いこともした」で辞任 [先住民]

 先住民のための寄宿学校は「良いこともした」と説教で語った司祭が、辞任した。
 トロント郊外にあるマーシフル・リディーマー聖堂のオーエン・キーナン司祭は6月20日、説教で次のように語った。
「3分の2もの国民が、我々が愛する教会を、そこで起きた悲劇のゆえに非難する。私は同じ数の人々が、それらの学校であった良いことについて感謝していると思う。だが当然ながら、そのような疑問は絶対に言及されなかったし、我々はそこで良いこともあったと言うことは許されない。」
「政府による醜悪なプロジェクトに加担したことについて教会が謝罪する前に、誰が何ゆえにカムループスに葬られたかを知る必要がある。」
「大勢の人々が、寄宿学校で非常に良い経験をした。大勢の人々が、健康的で教育的な、喜びに満ちた経験をした。」
 彼はそう言って、祈りと和解を呼びかけた。

 この発言はyoutubeにも掲示された(その後削除)が、内外から非難が殺到し、トロント大司教区は25日、キーナン司祭が辞任したと発表した。
「オンタリオ州ミシサウガにあるマーシフル・リディーマー聖堂のオーエン・キーナン司祭について、トロント大司教区のコリンズ枢機卿は、キーナン司祭の辞任を受理し、彼に無期限の休職処分を与えた。我々は、彼の最近の発言によってひき起こされた苦痛について謝罪する。」
 キーナン司祭はその後、非難に耐える教会と信徒たちを守ろうとしたと弁明した。
「カトリック教徒そして聖職者として、私は寄宿学校をいかなる意味においても容認しない。このような施設が存在したことを、私は心から遺憾に思う。私は、そこで起きた危害についてお悔やみを述べたい。もし寄宿学校の経験者に会うことがあれば、私は赦しを請うだろう。」

 寄宿学校は、主にカトリック教会によって運営された。先住民の福利と教育のためという名目で、15万人もの子供たちを郷里や家族と引き離し、彼らの言語や文化を厳しく抑圧しカトリックを強制する、事実上の同化政策だった。暴力や性的虐待が日常的に行われ、4000人以上が家族のもとに帰ることなく行方不明になったとされる。
 ブリティッシュコロンビア州カムループスの寄宿学校跡地で5月27日、215人の子供の遺体が発見された。サスカチュワン州マリーバルの寄宿学校跡地でも6月24日、751人の子供の遺体が発見された。最近では、インディアン居留地でカトリック教会が放火される事件が相次いでいる。
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「カナダ・デー」中止の動き広まる [先住民]

 ブリティッシュコロンビア州カムループスの寄宿学校跡地で215人の子供の遺体が、サスカチュワン州マリーバルの寄宿学校跡地で751人の子供の遺体が発見されたことは、「寛容な国」で密かに行われた恐るべき暗部を明るみにした。
 カナダ建国を祝う7月1日の「カナダ・デー」が近づいている。首都オタワをはじめ各地で、メープルリーフの国旗が翻り、花火が打ち上げられるのが通例だが、今年はいくつかの先住民団体、市民団体、自治体でカナダ・デーの中止やボイコットを求める動きが広がり、ツイッターでも#CancelCanadaDayのハッシュタグがトレンドになっている。
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 先住民の権利を訴える団体「Idle No More」は、7月1日にバンクーバーとオンタリオのいくつかの都市で抗議運動を予定している。フェイスブックの団体のページには、こう書かれている。
「カムループス寄宿学校における最近の発見は、カナダが先住民の抹殺と大量虐殺の上に築かれた国のままだったと、我々に思い出させた。カナダの暴力の歴史が讃美される間、我々は座して見過ごすことはできない。」
 また「我々の奪われ殺された子供たちのための#HaltTransCanada」というページは、数百年に及ぶ占領と植民地化と抵抗を記念してトランス・カナダ・ハイウェイを1時間封鎖する運動に参加するよう呼びかけている。
 アルバータ州セントアルバート市は、花火打ち上げが寄宿学校跡地で予定されていたため、打ち上げ中止を決めた。またブリティッシュコロンビア州ビクトリアの市議会は、カナダ・デーの催しの中止を満場一致で可決した。同州ペンティクトンのジョン・バシラキ市長は、カナダ・デーの催しを中止することで「カムループスで起きたことへの敬意と和解の意を示したい」と語った。

 マーク・ミラー先住民サービス大臣は6月23日、カナダ・デーには複雑な思いがあると語った。
「カナダは世界で最も偉大な国々の一つであるが、ここで暮らす多くの人々にとって、今それは共有される現実ではない。」
 彼は、自身がケベック選出議員であるという事情から、カナダ・デーには多くの論争があり、普遍的に祝われているわけではないと指摘した。
(筆者注※カナダ・デーとはイギリス議会で、自治領政府と自治領憲法が有効化された日。ケベックは6月24日を「建国記念日」と制定している。カナダは中国人の移民を阻止するため、1885年7月1日中国人にだけ人頭税を課した。ハーパー首相が2006年に謝罪するまで、中国系住民はカナダ・デーを祝わなかった。)
「それは我々が熟考し、我々がどのような国であったか顧みる機会である。」
「連れ去られ、寄宿学校へと連行された子供たちを記念する旗は、まだ半旗として掲げられたままだ。その傷は、まだ塞がれていない。」
 キャロリン・ベネット政府=先住民関係大臣は、9月30日に寄宿学校を記念する最初の祝日を迎えるにあたり、この夏は人々がこの国の人種差別を克服するときであり、カナダ・デーはカナダの醜悪な過去について考えるときだと語った。
「カナダ・デーでは、私はオレンジ色のシャツを着ています。」

 保守党のエリン・オトゥール党首は23日、国の成果を広めるより、むしろ国を貶めることに躍起になる「極左活動家」を非難した。
「過去または現在における不正が、カナダを攻撃する少数の活動家たちにしばしば利用されることを私は懸念する。」
 彼は、カナダの歴史が不正と誤りに満ちていることは、「世界で最も偉大な国に住んでいることへの感謝」を捧げる日である建国記念日のセレモニーの中止を正当化しないと語った。
「ある人々がカナダ・デーを中止したいと言うとき、私は黙っていることができない。私はカナダ人であることを誇りに思う。そして大多数の人々は、私と同じ考えだと思う。」
「我々は、完璧な国ではない。どの国もそうではない。歴史の精密な調査に耐えられる国は、この惑星にはない。だが我々が至らないことを認めるのと、国を常に破壊しようとすることとは違う。」
 彼は、7月1日は国民がカナダに「献身」し、我が国が直面する不平等に取り組む日でなければならないという。
「それは、カナダを再構築するときである。」


図:6月は日本では梅雨だが、カナダでは晴天が続き1年で最も良い時期だと考えられている。
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カナディアンズがNHL決勝進出 [スポーツ]

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 北米プロアイスホッケーNHLのプレーオフは6月24日、モントリオールのベルセンターで準決勝が行われ、モントリオール・カナディアンズ(仏語でモンレアル・カナディエン)がラスベガス・ゴールデンナイツを延長の末3対2で破り、4勝2敗でスタンレー・カップ決勝に進んだ。カナダのチームは、1993年のカナディアンズを最後に28年間優勝がない。決勝では、昨季王者のタンパベイ・ライトニングとニューヨーク・アイランダーズの勝者と対戦する。
 その日は、聖ヨハネの日(ケベックの事実上の独立記念日)の祝日だった。試合が終わると、カナディアンズのオーナーであるジオフ・モルソン氏は、安全のため屋内に留まるよう要請した。バレリー・プラント市長も、市民に平静を呼びかけた。モントリオールの商店は、窓を割られるのを阻止するため、店の周囲をバリケードで囲った。それでも深夜、暴徒たちは街を破壊し、物を投げ、パトカーを横転させた。警察は催涙弾を発射した。
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 カナディアンズは2008年にも地区優勝し、リーグ決勝に進んだが、ボストン・ブルーインズに敗れた。このときも、ダウンタウンで暴徒が発生している。
 カナダのチームが決勝に進むのは、2011年のバンクーバー・カナックス以来10年ぶりだ。カナックスは敗れ、バンクーバーでは激しい暴動が発生した。
https://canadianhistor.blog.ss-blog.jp/2011-06-18 参照)


写真上:アルチュリ・レコネン選手(62番)が決勝のゴールを決める。
写真下:警察が群衆に催涙弾を発射。
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ポール党首、不信任を免れる [緑の党]

 カナダ緑の党は6月15日、緊急理事会を招集した。反主流派はこの席で、アナミー・ポール党首への不信任動議を提出すると見られていたが、提出されず、ポール党首は当面留任することになった。
 だが反主流派は「ポール党首は公的にザッツマン氏を非難すること」「ポール党首は党議員たちを『明確に支援』すること」「これに応じなければ、7月20日に不信任投票する」という動議を提出し、採択された。
 これを受けて、ノア・ザッツマン元相談役は翌日、ジェニカ・アトウィン議員に謝罪した。
「カナダ社会に反ユダヤ主義の居場所はないと知らしめたことで、ジェニカ・アトウィン議員は賞賛されるだろう。5月11日の問題発言について、謝罪する。」(筆者注※アトウィン議員がイスラエルを非難し、非難しなかったユダヤ系のポール党首を批判したことを、彼は反ユダヤ主義と批判した)
 ポール党首は、動議の要請に応じるかどうかについて回答せず、今回の動きを「人種差別・性差別」と批判した。またアトウィン議員を引き抜いた自由党のトルドー首相を「あなたは盟友ではない」「あなたはフェミニストではない」と非難した。
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緑の党のアトウィン議員、自由党に移籍 [緑の党]

 緑の党のジェニカ・アトウィン議員は6月10日、ドミニク・ルブラン政府間関係大臣と共同記者会見を行い、自由党に移籍したと発表した。これにより下院勢力は、自由党155、保守党119、ケベック連合32、新民主党24、緑の党2、無所属5、欠員1(定数338議席)となった。
 緑の党は、前回総選挙で初めて複数議席を獲得した。特にアトウィン議員は、ブリティッシュコロンビア以外で唯一の議員であり、同党が東部に築いた拠点でもあった。
 アトウィン議員は記者会見で、気が散るような問題が党内であまりにも多く、自分と有権者が真に求める問題に専念できる状況にないと語った。
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 イスラエルは5月10日、パレスチナ自治区のガザを空爆し、東エルサレムからパレスチナ人を追放した。アナミー・ポール党首は、イスラエルとパレスチナ双方に対話を呼びかけ、軍事行動の激化を憂慮する発言を行った。だがアトウィン議員は、党首の発言を「全く不十分」だと一蹴した。アトウィン議員は11日、ツイッターに「私はパレスチナとともにあり、ありえない空爆を非難する。アパルトヘイトはやめろ!」と綴った。緑の党のポール・マンリー議員も同日、ツイッターで「東エルサレムからの追放は、民族浄化だ」と語った。
 するとポール党首の相談役ノア・ザッツマン氏は14日、「緑の党の議員たち(筆者注※緑の党の議員はアトウィン氏、マンリー氏、メイ前党首の3人)の中には、反ユダヤ主義や人種差別がある」「緑の党はお前たちを倒し、アンティファ・親LGBT・先住民独立派・シオニストを引き入れる!!!!!(筆者注※感嘆符が5つ)」とフェイスブックに投稿した。
 緑の党には、ザッツマン相談役を解任しろと要求する手紙と電子メールが殺到した。そして緑の党ケベック支部は6月5日、「ザッツマン氏が謝罪せずその地位に留まるかぎり、ポール党首に全面的に協力するのは難しい」「党首によるここ3週間の沈黙と怠慢は、全国の党員と支持者に衝撃を与え、党を指揮する能力に疑問を抱かせた」という声明を発表するに至った。緑の党は9日、ザッツマン氏を解任した。

 緑の党は、政策的には新民主党に非常に近いとされる。だが新民主党は東部で支持が弱く、彼女のニューブランズウィック州フレデリクトン選挙区では前回、得票率わずか5.96%に終わっており、彼女の自由党移籍は選挙を意識したものと思われる。ニューブランズウィック緑の党のデビッド・クーン党首は「アトウィン議員は、ポール党首に見捨てられたと感じたのだろう」「彼女は、自由党には自分の信条の居場所がないと気づくだろう」と語った。
 アトウィン議員は記者会見で、今後も地球温暖化への積極的な戦いを続け、水圧破砕やパイプライン延伸にも反対し続けると述べた。なお自由党政権は、パイプライン延伸を推進している。
「私は、意見を変えていない。」
「私は、私のままである。」
 彼女はさらに、移籍と引きかえに閣僚ポストもほかの何も提供されていないとつけ加えた。
 彼女はこれまで野党議員として、与党自由党を批判してきた。トルドー首相が公約した選挙制度改革を断念したとき、「有権者への裏切り」「有権者は我々こそが真の進歩勢力であると見直すだろう」と批判した。また裁判所が未譲渡の土地の差し止め命令を下したことで「先住民との和解は意味を失った」と酷評した。
 ルブラン大臣は、自由党は異なる意見も受け容れると明言した。
「自由党幹部会には、異なる意見のための巨大な部屋がある。」
「我々幹部会の議論は、それほど豊かなのだ。」

 緑の党のマンリー議員とメイ前党首は、共同声明を発表した。
「残念なことに、党首相談役による5月14日のアトウィン氏への攻撃が、この危機を導いた。」
 彼らはさらに「カナダ緑の党を去る意図はない」とつけ加えた。
 ポール党首は、有権者は緑の党の候補に投票したのだから補選を行うべきであり、またアトウィン議員はかなり前から自由党と交渉していたので、中東問題は原因ではないと思うと語った。


写真:東部初の下院議員に当選したジェニカ・アトウィン候補(中央)。右はエリザベス・メイ党首(当時)、左はポール・マンリー議員(2019年10月)。
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