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危機は支持率を上げる。だがいつまで? [新型コロナ]

 危機は往々にして、政権の支持率を上げる。レジェ・マーケティング社による最近の世論調査によると、トルドー内閣支持率は76%で、3月末から11ポイント増加した。政党支持率では、与党自由党は39%で、保守党に11ポイント差をつけており、差は3月から9ポイント広がった。
 ナノス・リサーチ社による「誰が首相にふさわしいか」という調査では、トルドー首相38%に対し、保守党のアンドリュー・シーア党首は17%だった。コロナウィルスが蔓延する前の3月上旬には13ポイント差だったのが、今は21ポイント差に広がっている。

 外出自粛を要請されている中で、総選挙を実施することは考えにくいが、韓国で今月実施されたケースは、危機と好都合な選挙日程が与党にどう作用するかを考える好例となろう。有権者は政府のコロナ対策に満足したらしく、結果は与党が5分の3の議席を獲得する圧勝で、1987年に民主的な総選挙が実施されて以来最大の勝利となった。

 だが危機が去ったあと、支持率が急落した例もある。イギリスのウィンストン・チャーチル首相は、ドイツがオランダ・ベルギーに侵攻した1940年に首相に就任し、ドイツ降伏を見届けたが、1945年7月の総選挙で敗北した。
 アメリカのリチャード・ニクソン大統領の支持率は、ベトナム戦争撤退を発表した1973年3月には69%だったが、1年後にウォーターゲート事件で弾劾訴追されたときは30%以下になっていた。
 ジョージ・H・W・ブッシュ大統領が湾岸戦争に勝利した1991年3月には、支持率が86%もあったが、景気後退は支持率を同年末に50%以下にした。翌年の大統領選時には40%以下にまで落ち込み、ビル・クリントン候補に敗れた。
 ジョージ・W・ブッシュ大統領の支持率は、2000年の就任時では平凡なものだったが、翌年9月の同時多発テロの後、88%にまで上昇した。これは、世論調査が始まって以来最高の数字となっている。彼への同情はその後少しずつ凋落して行き、2004年初めには50%を下回ったが、それ以下に落ちることはなく、同年11月に再選された。2期目の2007年5月には、支持率が最低の28%にまで落ち込んだ。
 1998年1月に着氷性暴風雨がケベックを襲い、5週間停電したとき、与党ケベック党は支持率49%で、最大野党自由党に8ポイント差をつけた。だが同年11月の総選挙では、ケベック党は過半数を獲得できたものの、得票率では自由党をわずかに下回った。
 1970年の十月危機で、ピエール・トルドー首相は戦争措置法に基づく戒厳令を施行して批判された。だが12月の世論調査では、与党自由党の支持率は59%で、最大野党進歩保守党に37ポイントも差をつけた。1968年総選挙での得票率は、自由党45.4%に対し進歩保守党31.4%で、14ポイント差しかなかった。だが支持率はその後じりじりと低下し、1972年初めには進歩保守党を下回った。同年10月の総選挙では、トルドー首相は過半数を失い、野党転落寸前となった。定数264のうち109議席しか獲れず、進歩保守党は107議席とわずか2議席差で、新民主党の協力でかろうじて政権を運営した。

 トルドーがもしも1972年総選挙で敗れていたら、1期で退任していたら、その後の1982憲法制定もなかったことになる。そうなると彼の息子ジャスティン・トルドーは、今のカナダを率いてはいないだろう。現在のところ世論は、未曾有の国難の中彼はがんばっていると評価しているようだが、それが今後ずっと続くという保障はない。
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