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得票率で負けた自由党、議席では大差で勝つ [2019年下院選]

 ジャスティン・トルドー首相率いる自由党は、投票率では保守党に劣ったが、議席数では勝利した。このような逆転現象は、1979年以来40年ぶりである。このときは首相の父ピエール・トルドー首相が、得票率40.1%でクラーク党首率いる進歩保守党の35.9%を上回ったにもかかわらず、114議席で進歩保守党の136議席に敗れた。
 その前の例は1957年総選挙で、ディーフェンベーカー党首率いる進歩保守党が、得票率38.5%でサン=ローラン首相率いる自由党の40.5%を下回ったにもかかわらず、112議席で105議席の自由党に勝利した。さらにその前の例は1926年総選挙で、キング党首率いる自由党が、得票率42.9%でミーエン首相率いる保守党の45.4%を下回ったにもかかわらず、116議席で91議席の保守党に勝利した。
 このような逆転現象はそれ自体が稀だが、得票率で劣る方が36議席もの大差をつけたという点においても、稀少な例と言える。このような現象は、なぜ起きたのだろうか。

 自由党議員の4分の3は、多くの議席を持つオンタリオとケベックの中部2州選出である。そしてアルバータとサスカチュワンからは、議員が一人もいない。
 この状況もまた、父ピエール・トルドー首相が経験した1980年総選挙に酷似している。サスカチュワン以西の議員がいない自由党は、国家エネルギー計画で地下資源に課税し、産油地帯である中西部の怒りを買っても、失う議席は一つもなかったのだ。同様に息子ジャスティン・トルドー首相もまた、炭素税を課税しても失う議席はないことになる。
 得票率はまだ正確な数字は確定していないが、自由党はケベックでは2015年の35.7%から約34%に、1ポイント程度の低下で済んだ。議席は40から35へ、5議席減らしただけである。
 オンタリオでは44.8%から約41%に、3ポイントほど低下したものの、保守党には十分な差をつけており、議席は1議席減らしただけだ。決定的だったのは、莫大な議席を持つトロントとその近郊だった。自由党はトロント市の25議席で全勝、主戦場とされたトロント郊外も、29議席中24議席を獲得して圧勝した。

 自由党は2015年総選挙で、アルバータに11年ぶりの議席を獲得したが、今回4つの全てを失った。サスカチュワンの唯一の議席と、ウィニペグ周辺の2議席も失った。それでアマルジート・ソーヒ天然資源大臣と、長老ラルフ・グッデイル公安・非常時対応準備大臣の二人の中西部選出の閣僚が落選した。
 保守党は中西部で圧倒的な強さを示し、サスカチュワンで全勝、アルバータでは一つを除き全勝した。アルバータの保守党候補は、ほとんどが得票率70%以上である。
 だがそれらの票は、保守党の議席を「増加」させなかった。2015年総選挙で、サスカチュワンでは1つを除き全勝、アルバータでは4つを除き全勝していたからである。
 激戦地のトロント郊外で、保守党は自由党に小差で競り負け、大量の死票を出したのに対し、自由党は中西部で保守党に大差で敗れ、わずかな死票しか出さなかったのだ。

 新民主党と緑の党の予想外の低調も、自由党勝利に貢献した。両党は伝統的に、世論調査よりも実際の得票率が少ないことで知られる。保守党政権を危惧する両党の支持者が、それを阻止するため自由党に「戦略的投票」をするからだと考えられている。
 緑の党は、解散時には支持率が2桁あったが、シン党首に近親憎悪ともいえる舌戦をふっかけられ、得票率6.5%に終わった。州議会で躍進したニューブランズウィックとプリンスエドワード島、そして根拠地のバンクーバー島で躍進することを夢見たが、幻に終わった。
 新民主党は、投票日直前の世論調査では、支持率18から19%の間だったが、実際の得票率は15.9%に終わった。
 自由党の最大の懸念は、第一にトロント郊外での保守党の躍進、第二にトロントダウンタウンにおける新民主党躍進であったが、実際にはどちらも起こらなかった。新民主党候補はトロント-ダンフォース選挙区で14ポイント、パークデイル-ハイパーク選挙区で16ポイント、自由党候補を下回った。スパダイナ-フォート・ヨーク選挙区で自由党が勝てば自由党政権、自由党が負ければ保守党政権というジンクスは、今回も的中した。

 自由党は今回総選挙で、カナダのあらゆる地域で議席を失った。それは彼らから、過半数の安定政権を奪った。だがそれは、彼らを権力から引きずり降ろすには十分ではなかった。
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