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ロビン・ペリー、聖火ランナーを務める [スポーツ]

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 1988年カルガリー・オリンピック開会式で、往年のオリンピック選手ケン・リードとキャシー・プリーストナーが聖火を掲げてマクマホン・スタジアムに入ってきたとき、誰もがこの二人が最終ランナーだと思った。だが聖火は聖火台の直前で、思わぬ人物に手渡される。将来を嘱望されたフィギュアスケーター、ロビン・ペリー(12歳)だった。彼女はケン・リードから聖火を渡されたときの言葉を、今も鮮明に覚えている。
「楽しんでおいで。さあ、行くんだ。」
 それは、過去の栄光から続く未来を象徴する人選だった。ジュニア大会で銀メダルを獲得した彼女は、全世界にアナウンスされた「未来のオリンピアン」という言葉を、疑いもしなかった。会場にいる全員が彼女を見つめていたが、彼女は人々の視線を感じることはなかった。最終ランナーは極秘情報で、人に見られてはいけないという理由でリハーサルも許されず、彼女はただ口頭で指示された手順を誤りなくこなすことしか考えられなかった。つま先立ちで聖火をともした12歳の少女が、自分のしたことの意味を理解するようになるのは、もう少し後のことである。
 フィギュアスケートは、体が小さい方が高く跳べるため有利になる。小さくて愛らしい彼女は、事実上のマスコットとして、世界のアスリートや王族たちと面会した。オリンピック期間中、彼女の睡眠時間は二・三時間しかなかった。あまりにも多くのできごとがあったため、彼女はそのほとんどを覚えていない。最も印象に残っているのは、ベン・ジョンソン(カナダの陸上選手。1988年ソウル・オリンピックで1位になったが、ドーピングで失格)とともに走ったことだった。
 彼女が楽しめたのは、ここまでだった。彼女は憧れのスターたちの、ダークな一面を目の当たりにした。その後彼女は、あらゆる場所で見知らぬ人に待ち伏せされるようになる。自宅には取材を求める多くの電話と、その何十倍もの嫌がらせ電話がかかって来るようになった。
 1994年に開催されるリレハンメル・オリンピックのための代表選考会に敗れ、彼女はひっそりとスケートから引退した。それは彼女が、自分に期待された役割を果たせなかった人物として、残りの生涯を生きるのだと自分に言い聞かせた瞬間だった。
「スケート選手であることは、私にとっては膨大な情熱と、両親にとっては膨大な費用が必要になります。」
「私はただの十代の少女になりたかった。その決断を後悔したことはありません。」

 人々の記憶の中では、ロビン・ペリーは今も12歳の少女のままである。だが今の彼女は、ホーム・ヘルスケア・サービスを運営する42歳のロビン・エインズワースである。彼女は自分が生まれ育ったカルガリーに、今も暮らしている。昔からの友人たちは、今でも聖火をネタに彼女をからかうという。
 スケーターとしての競技生活、そして世界の注目を浴びたオリンピック開会式。どれも一言では説明できない、彼女の人生の重大な経験だった。あれから30年、平昌オリンピックで聖火ランナーを務めてほしいという依頼を、彼女は快諾した。自分にはまだ、期待された役割があるのだと信じて。
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動画:https://www.youtube.com/watch?v=dbW7C0wmKTw
写真上:微笑みながら聖火台を駆け上がるロビン・ペリー。
写真下:カルガリーのオリンピック・スタジアムに聖火をともすロビン・エインズワース。
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