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ベチューン記念館にビジターセンターがオープン [オンタリオ]

 7月11日、オンタリオ州グレーブンハーストのノーマン・ベチューン記念館(生家)の隣に、新しいビジターセンターが併設された。このための資金援助は、2009年にハーパー首相が中国を訪問した際に決められたことで、ハーパー政権によるアジア市場進出策の一環である。だが、「共産主義者を讃美する施設」に250万ドルもの資金を援助した理由について、与党保守党の歯切れは悪い。
 グレーブンハーストのあるパリー・サウンド=ムスコカ選挙区選出のトニー・クレメント予算庁長官は、次のように語った。
「ベチューンにまつわる様々な議論は、人々が異なる視点から異なる見解を抱くということを示すものだ」
「彼が単なる共産主義者であるということを超えて、彼のヒューマニズムと改革精神に至るメッセージをこの地から発信できることを、我々保守党はうれしく思う」
「私は、共産主義を宣伝するためにここにいるわけではない」

 ベチューン(白求恩)の存在は、昔も今の論争の種である。カナダ人がまだこの中国の殉教者を知らなかった文革時代、おびただしい数の中国人が彼の生家を訪れた。当時そこはユナイテッド教会の牧師館で、ジョン・ヒューストン牧師一家が暮らしていた。ベチューンの生誕地は彼の息子の部屋になっており、ヒューストン師は訪ねてくる中国人たちを、快く子供部屋に案内した。
 やがてヒューストン師は、連邦政府にこの家の買収を持ちかける。そしてカナダ労働者会議は、ベチューンを重要カナダ人に認定するよう陳情した。だが当時は冷戦真っ只中であり、政府はいずれも拒否した。またある高校を「ノーマン・ベチューン高校」に改称する案が出されると、何名かの教師は「アカの名のついた学校に勤めるつもりはない」と強い拒否反応を示した。このような対応を見てヒューストン師は、訪問者を牧師館に入れないことにした。中国大使は、これに遺憾の意を表明した。
 結局カナダ政府は、中国との貿易を重視する立場から、中国の国民感情に配慮して、ベチューンを重要カナダ人に認定し、生家を買い取ってノーマン・ベチューン記念館とした。現在この地には、毎年1万5000人もの中国人・中国系カナダ人が訪れる。

 ロドリック・スチュワートが2011年9月に出版した“Phoenix: The Life of Norman Bethune”(不死鳥:ノーマン・ベチューンの生涯)は、彼の波乱の生涯には数多くのトラブルがあったことを白日の下に晒した。スチュワートは、ベチューンが境界性人格障害だったと推測している。
 彼は教師時代、反抗的な生徒3・4人を校庭に呼び出し、力づくで屈服させた。彼の英雄伝説を形成するエピソードの一つであるスペイン市民戦争では、彼の酒癖の悪さと対人関係トラブルのため、北米のコミュニスト・グループによってカナダに帰国させられた。彼が移動血液銀行の考案者だという主張は、共産主義者のプロパガンダである可能性がある。
 中国においても彼は、医療水準の低い中国の医師や医学生を酷使した。彼はゴム手袋なしで手術を敢行し、指を切ったのが原因で敗血症に罹り死亡したが、抗生物質を入手できれば死ぬことはなかった。医薬品が欠乏したのは、彼を財政的に支援する北米のコミュニスト・グループが、物資の供給を差し止めたからだとスチュワートは指摘している。

 中国のリ・ファン総領事は、スチュワートの著書についてこう述べた。
「それは問題ではない。我々が問題にしているのは、ベチューンが中国と中国人のために何をしてくれたかということだけだ。」
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