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ウィリアムズNL州首相が辞任 [ニューファンドランド]

 11月25日、ニューファンドランド&ラブラドル州のダニー・ウィリアムズ首相が、12月3日をもって首相を辞任し政界から引退すると発表した。
 彼が引退を決意したのは、18日にチャーチル川の水力発電プロジェクト合意を見たことで、ちょうどいい潮時だと判断したのが理由だという。このプロジェクトにより、ラブラドルのチャーチル川にあるマスクラット滝で発電された電力は、ニューファンドランド&ラブラドル州がその40%を獲得する。電力はその後海底を通ってニューファンドランド島を経由し、20%がノバスコシアに送られ、残りの40%はカナダ東部州やアメリカ北東部州に送られることになる。
 ニューファンドランド&ラブラドル州は、カナダで唯一戦後に加入した州である。長い間イギリスの植民地であり、カナダの中央から遠く離れた島である同州は、独特の歴史と独特の訛りを持っているとともに、カナダで最も貧しい州の一つでもある。ウィリアムズ首相は、いつまでも国に援助される存在である州のあり方に疑問を抱き、ニューフィーズとしての誇りを持つことができるようにしたいと考えたことが、政界入りした理由だという。

 彼はメモリアル大学で政治と経済学を学び、オックスフォード大学とダルハウジー大学で法律を修め、弁護士となった。その後はケーブルテレビ「ケーブル・アトランティック」を開業し、これを2000年に2億3200万ドルで売却して「億万ドルのダニー」の異名を取った。
 この資金で政界に進出し2001年、ニューファンドランド&ラブラドル進歩保守党の党首に就任。2003年州議会選挙で圧勝し、首相の座に就いた。
 ウィリアムズ首相はまた、ケンカ野郎として名を馳せた。2004年には、石油資源による収入は地方交付金に計上しないという大西洋協定をめぐって連邦のマーチン首相と争い、州政府ビルからカナダの国旗を撤去させた。
 2006年には、プリンスエドワード島で開催されたポール・マッカートニーのライブに登場し、マッカートニー夫妻とアザラシ猟をめぐる公開討論に応じた。
 2007年には、大西洋協定違反を理由に連邦保守党を告訴した。さらに2008年下院選挙では、ニューファンドランド&ラブラドル進歩保守党は本来なら連邦保守党を支援するところを、有名な「ABCキャンペーン」(Anything But Conservative〔保守党以外誰でも〕)を行い、州内の保守党候補全員を落選させ、保守党過半数の野望を挫いた。
 2008年にはニューファンドランド&ラブラドル州は、史上初めて「持たざる州」としての地位を放棄し、平衡交付金の受け取りを拒否した。
 2010年、ウィリアムズ首相は心臓手術を州内の病院ではなくフロリダで受けたことで、カナダの医療を信用していないと非難されたが「私の心臓、私の選択」と抗弁した。

 ウィリアムズ政権下においてニューファンドランド&ラブラドル州は、石油資源で潤い、持たざる貧しい州から持てる豊かな州へと変貌した。ニューフィーズであることを誇りに思えるようになりたい、ウィリアムズ首相はそんな気持ちを「民族としての誇り」と呼んだ。彼は引退を表明するにあたり、こう述べた。
「ニューファンドランドとラブラドルの人々へ。あなたたちは、あなたたち自身の運命の主人でありたかった。我々が何のために戦ってきたか、わかっているはずだ。」
「我々は今や『持てる州』となった。カナダ人は、我々を対等の人々として見るだろう。」

 新しい党首が選出されるまで、キャシー・ダンダーデイル副首相が暫定党首と首相に就任する。彼女は州で最初の女性首相となる。また州議会に議席を持つ三大政党は、いずれも女性が党首となる。
 党首選には彼女のほか、ジェローム・ケネディ厚生大臣、ロヨラ・サリバン元財務大臣、トム・ライドアウト元首相、トレバー・テイラー元運輸大臣が立候補するものとみられている。


【参照】 ウィリアムズNL首相、“ABC”を政党登録
http://blog.so-net.ne.jp/canadian_history/2008-09-18
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