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保守党少数政権再び [2008年下院選]

221150910月14日に行われた第40回カナダ総選挙の結果は以下の通り。 ( )は解散時勢力。
定数     308(308)
保守党    143(127)
自由党    76(95)
ケベック連合 50(48)
新民主党   37(30)
緑の党    0(1)
無所属    2(3)
欠員      (4)

 ケベック連合(Bloc Québécois)が保守党過半数を阻止(block)した。過半数獲得のため解散に打って出たハーパー首相の標的は、保守党が歴史的に苦手としてきたケベック州だった。解散直後の風向きは良く、首相はケベックでの議席倍増を目論んだ。だがケベック連合は、ハーパー政権の芸術助成削減と少年犯罪厳罰化について執拗な攻撃を加え、ケベックでの支持率を40%の大台に乗せ50議席を獲得した。いっぽう保守党は選挙終盤に金融危機にみまわれ、ケベックでの支持率は20%台を割り込み、前回と同じ10議席にとどまり、モントリオールでは1議席も取れず過半数の夢は潰えた。

 この4年間で実に3度の選挙があったが、いずれも少数政権を生んだ。下院議席の4分の1を占めるケベック州において、ケベック連合が40議席以上を占める限り、何度選挙をやっても過半数獲得は困難なのではなかろうか。

 ハーパー首相は8月、野党3党首を首相官邸に呼びつけ、きたる連邦議会において与党への協力を要請した。彼は初めから無理難題を言い、野党に拒否させたうえで「議会はもはや生産的ではなくなった」と称し、解散の口実としたのである。それはなぜか。4年ごとの10月に総選挙を実施する「選挙日固定法」を首相は昨年成立させており、次の選挙は2009年10月のはずだったが、その公約を反故にしてまで解散・総選挙を実施するには大義名分が必要だったからである。

 カナダは歴史的に、3つか4つの政党で運営されてきた。議会での首班指名選挙がなく、連立の習慣もないカナダでは、しばしば少数政権が誕生した。だがピアソン首相は、1963年と65年に2度の少数政権を率いたが、それらはカナダの歴史上最も生産的な政権の一つでもあった。すなわち彼は、少数政権でありながら国民皆保険制度「メディケア」、年金制度「カナダ・ペンション」、そしてメープルリーフの新しい国旗という、今日のカナダを形作る重要な案件を成立させたのである。少数政権は、必ずしも非生産的ではない。消費税減税、犯罪取締法、選挙日固定法を成立させたのはハーパー首相自身ではなかったか。

 リステリア症危機のさなかに議会を解散し、選挙期間中に金融危機にみまわれながら議会を召集できなかったハーパー首相の望みは、過半数だけだった。だが問題山積するなか、あえて解散・総選挙に打って出たものの、目標の過半数は達成できなかった。首相は引き続き、野党と協調しての政権運営を強いられることに変わりはない。300万ドルもの巨額の費用を費やして、いったい何のための選挙だったのか。
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