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福田首相、辞意を表明-民意なき政権交代 [日本]

2077647 福田首相が、就任して1年ともたずに辞意を表明した。安倍前首相に続き、内閣改造して1か月で政権を投げ出す異常事態である。後継者についても取り沙汰されているが、党員による総裁(予備)選と国民の総選挙を経ずに総理総裁を決めるのは、カナダでは全く考えられないことである。

 1891年4月に始まった第7回連邦議会は、総選挙に勝利した保守党のマクドナルド首相が6月に死亡し、アボット首相に代わったが彼は高齢で、病気を理由に1年で辞任、次のトンプソン首相も2年で急死(毒殺説あり)し、次のボーウェル首相は議会で火だるまとなり、1896年4月ヤケクソ解散を行い、同日辞任した。次のタッパー首相は下院を欠いた状態で首相に就任し、次の総選挙で敗北したため、連邦議会を経験しない首相となった。かくして保守党は総選挙の審判を経ることなく、1つの議会の会期で実に5人もの総理総裁をすげ替えたのである。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?page=1&comm_id=1611536&id=33586167 参照)
 初代首相として国の基礎を築いたマクドナルドのカリスマ性は群を抜いており、彼を失った後の保守党はリーダーシップを確立できなかった。また保守党の偏狭な反カトリック主義は、カナダの複雑化する諸問題に柔軟に対応できなくなっていた。保守党が自由党に政権を譲ったのは、当然の結果だろう。

 カナダ自由党が万年与党たりえた理由の一つに、党員による党大会をいち早く1893年に開催したことが挙げられる。二大政党の片割れである保守党が初めて党大会を開催したのは1927年であり、30年近くも出遅れた。だが党大会を開催しないと党首を選出できないという民主的なルールは、火急の事態に対応できないことがある。2006年1月の総選挙で敗北したマーチン首相は、ただちに総理総裁を辞任したが、自由党は11月の党大会まで党首を選出できないため、ビル・グレアム元外相を暫定党首とした。選挙に勝利したハーパー首相は過半数を大きく下回る小数政権であり、野党が協力すれば内閣不信任して倒閣も十分可能だったが、暫定党首を首相にすることはできないため、ハーパー政権を揺さぶることはできなかった。
 1979年6月の総選挙で敗北したトルドー首相は、党首辞任を表明したが、党大会で正式な党首が選出されるまでは職にとどまると発表した。だが代わって政権についた保守党のクラーク首相は、その年予算案を否決されるハプニングに遭い、解散・総選挙に追い込まれた。トルドーは辞任を撤回し党首として総選挙を戦い、見事に首相に返り咲く。マーチンの尚早な辞任は、誤りであった。

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 保守党は1984年、282議席中211議席(75%!)の地すべり的大勝利を収め、政権を奪回した。それは西部のための党だった保守党が、敵視してきたケベックの優遇を約束するという歴史的転換のゆえであった。だが度を越したケベック優遇は、地元西部の離反を招いた。公約していた憲法改正に失敗したマルローニ首相は、西部とケベックの両方の支持を失い、1993年6月に辞任する。代わって政権についたキャンベル首相は、下院の任期が残り2か月半しかなく、就任していきなり解散風が吹いていた。たった2か月半で何ができるというのだろうか。しかもマルローニは新居のリフォームが間に合わないという理由で首相官邸から立ち退かなかったため、キャンベル首相は首相別荘で政務を執り、首相官邸に入らなかった唯一の首相となった。保守党は10月の総選挙でわずか2議席と歴史的大敗を喫したが、いったい誰が84年の大勝利から9年で党が壊滅すると予想しえただろうか?

 1986年、中曽根政権時代にも自民党は300議席を獲得し大勝利している。このとき、自民党が7年後に野党転落することを誰が想像しただろうか。前回2005年の小泉総裁での総選挙でも、連立与党は327議席の大勝利を飾っている。それが今はこのありさまである。好事魔多し。一度切り捨てた郵政票は、二度と自民党に戻って来ることはないだろう。自らの支持基盤を見捨てた自民党に未来はあるだろうか。
 2005年衆院選で296議席を獲得し、「もう公明党は要らない」という声さえ聞かれた自民党。それが2007年参院選では、第2党に転落する大敗を喫した。衆議院での再可決は可能だが、それには3分の2の賛成が必要なため公明党の協力が不可欠となり、参院選での民主党の躍進は、連立与党内における公明党の発言力を拡大する効果を生んだのである。
 新テロ対策特措法改正、国会の日程、解散・総選挙の時期…。福田首相にも存念はあっただろうが、何をするにも公明党の意向を聞かなければならなかった。国会開会は9月末で押し切られ、公明党が主張する定額減税実施が盛り込まれ、都議選と矢野氏証人喚問との関わりから早期解散・総選挙を迫られた。誰が何と言おうと自衛隊をイラクに派遣し、郵政民営化に邁進し、靖国神社に参拝した小泉首相とは違っていた。

 ハーパー首相の保守党は下院で41%の議席しかなく、さらに上院は自由党が圧倒的多数を占めている。だがハーパー首相は2年半も少数政権に甘んじ、重要案件は野党と協力して成立させてきた。今週中にも解散・総選挙が行われる見通しだが、国民はハーパー首相の行動力を評価しており、世論調査は保守党に安定多数を与えることを示している。
 同じ「ねじれ」でも一方は3分の2の大勢力、もう一方は過半数割れと大違いだが、一方は総選挙敗北の影におびえ、もう一方は果敢に総選挙に挑もうとしている。何がこれほどの差を生んだのか。

 自民党内では後継総裁に小池百合子氏を推す動きがあるという。何やらいつか見たような光景ではないか。


写真上:辞意を表明する福田首相。
写真下:後列左からマルローニ元首相、ターナー元首相、クラーク元首相、前列はキャンベル元首相。
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