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ハートリーが板飛び込み決勝で4位敗退 [北京五輪]

2034914 ブライズ・ハートリーは、最後の選手を残した段階で3位につけていた。彼女はほとんどメダルに手が届いていた。飛び込み競技歴は、彼女の人生のほとんど半分を占めていた。
 オリンピックを控えたこの1年は、彼女にとって特別に苦しい年だった。昨年の夏、兄のストラチャンを非ホジキンリンパ腫で亡くし、一時は競技をやめようとさえ思いつめたのである。また今年2月の飛び込みワールドカップのとき、この競技の第一人者でモデルとしての顔も持つ中国の美人アスリート郭晶晶に、「カナダのデブ(那個胖子)」と呼ばれた。ハートリーはその発言を無視して、インタビューでは郭選手の技術をただ賞賛することに努めたが、気持ちは治まらなかった。
 コーチのミッチ・ジェラーは言った。
「自分の感情と戦うのではなく、君のありのままの感情を受け容れて、そのままの気持ちで飛び込むんだ」。

 郭はモデルも務め、映画やCMに出演し、実業家との浮名を流し、ラブメールまで暴露され、週刊誌やウェブサイトでおもしろおかしく取り上げられ、妊娠・引退のデマさえ報道された。だが彼女は、競技ではそれらの雑音をはねのけ、圧倒的な強さを発揮し続けていた。
「私は飛び込みが好きだから、まだ引退しようとは思いません。世間が何と言おうと、問題ではありません。気にしません。」

 ハートリーは、一つのことだけを考えることができなかった。2000年のシドニー・オリンピックでは2つの競技に出場したものの、メダルを獲ることはできなかった。2004年のアテネ・オリンピックでは、10mシンクロナイズド高飛び込みで銅メダルを獲得したが、大きな期待をかけられた彼女の、これが最後で唯一のメダルとなった。
 ハートリーは語った。
「トップだろうと最下位だろうと、兄はいつも私を受け容れ、私に微笑んで、私を誇りに思ってくれていました」。

 最後の選手は、郭晶晶だった。彼女は決勝でも完璧な演技を見せつけ、シンクロに続き堂々の二冠に輝いた。ハートリーは4位で彼女の競技人生に幕を引いた。
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