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「終わりの始まり」──2005年衆議院選挙 [日本]

 9月11日、衆議院選挙が行われた。自民党は、郵政民営化法案に反対した議員を公認せず、その選挙区に「刺客」候補者を立て、不退転の決意を示したことがマスコミで連日取り上げられた。その結果、従来弱いとされていた都市部で無党派層の支持を取り込み、兵庫選挙区(12区)で全勝したほか、大阪選挙区(19区)のうち17区、東京選挙区(25区)のうち24区、神奈川選挙区(18区)のうち17区、千葉選挙区(13区)のうち12区で与党が勝利、自民党単独で296議席、連立与党では衆議院の3分の2を超える327議席を獲得し、地滑り的大勝利を収めた。
 今回の選挙で小泉首相が属する森派が党内第一勢力となったほか、今回小泉首相が発掘して当選した大量の新人議員は「小泉チルドレン」と呼ばれ、両派合わせて、崩壊した旧亀井派・旧橋本派・旧堀内派を圧倒する勢力となる。また選挙を盛り上げ、自民党大勝の原動力となった刺客候補者の多くは女性であり、その論功行賞として特別国会後の入閣が取り沙汰されている。単独で絶対安定多数を獲得した自民党はいまや公明党に何の配慮も必要なくなり、小泉首相は総裁任期最後の年となる来年は、もはや最後の公約となった8月15日の靖国参拝に踏み切るのだろうか。

 与党大勝利を伝えるニュースを見ながら、私は1984年のカナダ総選挙を思い出していた。もともと親英派だった進歩保守党は、カナダ建国以来1984年まで総選挙でケベック州の過半数を制したのはただ一度しかなく、1980年にも1議席しか獲得していない。ところがケベック人マルローニを党首に据えた同党は1984年、苦手としていたケベック州で75議席中58議席を獲得したほか、カナダの全ての州で過半数を制し、定数282議席の75%にあたる211議席を獲得する地滑り的大勝利を収めた。
 だがこれは一時の大勝利であり、ケベックやカナダ全土において進歩保守党の支持基盤が拡大したことを全く意味してはいなかったのである。今にして思えば、これが進歩保守党の「終わりの始まり」ではなかったのだろうか。

 進歩保守党党首となったマルローニは、1982年憲法を批准しなかったケベックに「特別の地位」を保証する憲法改正案を提示してケベック民族主義者と妥協するいっぽう、西部には石油利潤を各州に再分配する国家エネルギー計画(産油州である西部には一方的に不利になる)の廃止と米加自由貿易を約束して、ケベックと西部という本来敵対関係にある両地域の「大連立」を実現して政権を奪回した。  進歩保守党は本来西部を基盤としていたが、人口の少ない西部だけの支持では万年野党から脱却できないと見たマルローニ首相は、長期政権を目論み次第にその軸足を西部から人口の多いケベックへと移していく。CF-18戦闘機のメンテナンス契約は、ウィニペグのブリストル航空社が最も安い条件を提示していたが、マルローニ政権は1986年、ケベックのエアカナダと契約した。西部の保守主義者たちはこれを契機として、翌年バンクーバーで「カナダの経済的・政治的将来に関する西部会議」を開催し、新党「改革党」を結成する。  マルローニ政権の目玉だった、ケベックを憲法体制に取り込むための憲法改正案はミーチレイク協定として具現化したが、「ケベックは独特の社会であると憲法に明記すること」「憲法改正の拒否権をケベック州に与えること」などは、あまりにもケベックを優遇しすぎているとして世論の反発を買い、1990年ついに廃案となった。そして多くのケベック保守党員が党を見限り、閣僚を辞任したルシアン・ブシャールの元で分離主義の「ケベック連合」を旗揚げする。こうして進歩保守党は西部とケベックの両方の支持を失い、1993年総選挙でわずか2議席と歴史的大敗を喫し、2003年には改革党の後身「カナダ同盟」に吸収され、その歴史的使命を終えたのである。

 ウォルフレンらは、田中・鈴木・竹下・森など戦後の首相は地方出身者が多いと指摘している。自民党は、国から貧しい地方に金をバラまくことで地方で支持されていたが、中選挙区時代は1票の格差があって地方に議席配分が多くなっており、また地方では都市部より少数の得票で当選することができ、自民党に有利な選挙制度になっていたのである。ところが小選挙区制に移行するとき選挙区の区割りを変更したため、都市部の議席が増えると以後自民党は過半数を獲れなくなる。都市部の無党派は民主党に投票することが多いのだが、「無党派は寝ていてくれればよい」と語った森総裁とは異なり、「無党派は宝の山」と称して、無党派層を民主党から奪えば選挙に勝てると睨んだ小泉総裁の慧眼には驚嘆させられるが、巧みなメディア戦略で無党派層を取り込んでみたところで、彼らは結局は民主党に戻って行くのではないだろうか。しかし一度切り捨てた郵政票はもう二度と自民党に戻って来ることはない。既得権益を破壊し、自らの支持基盤を切り捨て、都市型政党に変わりつつある自民党に未来の展望はあるのだろうか。これは「終わりの始まり」なのだろうか?

 1986年、中曽根政権時代にも自民党は300議席を獲得し大勝利している。このとき、自民党が7年後に野党転落することを誰が想像しただろうか。慢心した自民党が消費税導入、リクルート事件、佐川疑惑、ゼネコン疑惑、共和事件、金丸脱税事件へと突っ走って行ったのは、いまだ筆者の記憶に新しいところである。


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